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関白相論~(1)征夷大将軍の挫折~


「関白相論」


聞きなれない言葉ですが、秀吉がドサクサにまぎれて関白の地位をかすめ取った、その一連の流れを指します。
『江』では、前々回の『江』第16話「関白秀吉」で描かれていました。
ちなみに、アインシュタインの「相対性理論」とは何の関係もありませんリラックマ4「汗」アタリマエダロ…


このあたりはデリケートな問題で、いろんな説もあるようですが、今回は、僕がもっとも妥当かつ面白いと思った流れを中心に、このいきさつを書いてゆきたいと思います。
一応、全2回の予定。次回は来週ということでお願いします。





織田様は神を目指されていました


『江』「関白秀吉」からの1シーン。

この回、けっこう好きなんですよね。戦国ものでは「実力がすべて」という名のもとに軽視されがちな、官位をめぐる話を1話まるごと使ってやってくれましたので。
いつもの下らない付け足しのせいで茶番になってしまった感はありますけど(まあ、このドラマの特徴ですから…汗)、それでもいいシーンはあったように思う。
そのひとつが、このシーン。

前後があまりに幼稚なので、見逃しがちのシーンですが、結構深いことを言っています。
つまり、信長は、たとえば征夷大将軍や関白のような、既存の地位には目もくれなかった。
それらを超越する「地上の神」という存在になろうとした。
これはいったい、何を意味するのか。
今回は復習も兼ねて、そこから述べてゆきたいと思います。





信長のトレードマークといえば、皆さんおなじみですね。


『天下布武』


この当時、世の中は大きく3つの大きな権力によって成り立っていました。
すなわち「朝廷」「武家」「寺院」です。
(詳しくはまぼろしの安土城(3)天下布武を読んで下さい)


中世の最大権力300


朝廷勢力の地位は、当然、現代の我々が想像する以上に高い。
寺院勢力は相次ぐ戦乱による武家勢力の地位上昇に伴って、相対的に地位を落としていましたので、権力の強さの順位は、こうなります。

「天皇」
「朝廷」(トップは摂政・関白、次いで太政大臣)
「武家」(トップは征夷大将軍)
「寺院」(トップは各宗派法主)


摂政・関白は天皇の代理、征夷大将軍も天皇が任命する官位なので、日本の権力の中心には常に天皇がいることになります。
その天皇は朝廷サイドの人間なので、嫌が上でも朝廷が権威的には一番上に君臨することになる。
ただし、戦乱により地方は戦国大名の自治支配地域となり、朝廷に権威はあっても、直接的な政治的影響力は京周辺に限定されていた時代です。

力こそすべて。
日本の歴史上、最も実力主義の時代。




信長は、足利義昭が打診した副将軍依頼を断っています。
さらに本能寺の変の前には「征夷大将軍か、太政大臣か、関白か、なにかひとつをお前にやるぞ」と言った朝廷の申し出にも返事をしていません。
あの事件がなければ、やはり信長は申し出を蹴っていただろうと思います。

彼は、既存の権力に興味はなかった。
既存の権力を得ても、結局それは、天皇(=朝廷)中心の権力構造の歯車のひとつに組み込まれるに過ぎない。
彼がやりたかったことは、既存権力の破壊なのです。
天皇をも含む今までの仕組みをガラガラポンでリセットして、新たに、自分が中心となる武家政権の枠組みを作ろうとした。

※現代でいうと、出世して総理大臣になろうというのでなく、クーデターを起こして国会も内閣も憲法も全部ぶっ潰して、自分が中心となるまったく新しい国家を作ろうとしたことに当たります。
 発想としては「革命」もしくは「国家転覆」という、非常識な危険思想ですが、それだけに成し遂げていれば、歴史にその名を刻むことになります。






さて、一方の秀吉。
彼は、同じ武家政権の樹立でも、信長のようにすべてを破壊する過激なやり方でなく、武力で全土を統一し、武家の棟梁である征夷大将軍となって、全土に影響力を行使しようとした。

※現代でいうと、まずは総理大臣を目指し、総理になってから自分の好きなように法律を変えてやろうという考え方で、信長とは違い、極めて常識的な考え方です。
 後の家康がとったやり方でもあります。


だからこそ、山崎の合戦以降ずっと、「武」によって敵対する相手を斬り従えてきた。
秀吉が「小牧長久手の戦い」で家康を破り、さらに関東の北条氏を破ってさえいれば、彼は征夷大将軍になれたはずでした。


「征夷大将軍」


その由来は、「東国(=関東)の(えびす)どもを伐する」ことから来ています。
信長に征夷大将軍の話が舞い込んだのも、彼が甲斐の武田氏を滅ぼし、さらに北条氏とは同盟関係にあったからです。
家康に敗れ、北条氏とも敵対した結果、三河より東には一歩も兵を出せない状況となった秀吉が「征夷の資格に非ず」と朝廷から失格の烙印を押されたのは、至極当然のことです。

俗説にあるような、足利家の養子・猶子云々以前の問題だったのです。




征夷大将軍




征夷大将軍の放棄は、武家の頂点としての天下統一の放棄を意味します。
彼は、大きな軌道修正を余儀無くされたのです。


しかし、ここからが秀吉流。
ふつうの武士ならば思いも寄らないような妙手により、日本一の座を射止めるのですが…
それは、次回に致しましょう。




(主な参考資料)
戦国合戦大全 (下巻) (歴史群像シリーズ (51))



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江~姫たちの戦国~ 第17話「家康の花嫁」感想


激突は、再びあるのか


今日のアバンタイトル。
いつものことだけど、ここだけは歴史ドラマであることを感じさせてくれる。

それにしても、ナレーションが仰々しい。
「嘘つけ」とか思いながらいつも見てる。



  ↓


日の本一


緊張が高まるどころか、緊張感ないのがまる分かりのスタート。
ほら、やっぱり嘘だった。

本編と関係ない前置きなんか、いるのかなぁ?
あ、逆か。
歴史と関係ない本編の方がいらなかったのか。
そんなこと思いながらいつも見てる。


________________________________________________________

今日の感想。

なんかフツーだなぁ。
退屈だなぁ。
ツマラナイなぁ。


いつも同じパターンなので、飽きましたリラックマ54「寝る2」



さんざん秀吉のイヤな面を見せておいて、最後に彼の本音の優しさ?みたいなのを見せて、お涙頂戴みたいな。
前々回の「猿の正体」と同じパターンか。

シエが事件のあるところには必ず登場して、「猿め!」「猿が!」「猿の分際で!」とかなんか猿の五段活用を口走りながら、結局おいしいとこ取りして彼女のおかげですべてが解決し、ものごとが進んでゆく。
前回と前々回と前々々回と前々々々回と前々々々々回と前々々々々々回と・・・・・と同じパターンか。


不審な顔をする家康家臣団


なんか、大学時代のすごく眠たい授業を思い出しました。
いつも同じ声で同じトーンでぼそぼそぼそぼそ…しゃべる先生で、たぶん言ってることは違うことなんだろうけど、その前に雰囲気が同じすぎて催眠術にかかってしまう。
今日も後半眠たくなったので、思わず熱々のブラックコーヒー飲んだ。




それと、どうしても不可解な点が…
これもいつものことなのですが…キャラクターのことです。
性格がコロコロ変わりすぎじゃない?


たとえば、秀吉。
前回はけっこう執念をもって関白の地位をもぎ取ったみたいな演出でしたけど、今回は、関白をネタにして冗談ぽく笑ってみたり、関白の地位そのものを馬鹿にしてるし。
今回も、前半は妹や母を人質に出すことも冗談半分でどうでもいいように見えて、最後に「実はすごくつらかったんだ…うるうる(;_;)」みたいなことになっていたし。


茶々も変だよね。
秀吉に対して「父のかたき」「母のかたき」「気持ちが変わることはないぞ」と言ってるかと思えば、急におかしな風に吹かれたかのように「でも秀吉はいいところもあるよ」みたいなことを言ったり、今回も茶を立ててもらったぐらいで「秀吉にも真心があるね」とか言ってみたり。
尻軽女?にしか見えない。


今日は、最後の牙城も崩れました。
家康だけは、ある意味キャラが一定していたんですけど…
前半はクールに状況を分析していた家康も、後半は急にガハハと笑い出したりして…


笑う家康


たのむから、キャラ固定させて下さい。
どう視聴していいのか困るので。



なんだか多重人格者のドラマに見えてきた…リラックマ18「もやもや」





あと、音楽と効果音もだめ。
秀吉が何かアクション起こすたびに「でっで~ん」みたいな効果音つけるのやめてよ。


ああ…
今回は、いろんなことが気になりすぎて、まともに見れませんでした。
眠たかったし・・・




次回:

「恋しくて」

演歌の曲目ではありません。
大河ドラマです、念のため。




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江~姫たちの戦国~ 第16話「関白秀吉」感想


今回は、ちょっと良かったぞ。



どうしたんだ田渕久美子?
とうとう乱心したのか?


いつもツマラナイのが当たり前なので、良ければ心配してしまうドラマって、なんだかぁ~と思いますが、それでも今回はなかなか良かったゾ。
僕のこのドラマに対する視線が、いつの間にか下がってきているからなのか??
なんだか、不思議な感じ。


特に、今回一番のグッジョブが、この人。


背後霊信長


アナタが出てきた出てこない今週は、
すごく平和でした。
頼むから、もういい加減、成仏してください





まあまあそれは冗談として、今回のグッジョブは、この人です。


関白の意味を説明する三成


露骨にドラマの語句説明の役を買って出た、石田三成。
彼のおかげで、関白の意味とか、いろいろ分かりました。
田渕氏のむちゃぶりの脚本のせいで、無理やり説明をさせられたKYな場面も多くあったけど、それでも嫌な顔ひとつ見せず、さわやかにナレーターを務めて下さいました。
ほんと、いい仕事したよ。
がんばったよ。

ついでも、亡霊の市に代わってナレーションもやってくれるとありがたいんだけど・・・



ナレーター三成は大プッシュしてましたけど、明らかにおかしなところもありましたけどね。
将軍になりたいという、前半のシーン。
関東を武力で制圧しないと、征夷大将軍とは認められないでしょ?
つまり、家康に戦で敗れた時点で、秀吉の将軍への道は閉ざされたことになるんですけどね。
将軍になるには、もう一度家康と決戦を行い、勝つしかない。
戦ギライの脚本家には、分からないことでしょうけど・・・


新興宗教の教祖


できもしないことをそんな得意げに言われてもねぇ。
しかもあのポーズ。新興宗教の教祖かよ。

あのシーンはいらんだろ。

「将軍になろうと思う」と言う時のエフェクト、あのサムイことったら・・・リラックマ46「冬の風」




また、誰が吹き込んだものか


今日は、心なしかギャグも少しだけマシだったような・・・
いつもの、体を張った3流芸人のようなズッコケネタや、ヘン顔コンテストをしているような顔ネタでなく、一応、言葉を使ったギャグだったので。
それでも、このドラマ、ひとつのギャグを何回も使うの好きですね~
今回だけでなく、信長の背後霊ギャグ(ギャグなのか??)とか、侍女のズッコケとか、あのあたりはもウンザリ。
いや、面白かったらいいんだけど、意図がよく分からないので。

ギャグもいらんだろ。




関白・秀吉


関白となった秀吉。
関白の座を射止めるまでの政治的な駆け引きも、比較的ちゃんと描いてくれていました。
江から意見を聞くという展開も、本当は許せないはずなんですけど、今回は、その意見を真に受けるのでなく、秀吉の行動原理に照らし合わせた上でのことだったので、比較的まともに見れたんだと思う。

※まあそれでも、わずか13才程度の子供が「関白になったら」とか秀吉に意見しているわけですから、本当は無理ありすぎるわけですけどねリラックマ4「汗」



「菓子は菓子でも、食べられぬ菓子ですが」


あのセリフは良かったな。
世の中を達観したような宗易のセリフなんかよりよっぽど良かった。
なんか、公家を金で釣り、ニンマリする秀吉の顔が浮かんでくるようで。
(というか、実際に映像でニタニタしていましたけど)

「江が近くにいないとヤダ」と政治なんてどうでもいいように描いたと思ったら、今回のように政治力を駆使してみせたり、おねに対していつもヘコヘコしている印象があったのですが、今回はおねの意見をまったく無視したり、脚本家の都合のいいようにキャラ立てされている印象もありますが・・・
今回の秀吉は、比較的「見れた」秀吉でしたね。

おねに対する態度は、あれはあれで、関白になった記念に亭主関白になったことを意味しているんでしょうか?
それにしてもおねさんって、亭主を盛りたてることもなく、いちいち旦那のやることに頭ごなしに反対してばっかりで、一いる意味ないよね?
前の離婚話はどうなったんだ?




…ということで、なんだか分かってきました。
多分、余計なものが多すぎるんですよ、このドラマ。
そういう脂肪を減らしていけば、それなりにスリムで見やすいドラマになるのでは。

信長の背後霊いらん。
映像効果いらん。
音楽いらん。
ギャグいらん。
おねいらん。
初いらん。
江はビミョー。(一応主役なので、ギリギリセーフ)



などなど・・・
つまり、ドヤ顔の演出みたいなの全部いらないんですよ。
多くは望みません。感動も望みません。
ただ、普通にやってくれたらいいんです・・・リラックマ3「うん。」




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小牧長久手の戦い~(4)蟹江城攻防戦~


家康によって、乾坤一擲の奇襲作戦は潰えました。
秀吉は、怒る部下たちをなだめつつ、その矛先はすでに、別のところを向いていたのです。



家康には、勝てぬ


勝てないなら、勝てないでよい。
勝てない相手と分かっているなら、戦わなければよい。
相手にしなければよい。
部下の再度の出兵をことごとく却下すると、小牧山城への防備を固めた後に、秀吉自身は大軍を率いてもときた道を引き返します。


「勝てぬ者の相手にするより、勝てる者を相手にした方が、話が早い」


もともとは、信雄が家康を誘って起こした戦。
信雄にしてみれば、自らの領土の安定のために、家康の力を利用したかっただけではないのか。
なれば、話は早い。
「虎の威を借る狐」である信雄から虎である家康を切り離し、信雄をただのキツネにする。
尾張と伊勢を分断し、信雄を精神的に孤立させる。




5月6日。
長久手の戦いから、約1ヶ月。
ひとときの静かな日々を破り、秀吉が仕掛けます。
目標は、三河でなく伊勢。


王者のごとく、濃尾平野を悠々と流れる大河・木曽川。
古来よりこの河を越えることは至難の業で、それゆえに、尾張と美濃、尾張と伊勢を分ける境界線となっていました。
その河口付近、揖斐川との間に挟まれた中洲には、天然の要害に守られた伊勢長島城がそびえ立っています。
伊勢の支配者・織田信雄の居城です。
守るに易しく攻めるに難い、不落城。

秀吉は、この城を尾張から切り離し、孤立させることによって、信雄から家康の影響力を排除しようとしたのです。
最初の攻撃目標は、木曽川の中流付近にあるふたつの城。
竹鼻城と、加賀野井城。
まず、大軍による総攻撃で加賀野井城を1日で落城させると、竹鼻城を水攻めにします。
得意の戦法により、竹鼻城はその1ヶ月後に落城。
家康軍の攻撃を警戒しましたが、家康は動きませんでした。



6月16日。
信雄支配下にあるはずの蟹江城が、突如、秀吉の手に渡ります。
秀吉の名人芸である寝返り戦術によって、蟹江城の城主が城を明け渡すことに合意。
伊勢にいた滝川一益が、九鬼水軍とともに海路より入城したのです。



蟹江城攻防戦500
(クリックすると3倍に拡大します)



蟹江城は、信雄の居城である伊勢長島城と、信雄と家康の会議の場である清洲城の連絡路に位置する城。
すなわち、秀吉勢がこの城を守り抜くことが、信雄の孤立につながる。
それはそのまま、家康・信雄連合軍の分裂そして崩壊につながるのです。
秀吉の離れ業が功を奏して、信雄は一気に苦境に直面します。


蟹江城攻防戦


家康の動きは、迅速でした。
直ちに蟹江方面に出馬すると、九鬼水軍を破り海上との連絡を絶った上で、蟹江城を締め上げます。
厳しい籠城戦に耐えた滝川一益でしたが、3ヶ月後に降参。
家康の軍略の前に、またもや秀吉勢は敗れたのです。




それでも、執拗に内応工作を行う秀吉。
8月から10月にかけて、信雄の家臣団をたびたび誘惑し、信雄を精神的に追い詰めてゆきます。
伊賀や伊勢の武将は多くが秀吉の調略にかかり、どっちつかずのぐらぐらの状態にまでなっていたのです。
家康の攻撃が及ばない伊賀・伊勢での工作は、秀吉に取っては赤子の手をひねるようなものでした。
伊勢湾に軍船を浮かべ、伊勢長島城にさらに圧力を加える秀吉。
信雄の精神は、限界に達してしまいました。
ついに、心が折れてしまいます。



11月15日。
信雄は、家康の許可も取らず、秀吉と単独で講和します。
講和とはいえど、実情は伊賀と南伊勢を失い、娘を秀吉の養女として差し出すという、降伏に限りなく近いものでした。
戦争の大義名分を失い、単独で秀吉を倒すことの難しさを悟った家康は、兵を引き上げ、三河に帰国します。



家康と金扇



戦では勝っていながら、信雄への配慮が十分でなかったために、弱みにつけ込まれて兵を引く形となった家康。
彼の脳裏には、裏切った信雄への恨みがあったのか。
または、戦での決着を避けコソコソと動きまわる秀吉に対する怒りか。
もしくは、自らの青さを嗤っただけだったのかも知れません。


8ヶ月に渡る長い戦いは、こうして幕を下ろしたのです。

________________________________________________________

秀吉と家康。
生涯ただ一度の直接対決となった戦は、勝敗つかず、痛み分けとなりました。

「政略」の秀吉、「軍略」の家康

お互いの能力の限りを尽くし、付近の大小の領主を巻き込んだこの争いは、まさに、この時代の天下分け目と言われるにふさわしく、

「もうひとつの関ヶ原」

と言っていいほどのものです。
しかしながら、8ヶ月という長期の戦の割に合戦の規模が小さかったことや、勝敗がつかなかったことで歴史が大きく転換することがなかったというのが、後世の評価を小さくしている原因ではないかと思います。
それでも、「引き分け」という結果こそが、両者が智謀を尽くし、壮絶な戦いを行った証と言えるのではないでしょうか。

「小牧長久手の戦い」の再評価を、期待します。





(主な参考資料)
その時歴史が動いた「秀吉・家康 たった一度の直接対決」~天下取りの知恵くらべ~(2001年)
「今日は何の日?徒然日記」様より ~「秀吉VS家康~犬山城攻略戦by小牧長久手の戦い」ほか~

戦国合戦大全 (下巻) (歴史群像シリーズ (51))



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小牧長久手の戦い~(3)長久手の戦い~


池田恒興・森長可による、三河奇襲作戦。
取り上げる前に、少し前置きを。

この作戦、一般的には「秀吉自身はこの作戦に反対したのだが、池田恒興らが名誉挽回の機会を強く望んだため、彼らに押し切られるような形で作戦を許可し、結果的に敗北した」と言われていました。
僕自身も、今までそう覚えてきました。
が、最近では、秀吉もこの作戦にかなり前向きであったという説が有力になりつつあるそうです。

考えてみれば、人を裏切らせることは得意でも裏切られたことはほとんどなかった「人たらしの名人」秀吉が、直属ではないにしろ配下となっていた池田恒興らの言動をコントロールできていなかった、というのは、やはり腑に落ちないものがあります。
だとすれば、秀吉は、この作戦をどう考えていたのか?
なぜ彼は、この作戦を許可したのか?


そういった点を踏まえながら、本記事を書いてゆきたいと思います。

________________________________________________________


池田恒興の献策



「虎穴に入らずんば虎子を得ず」
奇襲作戦を聞いた秀吉の、脳裏に浮かんだ言葉でした。

少々危険な作戦ではあっても、ある程度のリスクを負わなければ、この戦は勝てない。
なにしろ、相手は海道一の弓取り・家康なのです。
いつもの方程式通りで勝てるほど、甘くはない。
思い切った作戦の必要性を、彼は感じ取っていました。


秀吉は、決断します。


彼は、池田恒興・森長可らが献策してきた案に、さらに修正を加えます。
まず、自分の代理として、甥の羽柴秀次を総大将に据える。
その補佐役として、戦上手な堀秀政を当てる。

さらに秀吉は、陸上からだけでなく、海路からの三河侵入も手配します。
すでに江を佐治家に嫁がせ、佐治水軍を味方に引き入れようとしていた秀吉ですが、さらに、かつて信長のもとで水軍の力をいかんなく発揮した九鬼嘉隆(くき・よしたか)を味方に引き入れると同時に、三河侵攻に協力してもらいたいとの旨の書状を送るのです。

九鬼嘉隆といえば、かつて信長が本願寺相手に戦った石山戦争で、鉄甲船というバケモノの船を大阪湾に浮かべ、毛利や村上といった瀬戸内最強の水軍集団を撃破した鳥羽の荒くれ者。
その行動力に、秀吉は賭けたのです。



三河奇襲作戦500
(クリックすると3倍に拡大します)


陸上と水路。
2面作戦により三河を蹂躙し、家康を恐怖に陥れる。

家康という男は、今川義元の人質であった頃から三河の独立を一途に願い、誰よりも三河を愛する男である。
その本国の人民が虐殺されてゆくのを、見殺しにできるはずがない。
三河の拠点・岡崎城には、わずかの留守部隊しか残していないはず。
小牧山城を放棄してまでも、必ず、三河の救援に向かうはずだ。
その背後からわが本隊が強襲し、反転した奇襲部隊と挟み撃ちにする。

砦という後ろ盾のない平野では、兵数が勝敗のすべてを決する。
5倍の兵力で、家康を押し潰す。




間違いなく、勝てる戦でした。
編成された陸上奇襲部隊の兵力は2万。
小牧山城にいる家康軍の全兵力は1万6千。
仮に奇襲部隊の行動に気づかれたとしても、そう簡単に決着がつくはずがない。
膠着状態になったところを本隊が突けば、勝負は決する。


4月6日夜。
編成を終えた奇襲部隊が、順次、家康の故郷・三河に向けて出発してゆきます。
先頭から、池田恒興・森長可・堀秀政・羽柴秀次の順。
池田・森にとっては名誉挽回の、羽柴秀次にとっては戦功第一の晴れ舞台となるはずでした。
家康の首さえ、あるいは彼らは狙っていたのかも知れません。



林のように静かに、山のように不動を保っていた家康。
周囲に斥候を放ち、息を殺し目を凝らして、じっと敵の隙をうかがっていたのです。
その動きが付近の農民らによって家康のもとにもたらされると、彼は、即座に軍を編成。
家康自ら、1万数千という実に小牧山城のほぼ全軍を率いて、追撃に移ります。


疾風のごとき行軍。
9日早朝、ついに、長久手付近にて、奇襲部隊を捕捉。
目の前の岩崎城を落とそうと必死になっていて、うしろは完全に無防備でした。
彼らの背後まで迫ると、一気に襲いかかります。



長久手の戦い



長久手の戦い

まず餌食となったのは、最後尾の本陣・羽柴秀次。
まさか後ろから攻撃されるとは思っていなかった秀次は、軍勢の指揮を取れぬまま、命からがら潰走。
難なく秀次勢を撃破すると、次の堀秀政の軍勢に間髪入れず襲いかかる。
しかし、さすがは往年の戦上手・堀秀政。この状況にも冷静に対応し、家康軍を一時は撃退します。
ここで家康軍は矛先を変え、堀秀政の軍を迂回、城攻めに夢中になっていた池田恒興・森長可の軍の背後に展開します。

鶴翼の陣。
鶴が翼を広げた姿に見立てられるこの陣形は、相手を包み込み、短時間で敵を殲滅する一撃必殺の陣形。
家康軍の両翼に囲まれた池田恒興・森長可は、共にこの戦いで討ち死に。

火のような家康軍の一連の攻撃によって、2万もの奇襲部隊は、完全に崩壊します。
家康軍の攻撃が始まってから、わずか半日。
早朝に始まった一連の戦いは、正午過ぎにはおおよその決着が付いていたのです。



次から次へと繰り出される、軍神のごとき家康の采配。
軍配が下されるとほぼ同時に動く、一糸乱れぬ家康配下の武将。
稲妻のように鋭い、家康軍の波状攻撃。

風林火山

三方ヶ原の戦いで敗れて以降、家康にとっての軍略の師は、信武田信玄でした。
彼が無念の病死を遂げた後、家康は彼の遺領に侵攻、信玄の遺臣を多く召し抱えていますが、彼が召し抱えたのは、人だけではなかったのです。
同時に、信玄の軍略、すなわち「風林火山」の極意を貪欲に吸収していったのです。



完膚なきままに叩き潰された奇襲部隊。
敗戦の報を聞いた秀吉は2万の救援部隊を自ら率いますが、小牧山城から出陣したわずか500騎の本多忠勝のゲリラ行為に妨害された挙句、秀吉が現場に到着した頃には、家康はすでに陣を引き払って、悠々と小牧山城に帰還した後でした。
連携を欠いた九鬼水軍も、形勢不利と判断し上陸を断念します。

秀吉にとっては、生涯忘れられぬ敗戦となりました。

________________________________________________________

後に、天下を統一した豊臣秀吉が、家康に自分に宝物を自慢して、こう尋ねたことがあります。
「わしはこのように、数限りない宝物に恵まれておるが、家康公の宝物は何か」

その時、家康はこう答えたと伝えられます。
「三河武士は宝を持ちません。
 しかしあえて宝といえば、私に命を預けてくれる500騎の武士(もののふ)たちでありましょう」


ひとつの巨大な獣に呑み込まれるように、なすすべもなく潰走した三方ヶ原。
しかし、そのすべてを家康は学び取り、三河武士と一致団結して、長久手でその再現をしてみせたのです。
家康のこの言葉には、そういった自負が見え隠れしているようにも感じます。





(主な参考資料)
その時歴史が動いた「秀吉・家康 たった一度の直接対決」~天下取りの知恵くらべ~(2001年)
「今日は何の日?徒然日記」様より ~「秀吉VS家康~犬山城攻略戦by小牧長久手の戦い」ほか~

戦国合戦大全 (下巻) (歴史群像シリーズ (51))



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