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続・龍馬伝 (31)新天地へ


龍馬伝第4部タイトル(雲の



海。
地球上最大のフロンティア。
特に船乗りたちにとって、海は彼らが生きる場であると同時に、死に場所でもあります。
一寸先は闇、どんなに頑丈な船に乗っていても船底の板一枚下には底しれぬ暗黒の世界が広がっている。
そこに飲み込まれたら最後、亡きがらは誰にも発見されず、永遠に海底をさまようのです。

洋の東西を問わず、幽霊船、クラーケンなど、海にまつわる怪談・怪事が多いのは、決して偶然ではないと思います。



洋上で台風に襲われた榎本艦隊は、あやうく8隻の幽霊船となって、未来永劫に三陸沖をさまようところでした。
しかし、ほぼ初体験の外洋航海とはいえ、一流の航海術を身につけていた榎本一行は、散り散りになりながらも、6隻までを仙台港に入港させることに成功します。
前々回の記事でも書いたように、無数の傷を負いながらも、ようやくたどり着いたのです。



この後、仙台青葉城で激論が行われるも、藩の存続を願った主君の決断により、仙台藩は戦闘を放棄、各地の藩兵をすべて撤収させます。
各地で戦っていた部隊も、会津鶴ヶ城が包囲され、もはや城内にも入れないとなると、彼らは榎本のいる仙台に自然と向かうようになってゆく。
結果、仙台城の周辺には、いまだ恭順に納得のいかない血気盛んな好戦派が、とぐろを巻いていました。
仙台藩自慢の洋式部隊・額兵隊。
大鳥圭介の伝習隊を始めとする、江戸から脱走してきた旧幕府軍。
土方歳三をかしらとする、旧新選組残党。
会津にも戻れない、各地の会津敗残兵。

彼らは、会津の未来を嘆き、薩長の横暴を憎み、仙台・米沢の離反を呪いました。
出航の時期を逸した榎本への非難も、当然ありました。




そう…会津戦争では、いくつもの「もし」があった。

もし、白河が緒戦で破られていなかったら。
もし、列藩同盟が防戦に徹するのでなく、江戸侵攻の積極策を取っていたら。
もし、仙台・米沢が最後まで会津と共に戦っていたら。
もし、榎本があと1ヶ月早く仙台に着き、新潟と平潟に軍艦を回航させていたら。



最後の「もし」が最も可能性があり、それだけに最も多くの人を落胆させることになりました。
その非難はすべて、榎本個人に向けられていたのです。




9月22日、会津落城。
非難が集中する中、榎本は、彼らに自らの夢を語り続けます。
根気よく、何度も、丁寧に。


薩長の横暴により、世は乱れ、われわれは生活の場を失った。
大恩ある徳川家も、最後まで誇りをかけて戦った会津藩も、もはやこの世には存在しない。
われわれは、亡国の民である。
しかし、帰るべき家がないのであれば、新しく家をつくればよいのだ。
私は、蝦夷にその夢をみる。
われわれとその家族が安心して暮らせる理想の国家を、未踏の大地に築こうではないか。





亡国の民。理想の国家。未踏の大地―
彼の言葉は、行き場をなくした多くの人の心を打ちます。
自分の未来のため、妻の未来のため、子供たちの未来のため…戦争に敗れ、なかば自暴自棄になっていた人々が、榎本の言葉を聞くうちに、少しずつ変わってゆきます。
彼の言葉を信じ、新しい未来をそこに発見するようになってゆくのです。

艦船を修理・補充し、食料や生活物資を運び込んでいるうちに、榎本の夢に賭けてみようという者が、次々と集まってきます。
しかし、残念ながら、全員を連れてゆくことはできない。
榎本は、船の運搬能力の限界ギリギリの2500名を選抜し、乗艦を許可します。



明治元年10月12日。
再び、海へ―
かつて満身創痍であった榎本艦隊は、新生・榎本艦隊として、仙台を出航するのです。
行先は、未踏の荒野。榎本たちにとっては、異国に行くような面持ちであったでしょう。


旗艦「開陽」  …蒸気船、オランダ製
軍艦「回天」  …蒸気船、イギリス製
軍艦「蟠龍」  …蒸気船、イギリス製

輸送艦「神速」 …蒸気船、アメリカ製
輸送艦「長鯨」 …帆船、イギリス製
輸送艦「太江」 …蒸気船、アメリカ製 ※仙台での補充艦
輸送艦「鳳凰」 …帆船、国産 ※仙台での補充艦



【第31回】新天地へ



8日後の10月20日。
蝦夷は、初冬を迎えていました。
凍てつくような寒さ。江戸はもちろん、奥羽でも経験したことのないような寒冷が榎本艦隊を出迎えていました。
彼らが最初の上陸地点としたのは、鷲ノ木(わしのき)。
箱館とは半島の反対側にあたるこの地を選んだのは、ある敵対勢力を想定したのことでした。


松前藩


奥羽越列藩同盟の結成当初は、その最北の藩として一員に加わっていたのですが、藩内の抗争を経て反旗を翻し同盟を離脱、榎本たちにとっては敵か味方か分からぬ不気味な存在であったのです。
そのため、彼らを刺激しないようにあえて松前藩の勢力圏外から上陸し、箱館に進む作戦を取ったのです。



鷲ノ木周辺500



当時、箱館を治めていたのは「箱館府」と呼ばれる明治政府系の機関でしたが、彼らはわずかな武力しかもたないため、制圧は難しくないと榎本は考えていました。
ただ、松前藩と手を組まれることは避けたかったのです。
箱館入港が遅れれば、それだけ、新政府に攻撃の隙を与えることになる。

短期決戦。
蝦夷地を支配下に入れるまでは、こちらの手を休めない。
榎本は、箱館府に対して、布告を発します。


蝦夷地のことは、われわれ旧幕府の人間に預けていただきたい。
もし、願いが聞き入れられないときは、戦闘も辞さない。



事実上の宣戦布告です。
同時に、大鳥圭介、土方歳三を中心に陸軍を編成し、箱館に向けて進軍させます。

戦闘は、小競り合いのみで一瞬のうちに集結。
奥州で血みどろの戦闘を経験している彼ら陸軍は、戦闘経験のない箱館府防衛部隊を難なく粉砕、箱館府は青森に逃亡し、榎本軍は難なく箱館と、五稜郭を占領します。




明治元年11月1日。
すべてが始まりを表す1ナンバーの日付であるこの日、旗艦・開陽が、箱館に入港します。
日章旗。
外国船と区別するために日本の艦船に便宜的に使われていた「日の丸」の旗を、開陽は掲げていました。
自分たちこそ、日本国の正当なる後継である―
榎本は、そのような思いを込めていたのかも知れません。


VOOR LICHTER(開陽)


北斗七星の6番目の星ミザールの中国名である「開陽星」
榎本らがオランダに留学していた時に完成したこの軍艦は、彼ら留学生によって、春の天空にひときわ強く輝くその星の名をとって、「開陽」と名付けられました。
オランダ語での艦名は「フォール・リヒター」
開陽を「陽が開く」つまり「夜明け前」と読ませ、オランダ語にしたものです。


元年11月1日のその日、開陽に掲げられた日の丸は、日本の夜が明け、新しい時代が訪れることを象徴しているように、榎本には思えた。



会津を見殺しにした。
奥羽諸藩を捨石にした。
そう陰口を叩く者が多いのは承知の上。

自分の目的は、新政府と戦って、日本を破滅させることではない。
真の目的は、国を追われた幕府の人々とともに、この蝦夷に理想の新国家をつくることである。

言いたい者には、言わせておけばよい。
自分の夢は、自分だけのものだ。



日章旗を眺めながら、そう榎本は思っていたのかも知れません。
彼の国づくりは、ようやくその1歩を北の大地に踏み下ろしたのでした。






(主な参考資料)
箱館戦争―北の大地に散ったサムライたち
幕末史(半藤一利著)
図説・幕末戊辰西南戦争―決定版 (歴史群像シリーズ)
一冊でわかるイラストでわかる図解幕末・維新―地図・写真を駆使 超ビジュアル100テーマ オールカラー (SEIBIDO MOOK)



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