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続・龍馬伝 (20)奥州の関門


龍馬伝第4部タイトル(雲の


「会津戦争」


3000人近くの死者を出したとされる、戊辰の役最大の激戦。
この会津戦争の始まりをいつにするか。


一般的には、慶応4年閏4月20日とされています。
この日、二本松藩の支配地であった白河の地に会津兵が侵入し、ここを占領します。
戦死者は、会津側なし、二本松側わずか2名。

この死者数が物語っているものは、何であるか。
実はこの戦い、一種の出来レースなのです。
二本松藩は、会津擁護を目的とした奥羽越列藩同盟に加わることがすでに内定していたため、そのための時間稼ぎとして、攻められた「フリ」をして、体よく白河を会津に提供したに過ぎません。
つまりは、会津兵と二本松兵が全員で演じた、一世一代の大芝居。
その演技にまんまとだまされた世良修蔵は、この日捕縛され、惨殺されています。


その事態に驚いた総督府は、宇都宮城から少数の先遣隊を送りますが、あえなく退却します。
この頃には、会津はすでに東北諸藩とがっちりスクラムを組んでいて、南からの敵だけを意識していれば良かったのです。
敗戦で知る、敵の布陣。
彼らは、もはや奥羽他藩には頼れず、自分たちだけで会津を討たねばならぬと、決意を固めます。


慶応4年5月1日。
新政府軍が、白河城に総攻撃をかけた日。
さきほどの日付が名目上の会津戦争の始まりであるとすれば、この日付は、実質的な戦闘が始まった日ということになります。
新政府軍の、逆襲が始まったのです。



【第20回】奥州の関門



会津の悲劇。
思い起こせば6年前、何事にも一途な藩主が京都守護職を拝命した時から、その運命は決まっていたのかも知れません。


松平容保
(『テレビ朝日新春スペシャルドラマ「白虎隊」』より)


当時、西郷頼母はじめ家臣は、この任務には猛反対でした。
その時の京は過激な攘夷派志士が跋扈し、無法地帯を化していた。
その警備役となれば、やはり相当の犠牲を払うことを覚悟せねばなりません。
また、徳川幕府の勢いが衰えつつある時勢の中、最後まで徳川家に付くことは、幕府が倒れたときに朝敵の汚名を被りかねないという一抹の不安もありました。
容保自身もかなり迷っていたと言われています。

しかし容保は、あくまで徳川に尽くすことを決意した。

会津以外の藩は、己の安泰のために、徳川家に仕える。
しかし我々会津は、徳川のためならば、己の藩が潰れようと構わぬと考える。
慶喜公が会津を頼みとされるならば、この容保、一身をなげうって忠義を尽くす。


彼は、歴代会津藩主が誇りをかけて伝えてきた「会津魂」を守ったのです。


そして、時代は移り…
迫り来る新政府軍に対して、会津は、自らの誇りをかけて、白河にて、戦いに挑む。




白河。
古来より、奥州の関門として聞こえた要所です。
たとえば、源義経が藤原秀衡(ひでひら)をたよって奥州平泉に落ち延びた際、迫り来る頼朝の軍勢に対して、白河の関を第一次防衛ラインとしていたことでも、この地の重要性が分かります。
白河は、関東から奥州に入る唯一の玄関口であったのです。



奥州街道と羽州街道



この地を護るのが、会津の家老。


西郷頼母
(さいごう・たのも)



藩主・松平容保に対して、京都守護職に就くことをあくまで反対したため、一度は罷免された会津の重臣。
その後、地位を回復され、この白河の要地を任されていました。
※ちなみに、薩摩の西郷隆盛とは何の関係もありません。念のため。

ここに、会津を中心とした奥羽列藩の2500名が守りを固めていました。



一方、攻め手の大将は、薩摩生粋の軍人。

伊地知正治
(いじち・まさはる)



しかし、奥州の急激な状況の変化を予測できなかった総督府は、十分な兵力を送ることができません。
彼は、宇都宮城からわずか700の手勢を引き連れてきたに過ぎませんでした。
700の軍勢を白河城の正面に密集させ、前方に兵器を集中させます。


それを眺めていた西郷頼母。
敵の兵数から考えて正面からの一点突破作戦であると予見し、列藩同盟軍の注意を正面に向けさせます。
実戦の経験がない彼には、3倍以上の兵力差で負けることなぞ考えもしなかったのでしょう。
相手に誘導されるままに、兵を全面に集中させる西郷。

しかしこの時伊地知は、すでに次の命令を出していました。
ただでさえ少ない兵力をさらに3手に分け、正面400の左右から150ずつの別働隊を進発させ、白河城の左右に大きく迂回させます。


実戦を知らぬ西郷。
別働隊は気にもとめず、あくまで正面のみを見ていました。
そこに、左右から大きく展開した別働隊300の銃が、両翼から一斉射撃を開始します。
その火力は、奥羽列藩の諸藩が見たこともない、圧倒的なものでした。
刀や槍はもちろん、こちらの銃さえ届かない距離から降り注ぐ銃弾。
さらに正面から9門の大砲が火を噴くと、白河城のまわりの砦は次々と陥落、3方から囲まれた西郷頼母は、白河城を捨てて退却するのです。


________________________________________________________

奥羽連合軍の死者、700。
敵側兵力の同数にあたる大損害で、1度の戦闘では、会津戦争を通じて最大の犠牲者数となりました。
新政府側の死者はわずか10。

会津の、奥羽連合の、信じがたい惨敗。
その背景には何があったのか。


薩摩の伏し撃ち500
(『テレビ朝日新春スペシャルドラマ「白虎隊」』より


当時の薩長軍の主力銃は、鳥羽伏見戦争の頃から、後装式に変わっていました。
「後装式」とは、弾薬を銃口からでなく、手元の引き金付近から入れることのできる銃を指します。
命中率、射程距離ともに、敵方の銃を圧倒していたのです。
さらに弾薬の装填を手元で行えるため、伏せたままの連射が可能であり、相手から目視できないところから銃弾の雨を浴びせることが可能であったのです。

一方の奥羽連合軍の主力は、元亀天正以来の火縄銃。
仙台藩など東北諸藩は、幕末以来の軍事革命に完全に取り残されていました。
かろうじて会津藩などの一部の兵士はヤーゲル銃、ミニエー銃など前装銃でしたが、前装式は弾薬を銃口から入れるため、弾薬の装填時に必ず膝を立てねばならず、その姿は後装式のスナイドル銃を備えた新政府軍の格好の標的となってしまったのです。



戦のありようが、すでに変わっていたのです。

「兵力」から「火力」へ

戦において最も重要な要素は、武士の台頭以来一貫して「兵力」でしたが、「火力の差」が戦の勝敗を決定づける時代に突入したのです。
「鳥羽伏見の戦い」に次いで「白河口の戦い」でそれを実証した新政府軍が、その後も圧倒的な火力差を背景に、会津の牙城へと迫ってゆくことになります。






(主な参考資料)
戊辰戦争―敗者の明治維新 (中公新書 (455))
戊辰戦争から西南戦争へ―明治維新を考える (中公新書)
奥羽越列藩同盟 (中公新書)
幕末史(半藤一利著)
図説・幕末戊辰西南戦争―決定版 (歴史群像シリーズ)
一冊でわかるイラストでわかる図解幕末・維新―地図・写真を駆使 超ビジュアル100テーマ オールカラー (SEIBIDO MOOK)



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こんにちは~

2011/08/08(Mon)10:46

こんにちは~TV-Rocker様。
画像は山Pが出ていた白虎隊ですかね?
録画していなかったのでよく覚えていないんですが^_^;

彰義隊や白虎隊はドラマになりやすいですが、その分その前の流れとかその後が省略されてしまう事が多いので、こうやって順を追って書いてくださると勉強になりますね。

こちらに来るのが遅れがちですがいつも意見していますよ。頑張ってくださいね♪

あ・すみません。書き忘れて…
リクエストも受け付けてくださるんでしょうか?

「獄(ひとや)に咲く花」の映画をご存知ですか?2010年に公開されたらしいですけど、私もよく知りませんでした。ネットのお友達から勧められまして、機会があれば観てみたいのですが。

吉田松陰が投獄されていた時期の歴史ロマンらしいですが、公式サイトの動画を見て興味がわきました。

お時間のある時でかまいませんのでもし興味をもたれましたらアップをお願いします。すみません、ずうずうしいお願いでm(__)m

名前:エム (URL編集

獄(ひとや)に咲く花

2011/08/08(Mon)19:17

こんばんは。
エムさん、TV-Rockerさんじゃないけれど、失礼します。
「獄(ひとや)に咲く花」は、けっこうDVDが出回っているので、レンタルを探せば見る事が出来ると思います。
私もレンタルで見ました。
監督が新人のせいか、演出はかなりベタですが、それなりに面白いです。
吉田松陰って、年配の俳優がやることが多いけれど、実際は29歳で処刑されているので、あそこまで熱血かは分からないけれど、この映画の若い松蔭は衝撃的でした。
無実の罪で投獄されている未亡人とのプラトニックラブを描くもので、未亡人の役が目黒祐樹の娘の近衛はな。親子での共演も見る事が出来ます。
悪くない映画なので、興味が湧いたのなら、ぜひ見てください。

名前:よしぼう (URL) 編集

こんばんは~よしぼうさん

2011/08/09(Tue)00:28

エムです。ありがとうございます。

以前歩いていける距離にレンタル店があったのですが無くなってそれ以来借りた事がなくて^_^;
でも数年前にまた近くに大きな本屋さん&レンタル店が出来たので見に行こうと思っています。

さすがにまだブルーレイはないかな?
息子にプレステを借りてDVDを観ようかしら?

ついでにJINの完全シナリオ&ドキュメントブックも見てみようかと思っています。置いていたらしいので。

TV-Rocker様。お先に失礼しました。

名前:エム (URL編集

Re: こんにちは~

2011/08/09(Tue)02:23

> こんにちは~TV-Rocker様。
> 画像は山Pが出ていた白虎隊ですかね?
> 録画していなかったのでよく覚えていないんですが^_^;

そうですよ(^^)
僕はDVDで借りて見たので、それをパソコンに保存しておいたんです。
なかなかの名作でした。


> 彰義隊や白虎隊はドラマになりやすいですが、その分その前の流れとかその後が省略されてしまう事が多いので、こうやって順を追って書いてくださると勉強になりますね。

読んでいても分かりにくいとは思います。
文章量が少ないですし、特にこのあたり(奥羽越列藩同盟が結成されるまでの流れ)は、一筋縄でいかないややこしいところですからね。
雰囲気というか、大まかな流れだけでも分かってくれたらうれしいです。


> 「獄(ひとや)に咲く花」の映画をご存知ですか?2010年に公開されたらしいですけど、私もよく知りませんでした。ネットのお友達から勧められまして、機会があれば観てみたいのですが。

全く知りませんでした(*_*)
大きな劇場ではやってくれなかったんですかね。
吉田松陰は僕も大好きな人物なので、ぜひ見てみようと思います。
…ただ、ビデオ屋では必ず行く歴史コーナーで見たことはなかったので、こんなときのために加入してあるツタヤの宅配レンタルで調べ、予約しておきました☆

…アップというのは、見た感想をアップしてほしい、ということですよね?
レンタルビデオ店になければ、i-Rockerという手もありますし。

名前:TV-Rocker (URL) 編集

Re: 獄(ひとや)に咲く花

2011/08/09(Tue)02:27

> こんばんは。
> エムさん、TV-Rockerさんじゃないけれど、失礼します。
> 「獄(ひとや)に咲く花」は、けっこうDVDが出回っているので、レンタルを探せば見る事が出来ると思います。
> 私もレンタルで見ました。

ご回答ありがとうございます。
僕は全く知りませんでしたので、助かりました^^;
レンタル屋さんによっても違うんでしょうね、本当に初めて知りました。


> 吉田松陰って、年配の俳優がやることが多いけれど、実際は29歳で処刑されているので、あそこまで熱血かは分からないけれど、この映画の若い松蔭は衝撃的でした。
> 無実の罪で投獄されている未亡人とのプラトニックラブを描くもので、未亡人の役が目黒祐樹の娘の近衛はな。親子での共演も見る事が出来ます。

歴史を追うというより、人間ドラマのようですね。
僕自身、吉田松陰は好きなので、一度見てみようと思います。

名前:TV-Rocker (URL) 編集

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