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続・龍馬伝 (18)奥羽越列藩同盟


龍馬伝第4部タイトル(雲の


慶応4年閏4月20日。
それは、突然、起こりました。
必然といえば必然であり、突発的といえば突発的であった出来事。

※)閏(うるう)月について:
 当時の旧暦では調整のため3年に一度、1ヶ月(30日)増えて1年が13ヶ月となります。
 慶応4年はこの年にあたり、4月のあと閏4月があり、それから5月になります。
 現在の新暦でいう4年に1度の2月29日のようなものだと考えれば分かりやすいと思います。



世良修蔵、暗殺
(『テレビ朝日新春スペシャルドラマ「白虎隊」』より)



世良修蔵。
奥羽鎮撫総督府の参謀として、新政府による東北鎮圧の実権を握っていた人物です。
下手人は、仙台藩らの憂国の志士。


この事件により、奥州に火がつく。
その火は、乾いた草原を燃やすがごとく、奥州・羽州、そして越州まで燃え広がり、やがて東北全体が、血で血を洗う殺戮戦争へと駆り立てられてゆくのです。




【第18回】奥羽越列藩同盟


世良修蔵の名を知る人は、少ないと思います。
新政府による奥羽鎮圧を担った藩士の中では、もっとも過激な部類に属する人物です。
功名心が人一番強い彼は、東北を力づくで鎮圧することにより、手柄を我がものとしようとしていたのです。
仙台の地に上陸して以来、東北諸藩に対しても高圧的な態度を取り続け、地元藩士の恨みを買っていた人物でもありました。

ある晩、彼は長い手紙を書きました。
自分の同僚である奥羽鎮撫参謀に対し、奥羽に対する自らの強硬論を書き綴るのです。
その中に、次の一節がありました。


「奥羽皆敵」(=東北諸藩は、皆、敵と思え)


この手紙が、世良を心良く思わず、彼を監視していた東北藩士の手に渡ります。
「これぞ渡りに船」
彼れはほくそ笑んだことでしょう。
その事件が、やがて東北を血の海に染める全面戦争に発展することになるとも知らずに…
旅籠でのんびりと寝ていた世良は、間が抜けるほど呆気なく絶命します。




彼の暗殺劇は、態度を決めかねていた奥羽諸藩の向かう先を、否応なしにひとつに定めます。
降伏か、抗戦か。もはや、あいまいな態度は許されない。
事態収拾のため白石城に集まった諸藩は、ひとつの結論を導き出します。


奥羽列藩同盟


古来から中央政府に対して反骨の色が強かった奥羽2州。
その血統は、脈々と受け継がれていたのです。
彼らは、会津藩・庄内藩および松平容保に対する不当な処分を批判、「幼き天皇をたぶらかし、自らの覇権を握ろうとする薩長こそ断罪されるべきである」と、徹底抗戦の意思を明白にします。
みちのくの国が団結し、反薩長軍事同盟が締結されるのです。

盟主、仙台藩。
独眼竜・伊達政宗を祖とするこの藩は、幕府の一国一城令の例外を認められた数少ない藩で、仙台城・白石城を中心に国内最大の動員兵力を誇る、東北随一の雄藩。

次いで、米沢藩。
越後の虎・上杉謙信の血統である上杉氏を藩主と仰ぐこの藩は、幕府による転封・減封による苦難の道をたどりながらも、9代目藩主・上杉鷹山(ようざん)の藩政改革により息を吹き返し、その存在感は東北になくてはならないものとなっています。

さらに、秋田藩、盛岡藩、二本松藩…と、奥州・羽州のほぼすべての藩が参加を表明。
翌月の5月には長岡藩など越後6藩も加わり、大小31藩による強大かつ広域な軍事同盟にまで発展します。


奥羽越列藩同盟


奥羽越奥羽越列藩同盟
(列藩同盟の加盟藩。なお、会庄2藩の嘆願がもともとの目的のため、この2藩は加盟していない)


東北31藩による、史上空前の攻守同盟。
さらにこの同盟は、軍事面での協力だけにとどまらず、日本の東北部を明治新政府から切り離し、独自政権を樹立する構想をも含んでいました。
「奥羽越公議所」という機関を設け、ここに同盟諸藩の参謀を常駐させ、同盟のビジョン策定にあたったのです。
彼らの悲願は、江戸奪還および日本の秩序を回復させること。
薩長軍の侵入を防ぎつつ、反転攻勢をかけ江戸に侵攻、さらに全土から旧倒幕派を駆逐、最終的には、統一された日本で近代化を図るまでの広大なプランを練っていたのです。
壮大な計画が、動き出そうとしていました。



そして…二分される日本。
戊辰戦争は、細長い日本を南北に分ける2大決戦へと、発展しつつありました。
その行方は、いびつな形をとりながらも、徹底抗戦を貫いた会津藩によって、多大な犠牲を払う。
双方が激突した4ヶ月間で、戊辰戦争史上、最も多くの血が流れることになるのです。


________________________________________________________

強靭に倒れた、世良修蔵。
彼の墓は、現在、宮城県白石市郊外にあります。
その墓標には、こう刻まれています。

明治戊辰年閏四月二十日於奥州信夫郡福島駅□□所殺年三十四
 奥羽鎮撫総督参謀長州藩士世良修蔵之墓


□□の箇所は、削り取られて判別不可。
それは「為賊」の2字であったと言われています。

「賊」の汚名に耐えかね、東北人によって密かに削り取られた2文字。
それはそのまま、賊軍の汚名に苦しむ、この当時の列藩同盟に参加した諸藩の本音でもありました。



一枚岩に見えた同盟のもうひつの顔。それは、お互いの建前を取り払ったところに見えてきます。

同床異夢

東北諸藩は、ひとつ屋根の下に住むことを決意し、同じ床に就いた。
しかし、それぞれが違った夢を見るがごとく、それぞれの思いはバラバラで、命を賭しても薩摩に一矢報いると息巻いている藩もあれば、藩論が未だ定まらず、迷っている藩もあった。仙台、米沢などの大藩に半ば命令されるような形で同盟に参加させられた弱小藩もあった。
そうして集まったのが、31の列藩同盟。


戦火に晒され、存亡の危機を迎える中で、諸藩の本音が露呈されるときがやってきます。
薩長に降伏して同士を裏切るか、抗戦して逆賊の汚名を被るか。
2者択一の中で、同盟諸藩は揺れ動くことになるのです。






(主な参考資料)
戊辰戦争―敗者の明治維新 (中公新書 (455))
戊辰戦争から西南戦争へ―明治維新を考える (中公新書)
奥羽越列藩同盟 (中公新書)
幕末史(半藤一利著)
図説・幕末戊辰西南戦争―決定版 (歴史群像シリーズ)
一冊でわかるイラストでわかる図解幕末・維新―地図・写真を駆使 超ビジュアル100テーマ オールカラー (SEIBIDO MOOK)



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