< 2017年07月 |  12345678910111213141516171819202122232425262728293031 | 2017年09月 >
ホーム  > スポンサー広告 > 関白相論~(2)権力闘争の勝利者~ > 江~姫たちの戦国~ > 関白相論~(2)権力闘争の勝利者~

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

関白相論~(2)権力闘争の勝利者~


大河ドラマ「平清盛」


来年度の大河ドラマ、キャストが発表されてきましたね。
さすがにNHK。質・量ともに圧倒的なキャスト陣を揃えてきます。
来年は、今年の大失敗の反動から、大河に原点回帰の流れができることを期待します。

さて、来年の大河。
演出家の腕に不安なし。
あとは脚本家が、いかに歴史に真摯に向き合えるかどうか。
言い換えれば、どれだけ脚本家としての自分のエゴを殺すことができるか。
期待しましょう。






信長、秀吉、家康らが天下に覇を競った戦国時代。
その元をたどれば、彼にゆきつきます。
武士台頭の歴史は、このひとりの男によって始まったのです。


平清盛像


来年度大河の主人公。
当時「公家の番犬」と蔑まれていた武家の地位を飛躍的に向上させ、権力の中心に君臨した人物。
保元・平治の乱というわずか2回の戦で武家の頂点に立ち、同時に、最大の政治力をも手に入れた稀代の英雄です。

彼がとった方法が「武士の貴族化」
朝廷勢力の渦中に身を投じ、公家として位人臣(くらいじんしん)を極める。
清盛は、持ち前の政治力を発揮し、異例のスピード出世で朝廷内の最高権力を手に入れます。

太政大臣

現代でいう総理大臣。
しかも、国会で否決されるなんてこともありませんから、文字通りの最高位です。


摂政・関白が空位であれば、この上には天皇のみ。


歴史上、武士が権力を持つ方法を大きくふたつに分けるとすると、これがそのひとつです。
言ってみれば、

「朝廷寄生型」

もともとある大きな権力に寄生するわけですから、何よりも手っ取り早く確実。
さらに、朝廷のトップである天皇は、日本においてはほとんど不可侵に近い権威です。
その天皇に寄生すれば、言葉は悪いが「虎の威を借る狐」で、天皇をバックに自らの影響力を思う存分に発揮できる。
清盛はこれを狙い、天皇家との血縁関係を持とうともするのです。

欠点は、常に寄生元である朝廷の機嫌を取らなければならないこと。
特に公家衆にとっては、武家の人間に対する反発は強く、それらの反対勢力と常に暗闘を繰り広げなければならない。
下手をすれば、朝廷を利用するつもりが逆に利用されていた、ということにもなりかねないのです。
ここに寄生型の限界があり、同時に平家が真の日本の統治者となれなかった限界もここにありました。





平家勢力を破り、初の武家による幕府を開いたのが、来年度大河のストーリーテラー。
まだキャストは決まっていませんが、この男です。


源頼朝


彼の特徴は、京の朝廷勢力とは一線を画し、京から離れた鎌倉の地で幕府を開いたこと。
朝廷から離れることにより、朝廷の動きをコントロールすることはできなくなるが、逆に、朝廷からコントロールされることもなくなる。
もちろん、朝廷(=天皇)の権威は絶対ですから、天皇からその資格を与えられる、という形になります。
それが

征夷大将軍

現代でいう知事のようなもの。
その自治の手法については、朝廷といえど余計な口出しはできなくなります。
総理大臣が、東京都政について都知事に口出しできないのと同じ状況を支配地で実現できるということです。


自治権が及ぶ範囲については、、すべて自分たちが決め、すべて自分たちが実行する。
「朝廷寄生型」に対して、言ってみれば

「武家独立型」

頼朝があくまで関東(鎌倉)にこだわったのは、単に土着武士への配慮だけでなく、清盛の二の舞を演じてはならない、という強い危機感があったからではないかと思います。
朝廷の絶対的な権威を放棄してでも、自らの自主独立を保とうとした。
結果、頼朝の思いは北条家へと受け継がれ、「鎌倉時代」というひとつの時代を築くことになるのです。

________________________________________________________

秀吉がこの両者を比較した時に、頼朝方式を理想にしたのは歴史の結果から考えて、当然といえます。
だからこそ彼は、征夷大将軍を欲した。

だが、征夷大将軍の性格上、関東を平定していない者にその地位を与えることはできない。
(このあたり、朝廷の地位というのはかなりメンドクサイのです)


結局、秀吉は「武家独立型」を断念し、「朝廷寄生型」を選んだ。
ただし、太政大臣より上位の関白の地位を得たのは、さすが秀吉の名人芸と言えます。
関白殿下の妹君と母上を人質として受け取った家康は、さすがに世間の体面上、大坂に出向かないわけにはいかず、家康を臣従させた秀吉は、その後短期間で、全土統一を果たすことになるのです。




今回は前置きが長くなり、秀吉についてはほとんど何も書けませんでしたが、この段階での権力闘争の勝利者は、最終的には秀吉が手にしたということを分かってもらえれば…と思います。
政治的判断力については、家康より秀吉のほうが数枚上手であったのです。




ブログ記事一覧へ>>



ワンクリックの応援お願いします


関連記事

承認待ちコメント

2013/03/05(Tue)03:56

このコメントは管理者の承認待ちです

名前: () 編集

コメントの投稿

コメントの投稿
装飾
非公開コメント


トラックバック

トラックバックURL


▲page top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。