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関白相論~(1)征夷大将軍の挫折~


「関白相論」


聞きなれない言葉ですが、秀吉がドサクサにまぎれて関白の地位をかすめ取った、その一連の流れを指します。
『江』では、前々回の『江』第16話「関白秀吉」で描かれていました。
ちなみに、アインシュタインの「相対性理論」とは何の関係もありませんリラックマ4「汗」アタリマエダロ…


このあたりはデリケートな問題で、いろんな説もあるようですが、今回は、僕がもっとも妥当かつ面白いと思った流れを中心に、このいきさつを書いてゆきたいと思います。
一応、全2回の予定。次回は来週ということでお願いします。





織田様は神を目指されていました


『江』「関白秀吉」からの1シーン。

この回、けっこう好きなんですよね。戦国ものでは「実力がすべて」という名のもとに軽視されがちな、官位をめぐる話を1話まるごと使ってやってくれましたので。
いつもの下らない付け足しのせいで茶番になってしまった感はありますけど(まあ、このドラマの特徴ですから…汗)、それでもいいシーンはあったように思う。
そのひとつが、このシーン。

前後があまりに幼稚なので、見逃しがちのシーンですが、結構深いことを言っています。
つまり、信長は、たとえば征夷大将軍や関白のような、既存の地位には目もくれなかった。
それらを超越する「地上の神」という存在になろうとした。
これはいったい、何を意味するのか。
今回は復習も兼ねて、そこから述べてゆきたいと思います。





信長のトレードマークといえば、皆さんおなじみですね。


『天下布武』


この当時、世の中は大きく3つの大きな権力によって成り立っていました。
すなわち「朝廷」「武家」「寺院」です。
(詳しくはまぼろしの安土城(3)天下布武を読んで下さい)


中世の最大権力300


朝廷勢力の地位は、当然、現代の我々が想像する以上に高い。
寺院勢力は相次ぐ戦乱による武家勢力の地位上昇に伴って、相対的に地位を落としていましたので、権力の強さの順位は、こうなります。

「天皇」
「朝廷」(トップは摂政・関白、次いで太政大臣)
「武家」(トップは征夷大将軍)
「寺院」(トップは各宗派法主)


摂政・関白は天皇の代理、征夷大将軍も天皇が任命する官位なので、日本の権力の中心には常に天皇がいることになります。
その天皇は朝廷サイドの人間なので、嫌が上でも朝廷が権威的には一番上に君臨することになる。
ただし、戦乱により地方は戦国大名の自治支配地域となり、朝廷に権威はあっても、直接的な政治的影響力は京周辺に限定されていた時代です。

力こそすべて。
日本の歴史上、最も実力主義の時代。




信長は、足利義昭が打診した副将軍依頼を断っています。
さらに本能寺の変の前には「征夷大将軍か、太政大臣か、関白か、なにかひとつをお前にやるぞ」と言った朝廷の申し出にも返事をしていません。
あの事件がなければ、やはり信長は申し出を蹴っていただろうと思います。

彼は、既存の権力に興味はなかった。
既存の権力を得ても、結局それは、天皇(=朝廷)中心の権力構造の歯車のひとつに組み込まれるに過ぎない。
彼がやりたかったことは、既存権力の破壊なのです。
天皇をも含む今までの仕組みをガラガラポンでリセットして、新たに、自分が中心となる武家政権の枠組みを作ろうとした。

※現代でいうと、出世して総理大臣になろうというのでなく、クーデターを起こして国会も内閣も憲法も全部ぶっ潰して、自分が中心となるまったく新しい国家を作ろうとしたことに当たります。
 発想としては「革命」もしくは「国家転覆」という、非常識な危険思想ですが、それだけに成し遂げていれば、歴史にその名を刻むことになります。






さて、一方の秀吉。
彼は、同じ武家政権の樹立でも、信長のようにすべてを破壊する過激なやり方でなく、武力で全土を統一し、武家の棟梁である征夷大将軍となって、全土に影響力を行使しようとした。

※現代でいうと、まずは総理大臣を目指し、総理になってから自分の好きなように法律を変えてやろうという考え方で、信長とは違い、極めて常識的な考え方です。
 後の家康がとったやり方でもあります。


だからこそ、山崎の合戦以降ずっと、「武」によって敵対する相手を斬り従えてきた。
秀吉が「小牧長久手の戦い」で家康を破り、さらに関東の北条氏を破ってさえいれば、彼は征夷大将軍になれたはずでした。


「征夷大将軍」


その由来は、「東国(=関東)の(えびす)どもを伐する」ことから来ています。
信長に征夷大将軍の話が舞い込んだのも、彼が甲斐の武田氏を滅ぼし、さらに北条氏とは同盟関係にあったからです。
家康に敗れ、北条氏とも敵対した結果、三河より東には一歩も兵を出せない状況となった秀吉が「征夷の資格に非ず」と朝廷から失格の烙印を押されたのは、至極当然のことです。

俗説にあるような、足利家の養子・猶子云々以前の問題だったのです。




征夷大将軍




征夷大将軍の放棄は、武家の頂点としての天下統一の放棄を意味します。
彼は、大きな軌道修正を余儀無くされたのです。


しかし、ここからが秀吉流。
ふつうの武士ならば思いも寄らないような妙手により、日本一の座を射止めるのですが…
それは、次回に致しましょう。




(主な参考資料)
戦国合戦大全 (下巻) (歴史群像シリーズ (51))



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