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小牧長久手の戦い~(2)三河奇襲~

天正12年3月21日。
秀吉は、10万とも号される大軍を率い、大坂を出発します。
家康・信雄連合軍の5倍以上の大軍勢です。


兵力差で優位に立つことにより敵の戦意をくじき、勝利をもぎ取る。
山崎の戦いも、賤ヶ岳の戦いも、その方程式で勝ちを拾ってきました。
しかも今回は、敵兵力の5倍という圧倒的な兵力差。
間違いなく、勝てるはずでした。

相手が、家康でなければ…



秀吉が戦場で見たものは、広大な平野にそびえたつ、ひとつの山。
そして、その山頂に築かれた城。
城の周りには2重の堀がめぐらされ、その城を支えるように効率的に築かれた、砦や土塁の数々。
そこに家康がいるということだけで、秀吉には、その城が、何倍もの大きさに見えたことでしょう。


小牧山城・遠景500


小牧山
濃尾平野の真ん中にぽつんと立つこの小さな山は、あたかも、海の中に浮かぶ孤島のように見えます。
その山頂に築かれた小牧山城は、いわば、その孤島に建てられた灯台のようなもの。
まわりを一望できるこの城は、尾張の防衛戦略上、極めて重要な軍事拠点でした。
そこに、家康がいたのです。


秀吉方からすると、サーチライトで照らされるがごとく、小牧山城の家康から、常に軍勢の動きが見張られていることになります。
かといって、小牧山城と周囲の砦は見事な連携を保っていて、下手に攻めれば、砦という砦から攻撃を加えられ、それこそ座礁する難破船のように、家康の餌食になりかねない。
家康は、小牧山を中心として、周囲にいわば軍事的な暗礁地帯を構築していたのです。


秀吉は、力押しの愚かさを悟ります。
羽黒からさらに南にある楽田(がくでん)に本陣を構えると、小牧山付近の砦に対抗して、自らも、小牧山を北と東から包囲するように砦を築き始めます。
楽田と小牧山までの距離は、わずか7km。
この小さな場所に、双方の砦が戦略的意図をもって、密集していくのです。


小牧山城からの眺め500



築城合戦


賤ヶ岳と同じような現象が、ここでも起こりつつありました。
ただし今回は、攻めあぐねているのは相手方でなく、自分の側なのです。
相手側から約2kmしか離れていない場所に砦を築きつつも、秀吉は、それでも攻めることができません。

「守り」の徳川。
あの忍耐強い家康が防衛に徹している以上、その殻をこじ開けることはこの時の秀吉にはできなかったのです。
悠々と構える家康。


一方、焦る秀吉。
家康が小牧山城に入って以降、秀吉軍は、まともな攻撃を行えず、日々のみが虚しく過ぎゆくだけでした。
しかも、尾張という、いわば自分たちのホームグラウンドに拠点を構える家康に対し、アウェーとして乗り込んできた秀吉は、時間が経てば経つほど兵の不要な緊張感・兵糧を輸送する労力など、すべてが不利に働きます。
このまままでは、滞陣の疲労が蓄積してゆくのみ。



築城合戦が始まって、1ヶ月弱が経過。
そのような状況の中、秀吉の陣営で、軍議が開かれます。
この閉塞感を打開するための方策を諸将に問うたのです。

その席で、池田恒興・森長可から、奇襲作戦が献策されます。
羽黒の戦いの汚名をすすぐべく、思い切った作戦を彼らは出してきたのです。

「家康が小牧山城から出てこない以上、この城を落とすのは倍の兵力をもってしても困難だと考える。
 ならば、家康が、小牧山城を放棄せざるを得ない状況を作り出せばよい」


そう切り出し彼らが提案したのが、

三河奇襲

家康が最前線に出ていることを逆に利用し、相手方の虚を突く作戦。
戦略としては、的を射たものでした。
秀吉は逡巡しつつも、膠着状態がこれ以上続けば自軍が不利になるだけであると、作戦を許可。
即座に2万の軍隊を編成します。


天正12年4月6日夜。
三河奇襲部隊、進発。
この局面を打破する、起死回生の策となるはずでした。

相手が、家康でなければ…



(主な参考資料)
その時歴史が動いた「秀吉・家康 たった一度の直接対決」~天下取りの知恵くらべ~(2001年)
「今日は何の日?徒然日記」様より ~「秀吉VS家康~犬山城攻略戦by小牧長久手の戦い」ほか~

戦国合戦大全 (下巻) (歴史群像シリーズ (51))



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これを、見たいのに

2011/04/24(Sun)09:13

小牧・長久手の戦いの解説ありがとうございます。これを、充分費用をかけた画面と役者さんで見たかったです。先日も歴史秘話ヒストリアで家康をやっていましたが、最近のドラマでは普通の家康像ではありきたりでつまらないと思っているのか、やたら脚色された家康ばかりを見せらているのでかえって新鮮でした。
「天地人」ではダークな面ばかり、「江」ではすべてを見通した一段高いところにいるような人物として・・・
本当の家康は(この時点では)まだ若く、自分の領地や家臣を守るためにひたすら努力し秀吉に相対していたのだなあ、と感じています。
「江」での小牧長久手はあたかも信雄の勝手で始まり、信雄に振り回された周りの人たち、という雰囲気になっていたので私にとっては???でした。
TV-Rockerさんの解説によって毎回勉強させていただき、胸のつかえが下りる毎日です。

名前:ミミエデン (URL) 編集

Re: これを、見たいのに

2011/04/25(Mon)13:31

> 小牧・長久手の戦いの解説ありがとうございます。これを、充分費用をかけた画面と役者さんで見たかったです。

ありがとうございます!
そう言っていただけると、頑張ったかいがあります!
僕も、こういう本格的な小牧長久手の戦いを一度見てみたいです。


> 先日も歴史秘話ヒストリアで家康をやっていましたが、最近のドラマでは普通の家康像ではありきたりでつま
> らないと思っているのか、やたら脚色された家康ばかりを見せらているのでかえって新鮮でした。

『ヒストリア』は僕も見ましたよ。
さすが歴史解説番組だけあって、王道の家康でしたね。
…ただ、よくを言うと、視聴者に分かりやすくするためか、家康の行動すべてを「鳴くまで待とう時鳥」の言葉に集約してしまったのは残念でした。特にこの時の家康は、軍略では一流のものをもっていても、人心掌握では秀吉に及ばず、小牧長久手の戦いで局地的であれ勝利を収めたのにも関わらず、その数年後に、秀吉の策に身動きが取れなくなり、臣従せざるを得なくなるわけですから。
それすら「家康が、戦の勝利を最大限に利用して・・・」と、あたかも家康の手柄のように表現したのは、家康主役の回といえど、少し話を単純化しすぎているような気がしました。


> 「天地人」ではダークな面ばかり、「江」ではすべてを見通した一段高いところにいるような人物として・・

『江』の家康は、たぶん、天下を取ったあとの家康がタイムスリップしてきているんですよ。
未来人です、彼は(笑)

名前:TV-Rocker (URL編集

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