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続・龍馬伝 (12)無血開城への道~(承)勝・西郷会談~


龍馬伝第4部タイトル(雲の



慶応4年3月6日。
山岡鉄舟を駿府へ送り出した後、勝はひとり静かに思いを巡らせていました。
9日後に到達するであろう、江戸西岸から容赦なくやってくる大津波。
到達したが最後、あらゆるものを呑み込み、江戸を瓦礫の山と変えてしまうことは確実でした。


【第12回】無血開城への道(承)
     ~勝・西郷会談~



この時、江戸は大混乱に陥っていました。
「薩長軍が迫っている」この噂が噂を呼び、様々なデマや風評が飛び交います。
家財を処分し、江戸を離れる人が続出していました。
民心を鎮めるため【相手方の西郷とすでに話をつけてあるからもう大丈夫。市民は平常通り、家業に精を出してほしい】と、勝がウソの高札を立てなければならないほどだったのです。



勝はこの時、覚悟を固めつつありました。

「背水の陣」

もし交渉が決裂し、討伐軍が江戸に攻めかかってきたら、非常の手段を取る。
江戸の町を犠牲にしても、薩長の暴挙を食い止めねばならない。


彼は、江戸の町を守るという考えを、頭から捨て去ります。
260年の間に拡大し続けた江戸の町は膨大で、たとえ兵を分散して配置しても、15万の江戸攻撃軍の防波堤には成り得ず、江戸の町は徳川の誇りもろとも、薩長の大津波によって粉砕されるであろう。
ならばいっそのこと、敵軍を無傷のまま江戸に向かい入れてやろうではないか。


「焦土作戦」

敵軍を江戸町内の懐(ふところ)深くに引き入れたのち、町のあらゆるところから火をつけ、江戸全体を炎の壁で取り囲む。
その時を見計らって、江戸に対して内向きに配置した兵を一斉に蜂起させ、江戸の町もろとも奴らを殲滅させる。
多くの犠牲と引き換えに、彼らの暴挙を軍勢もろとも灰燼に帰す。



江戸の範囲500
(これ以降の説明で出てくる地名も同時に載せています)



勝は幕臣の大鳥圭介に対し、ナポレオン戦争を引き合いに、この作戦を打ち明けています。
80数年前、無敗のナポレオンがロシア帝国の首都モスクワに進行した際、ロシア軍が自国の町を焼き払ってナポレオンの侵攻を遅らせ、最終的には徹底させた事例に習おうとしたのです。


勝は、やくざやテキ屋、威勢のいい河岸の連中、火消しなどに話をもちかけ、「いざとなったら号令をかけるから、いっぺんに火をつけてほしい」と触れて回るのです。
同時に、ありったけの舟と船頭をかき集めて、江戸の町民を脱出させる手はずも整えてゆきます。
江戸じゅうに顔が利く生粋の江戸っ子・勝麟太郎だからこそできる離れ業ですが…

それを踏まえたとしても、明らかに無茶な作戦です。
たとえ江戸じゅうの舟をかき集めたとしても、江戸150万の町民を全員救うことができるわけがない。
この作戦が実行させれば、相当数の犠牲を覚悟せねばならない。
民を第一に考える勝らしくもない、無謀な作戦の準備を勧めていったのは、どういう意図があってのことなのか。



…僕は、これは勝から東征軍に対してのメッセージではないかと思います。
このような大掛かりな動きが、新政府軍に伝わらないわけがありません。
江戸に送り込んだスパイにより、西郷らはその状況を手に取るように掴んでいたに違いない。
勝海舟は、こう言っているのです。


我々は「天下の公道」にもとづき、戦は避けるべきであると考える。
それでも、あなた方が戦を仕掛けるとするなら、仕方がありません。
戦を致しましょう。
そして、火の海となった江戸で、お互い滅んでゆこう。

この作戦が実行されたならば、我々は全滅するが、あなた方もただでは済むまい。
それでも、焦土と化した江戸を、150万の無辜(むこ)の民(=罪なき人々)の血と憎しみと悲しみで染まり切った江戸を、あなたは占領するというのか。
怨恨の血を吸収した大地に、あなた方は一体どんな国家を建設するつもりなのか。







3月11日。
西郷隆盛が、緊迫する江戸に入ります。

ほどなく、新政府軍の本営が池上本門寺に入ります。
さらに、東山道を進んできた先発隊が、板橋に姿を見せました。
こうなると、もはや、勝のウソっぱちの高札は役にも立ちません。
南北に包囲された江戸は完全にパニックに陥り、町民の不安は極限にまで達します。

その中、西郷から、降伏条件の折り合いについて、勝に会談の申し出があります。
ついに、ふたりが交錯する瞬間がやってきました。
13日に一度会い、明日の会合に向けて下準備を行ったふたり。
そして、江戸城総攻撃前日の3月14日、運命の会談が開かれるのです。


勝・西郷会談



西郷が指定した場所は、江戸の薩摩藩蔵屋敷。
江戸城とは目と鼻の先です。
障子一つ挟んだ隣の部屋には、村田新八・中村半次郎らが刀の鞘に手をかけた状態で控えています。
勝がおかしな動きをみせようなら、即座に手にかけるつもりでした。
静かな、しかし殺気を周囲に漂わせる中、両者は対面します。


2人の叩き台は、西郷が山岡に手渡した降伏条件。
これで勝がOKサインを出せば、すぐにでも合意に至るはずでした。

しかし江戸城に長くいた勝は、この条件では城内抗戦派を納得させられず、最悪の場合、条件に不満を抱く旧幕府側と江戸討伐軍の間で、大規模な戦闘になる可能性があることをすでに見抜いていました。
実際、城内にくすぶる不満分子に対し、勝は大久保一翁など恭順派とタッグを組み、「必ず、徳川家を存続させる条件を西郷に呑ませてやる」と啖呵を切って出てきたのです。


彼がもっとも問題だと感じたのは、第一条でした。
前回の記事を参照)

「徳川慶喜の身柄を備前藩に預ける」


備前藩は現在の岡山県にあり、新政府軍勢力圏の奥深くに位置します。
いわば、将軍が新政府により幽閉される形となり、その後切腹させられようが打ち首にされようが、旧幕臣は何ら手立てができなくなるのです。
たとえ戦を選択してでも、この条件だけは呑めない。
備前でなく、水戸藩お預けにするよう西郷に迫ったのです。


さらに、徳川家臣団に対しても食い下がります。
新政府軍にすべてを奪われた上、裸一貫で当時田んぼしかない向島(=現在の墨田区あたり)に移ったとしても、生計の成り立つ保障はない。
勝は、西郷に毅然と言い放ちます。


勝海舟(北大路欣也)の総攻


「ただし、あなた方が私の条件を呑んでいただけるなら、江戸城を明け渡す。
 私を信じて、明日の江戸城総攻撃は中止していただきたい」
勝は、西郷にそう訴えるのです。



西郷は、難しい判断を迫られます。
もし勝が口だけの男であるなら、口実をつけて軍艦や武器の引渡しを延期させ、機を見て手のひらを返したように我々に刃向かおうとするだろう。
あくまで約束を反故にするための、単なる舌先三寸か。
いや、「幕臣・勝海舟」は、果たしてそのような男か。

西郷は、4年前、初めて勝海舟なる人物に会った日のことを思い起こしていたのかもしれません。
幕臣でありながら彼は、自分の立場を顧みず幕府を批判し、新しい国家構想をいち藩士である西郷に惜しげもなく披露、将来の日本の取るべき指針を西郷に示したのです。



西郷は、勝を信じます。
そして、決定的な一言を発するのです。


西郷アップ(篤姫)の総攻撃


この後予想される、総攻撃中止に反対する身内すべてを説き伏せる覚悟を決めた上での、西郷の一言。
もちろん、慶喜の処遇に関しては彼の一存で決められるわけはなく、京に帰って、太政官(=新政府首脳)の話し合いをもたねばなりません。
徳川家臣団の処遇や軍艦・武器などについても、反対意見が出されることは明白でした。
しかし彼は、勝海舟という漢を信じたのです。

勝への信頼感・自らの使命感・覚悟…そのようなものをすべて心の内に呑み込み、このたった一言で、西郷は自分の意志を表現したのです。


不世出のふたりの英雄によって、江戸150万の命が救われる道は開けたのです。




(主な参考資料)
その時歴史が動いた「勝海舟」~江戸城無血開城はなぜ実現したか~(2003年)
幕末史(半藤一利著)
図説・幕末戊辰西南戦争―決定版 (歴史群像シリーズ)
一冊でわかるイラストでわかる図解幕末・維新―地図・写真を駆使 超ビジュアル100テーマ オールカラー (SEIBIDO MOOK)



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