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まぼろしの安土城(3)天下布武


『江~姫たちの戦国~』第3話で、そのシーンはありました。

家康のもとに、信長の非情の命令書が届く。
「内通の疑いあり」とされた、正室・築山殿と、実の子・信康に対する処断です。
その手紙の中にも、この印象は使われていました。


天下布武の印(手紙)


『天下布武』


言わずと知れた信長のトレードマーク。

「天下に武を布(し)く」と読み、「武力で天下を統一する」という信長の強い意志の表れであると、一般的には思われています。
信長が岐阜を拠点とした頃から印章として使い出した言葉ですが、信長自身がこの言葉の意味を明確に説明した記録は見当たらず、真意は信長と共に本能寺の灰と化し、永遠にナゾのままです。

…ですから、そこがミステリアスなんでしょう。
「信長が言いたかったのは、きっとこういうことなんだ」と、さまざな諸説が飛び交い、その解説だけでも1冊の本が作れそうな勢いです。


今回は、その中で、僕が一番「信長らしい」と思った説をひとつだけ紹介します。
それが正しいか間違っているかは、皆さんがご判断下さい。

________________________________________________________


○信長の部下掌握術


信長という男は、自分の考えをいちいち部下に説明する男ではなかっただろうと僕は思います。
命令を出すにも、「こういう理由だから、こうするんだよ」なんて優しいことはしない。

ただ、命じる。
その理由は、一切言わない。



そうすることによって、部下は、信長の真意を汲み取ろうと必死になる。
部下の思考能力を高め、有能か無能かの判断を下す材料に使ったと同時に、信長の意図を常に考えさせることによって、部下を信長信者としてマインドコントロールさせる狙いもあったのではないか。

もちろん「天下布武」の説明も一切行っていない。
記録が残っていないのでなく、最初から説明なんてしていなかったのだと思います。


○「武」の真意


「天下布武」とは、何か。

たとえば、天下布武の「武」を、単純に「武力」と考えるのでなく「武家勢力」と広い意味で考えればどうか。
すなわち「武家による天下統一」

それでも、信長以前にはすでに源頼朝が武家による政権を樹立していますし、のちの秀吉や家康は天下統一を成し遂げたわけですから、このスローガン自体は、目新しいものでも何でもない。

しかし、考えてみて下さい。
源頼朝は確かに武家政権を樹立し、ある一定の権力を得ましたが、権威という意味では、京の朝廷にはるかに及ばなかった。
のちの秀吉は、関白となります。平清盛と手法は似ていて、自らを朝廷に組み込ませ、その最高位に就くことによって権威を得ようとした。
家康は、政治権力をほぼ手中に収めた人物ですが、朝廷の権威までは奪うことができず、その存続を許した。


○三大権力の統合


その当時は「朝廷」「武家」「寺院」という3つの大きな勢力があり、その均衡(パワーバランス)によって成り立っていた時代。それぞれの勢力が補完し合って、権力基盤を築いていたのです。


中世の最大権力300


足利義昭を利用し入京を果たした後、彼を畿内から追放、室町幕府を崩壊させることによって、実質的に武家のトップは信長となりました。
常識的には、残りの「朝廷」や「寺院」の各勢力との融和を図りながら、権力を強固なものにしようとするようなものですが…
信長は、違った。
彼は、残りの勢力を排除し、完全な武家単独での権力基盤を築こうとしていたのではないか。


・寺院勢力の駆逐

比叡山を焼き討ちし、石山本願寺を和睦によって骨抜きにする非道の道も、「寺院勢力の排除」を狙ったものだと考えれば、納得できます。
西の本願寺と東の比叡山延暦寺は、浄土門と聖道門という仏教の2大教義の総本山であり、京の都の東西の玄関口を塞ぎ、寺院勢力の頂点に立つ存在です。
その2大巨頭を叩くことにより、寺院勢力を駆逐しようとした。


・朝廷勢力の駆逐

残るは、朝廷勢力。
信長は、安土城天守の脇に、天皇の御所である「清涼殿」に似た建物を建造していたことが分かっています。
安土城内に天皇の住まいする部屋をつくり、天皇を安土に行幸させる手はずも整えていました。
さらには、天皇の権限である「暦の制定」にまで口を挟み、自分の意のままにしようともしていた。
自分の下僕として、天皇をも支配下に置こうとしていたことは明白です。

…それでも、さすがに比叡山のように御所を焼き討ちすることはできない。
朝廷の権力は奪うことはできても、権威を奪うことはできません。
有史以来の天皇および朝廷の権威は絶対・不可侵のもので、歴代の武家政権はそこに苦慮し、家康でさえ、朝廷の権威は認めざるを得ませんでした。


信長は、その禁断の領域にもメスを入れようとします。
彼が行った方法は、まさに「神をも恐れぬ所業」と言うにふさわしい。

それは、信長自身が、

「地上の神」

になるというものだったのです。
天皇も、日本有史から悠々たる歴史をもってはいるが、人間であるのには変りない。(天皇が明確に神格化されるのは、昭和以降になってからで、この当時は一般的な認識として「人間」でした)
ならば、人の生殺与奪の権をもつ神になれば、天皇すら自分の掌中に置くことができる。
そう信長は考えたのではないか。


○安土城における体現


今回の記事を、連載「まぼろしの安土城」の最後にもってきたのには理由があります。

安土城の内装を思い出して下さい。
5階に宇宙をイメージした八角形の設計とし、欲や怒りの煩悩にまみれた人間を超越した存在である仏陀を描かせたのはなぜか。
6階に中国故事の三皇五帝の神話王朝の姿を描かせ、最上階のシンボルにしたのはなぜか。
それら天守を「天主」と呼ばせたのはなぜか。

天守に住まいする信長こそが、天の主つまり「地上の神」である

ことを象徴的に表すためでなかったのか。



また、来世を信じぬ信長が、安土城郭内に「見寺」という寺を建立したのはなぜか。
そこに何を祀るつもりであったのか。

そこに祀られるのは「信長自身」であり、

生きた信長を御神体として祀ることによって、信長自身を「地上の神」として神格化させる

狙いがあったのではないのか。


○信長の国家構想


こう考えると、すべてが一直線上につながってくるのです。
一切は信長の目指す、新しい国家構想を実現するため。


信長の目指した中央集権国家



つまり信長は、極めて近代的な思想を持っていたことが分かると思います。
その象徴が「天下布武」という言葉であり、それを具現化したものが「安土城」であった。
「地上の神」という神秘性に隠された、彼の先見性や卓越した合理性に、頭が下がります。




(主な参考資料)
一冊でわかるイラストでわかる図解戦国史(SEIBIDO MOOK)
戦国合戦大全 (上巻) (歴史群像シリーズ (50))
戦国合戦大全 (下巻) (歴史群像シリーズ (51))



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