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浅井戦記(3)「滅亡の章」


浅井戦記


【3】滅亡の章


元亀3年10月。

山が、動いた。
甲斐の虎・武田信玄がついに立ち上がります。
目指すは、京。


風林火山の旗




彼には、成すべき大事がありました。
「上洛し、天下に号令をかける」
甲斐の山奥で温めていた悲願が、今まさに、実現しようとしていたのです。

先行する別働隊が、信長の領地・美濃や家康の領地・三河を攻撃しつつ、武田信玄の本隊は徳川の領地を悠々と進み、家康の居城・浜松城もまるでそこにないかのように素通りします。
無視された家康が城から出て武田軍の背後を突こうとすると、武田軍は待っていたかのように見事に反転、家康軍を粉砕。

「家康ごとき若造は歯牙にもかけぬ」と言わんばかりの、信玄の貫禄を見せつける戦でした。
今日、

三方ヶ原の戦い

と呼ばれているものです。
信玄が甲府を出てから、2ヶ月のちのことでした。


三方ヶ原の戦い500




「信玄、動く」の報は、恐らく浅井長政にも届いたであろうと思われます。
小谷城を囲うようして陣を敷き睨みをきかせていた信長軍が動揺する姿が、彼の目には浮かんだかも知れません。
しかし、信玄が北近江に到達するためには、まず尾張・美濃の信長軍を破らなければなりません。
それまで、籠城戦を続けることができるのか。


頼みの綱は、朝倉義景でした。
彼が信玄の動きに呼応して美濃を西から攻撃してくれれば、信長軍は東の武田軍と同時にふたつの戦線を抱えねばならなくなります。
信長軍の主力が小谷城を囲っている今ならば、東西の戦線に兵員を割くこともできず、東西で各個撃破できる可能性は極めて高い。
そして、信長軍が本国の防衛のために小谷城の包囲を解き、退却を始めた時こそ、朝倉勢と協力して信長の追撃戦を行えばいい。あわよくば、信長の首を小谷へのみやげとする。


武田との挟撃作戦
前回の記事にも画像を追加しましたので、よければ見て下さい)




浅井長政にとっては最大のピンチですが、「最大のピンチは最大のチャンス」
ここを凌ぎさえすれば、朝倉・武田両氏が必ず危機を救ってくれるはずだ。
彼は、そう期待していたのかもしれません。


元亀4年。

…しかし、彼の期待はもろくも崩れ去りました。
朝倉義景は、動かず。
彼は信玄の出現により信長の圧力が軽減されたのをいいことに、素知らぬ顔で自分の領土で遠目見物をするばかりでした。
さらに、信長に単独で対抗できる唯一の存在である武田信玄が、志半ばにして病死してしまいます。
信玄は、さぞ無念であったろうと思います。
これにより武田軍は上洛を断念し、信長最大のライバルは姿を消したのでした。




こうなれば、信長の行く手を阻むものはもはや誰もいません。
信長包囲網の檄文を送ったにっくき足利義昭を京から追放、畿内からも追い出し、室町幕府はここに事実上の終焉を迎えるのです。
残る大きな敵は、朝倉・浅井両氏のみ。



小谷城を木下秀吉(この頃、羽柴と改姓しています)に包囲させた上で、自身は大軍を率いて一乗谷に迫ります。
朝倉義景を一乗谷を捨てて逃げ出しますが、最後はいとこの裏切りに遭い、自害。
信長のもとに、朝倉義景の首が届けられ、朝倉家は滅亡します。


返す刀で、信長は小谷城に総攻撃をかけます。
朝倉の援軍のない浅井軍はなすすべもなく、浅井長政は自刃。
のちに嫡男の万福丸も信長によって処刑され、浅井家も朝倉家と同じ運命を辿ります。


朝倉・浅井の最後




ここに、信長を苦しめた元亀争乱は終わりを告げるのです。
元亀4年8月末。既に年号は、天正と改められていました。


________________________________________________________

短い連載でしたが、今回で「浅井戦記」は終了です。

それにしても、何度も信長討伐の機会が訪れながら、なぜ朝倉・浅井連合軍は、信長の息の根を止められなかったのでしょうか?

1度目は、浅井長政が信長に反旗を翻したその時。(1章より)
2度目は、信長包囲網が完成し、信長を京に孤立させたその時。(2章より)
3度目は、武田信玄が上洛軍を進め、信長に迫ろうとしていたその時。(3章より)


いずれも、決断さえしていれば、信長の首級をあげることも夢ではなかったはず。
ここに、朝倉・浅井両氏の限界をみるような気がします。


「朝倉と浅井の相互依存の関係」

お互いに強固な同盟で結ばれ、助けあって生きてきた。
平和な時代であれば、それこそよき同盟相手でありえたでしょう。

ただ、非常の人・信長の前ではどうであったか。
再三指摘しているように、

「朝倉義景は、この強敵を前に、一か八かの戦をする度胸がなく、最後まで直接の戦いを避け続け、浅井長政は、怯える朝倉義景に対し直接対決を決断するよう説得することが最後までできなかった」

これが両氏の限界です。
浅井長政は、もはや動かない朝倉を頼るべきではなかったのです。独力で信長に対抗する手立てを打つべきであった。


朝倉は信長の緩衝材として浅井を頼り、浅井は信長の対抗勢力として朝倉を頼った。
この相互の甘えた依存関係を断ち切らない限り、両者の未来はなかったのだと思います。




さて、明日の『江』第2話は、どんな話になることやら…



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