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続・龍馬伝 (3)「鳥羽伏見の戦い」前夜


龍馬伝第4部タイトル(雲の



小御所会議では参加すらさせてもらえず、自分のいないところで、徳川家を愚弄する決定を下された慶喜。
並の人間であれば、この決定に怒り狂い、自分の権威をもってして旧幕府軍を総動員し、不毛な戦争に突っ込むところですが…

彼は、京都の二条城から大坂城へと、アッサリ退去します。
二条城に集まっていた旧幕府軍や会津・桑名藩らが怒りのあまり偶発的に新政府軍に対し戦を仕掛けることを危惧し、自ら身を引いたのです。

大政奉還以降の慶喜は、あくまで冷静でした。
このあたりは「…鳴くまで待とう時鳥」の家康の忍耐強さをみるようです。


【第3回】「鳥羽伏見の戦い」前夜


「徳川慶喜」という人間は、長所と同じくらい短所をもち、欠点と同じくらい利点をもつ人間ですが、今回はその「長所」が彼の中でうまく作用したようです。
感情に走り不用意に戦を起こすことを避け、小御所会議の決定に従う態度をみせます。
彼はあくまで、天皇隣席の上での決定を重視したのです。

※余談ながら…
こういったところ、彼の忍耐強さと共に、水戸の血が色濃く出ていると感じます。
水戸藩は、2代藩主徳川光圀(水戸黄門のモデルになった人です)が日本の歴史を後世に残すために行った『大日本史』の編纂がきっかけになり、「われわれが今生きている日本の国は、天皇を頂点とした素晴らしい国なんだ」ということが再認識され、「尊皇思想」が根付いたと言われています。
この考えが、のちの鳥羽伏見の戦いにおいても彼の行動を縛るになるのです。




そういった慶喜の態度に対し、諸藩から

「慶喜同情論」

が起こりはじめます。

計算高い岩倉具視でしたが、所詮は御所内でしか力を発揮できないタイプの人間です。
京を離れた地方でのこういった同情論は予想さえできず、有効な手を打てずあたふたするだけでした。
彼は「世論」というものを何一つ知らなかったのです。


一度は小御所会議で辛酸をなめた春嶽・容堂ら公議政体派でしたが、この流れを利用し、一気に徳川擁護の巻き返しに転じます。
彼らは御所での会議に諸藩の同情論を持ち込み、「慶喜を外したままでは地方が納得せず、日本は治められない」と反転攻勢に出るのです。

その結果、小御所会議以降の朝議では公議政体派は優勢となり、辞官納地は形骸化。
12月下旬には慶喜の議定就任までもが内定し、右大臣とはいかないまでも、慶喜の政権参加に大きく拍車がかかりました。


慶喜、政権の一翼へ




この流れに待ったをかけたのが、薩摩勢です。
公家は京のことしか知らず、彼らに任せていてはやがて地方の慶喜擁護論に京が呑み込まれると危機感を抱いた西郷は、この不利を強引に乗り切ろうとします。

彼は部下に命じて、浪士どもを率いて江戸市中で強盗や放火などを行わせますが、その際、「薩摩藩が裏で手を引いているようではあるが、証拠がないのでなんとも言えない」という、何ともあやふやな状況を作り出します。
これにより江戸では、地下で薩摩と旧幕府勢力とが対立。
怒りのマグマは、静かに、しかし確実に、沸々と江戸全体に溜まってゆきます。


…そして、とうとうその時はやってきました。
薩摩支藩の佐土原藩が江戸警護に当たっていた庄内藩の屯所へ発砲したという事件をきっかけに、庄内藩の人間が浪士どもの拠点になっていた三田の薩摩藩邸に放火するという事件が起きてしまいます。


薩摩藩邸焼き討ち事件


この知らせが大坂城に届くと、大坂の旧幕臣や佐幕派に火がつきます。
その声は、慶喜の足下まで迫っていました。
もう慶喜にも、止めることができません。
彼は意を決し、翌年の元旦、薩摩討伐を宣言します。


『討薩の表』



大坂城を発ち、淀城に布陣する旧幕府軍。
京都御所を射程距離圏内に収め、その数1万5千。

対する討幕派は、京都御所警護の兵が臨戦態勢を整えます。
その数5千。


鳥羽伏見の戦い前夜(図解・矢印なし)



戦の火蓋は、切られようとしていました。





(主な参考資料)
一冊でわかるイラストでわかる図解幕末・維新―地図・写真を駆使 超ビジュアル100テーマ オールカラー (SEIBIDO MOOK)



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2011/01/07(Fri)09:57

おはようございま す☆
まず、いわせてくださーい!
オモシローイ!

教科書では、こんなことがあったというだけの歴史の勉強。
こーゆーふうに、その人物の感情、行動の理由(憶測ですけど)を含めながら、教えてもらいたかった。それがなきゃ、ただの史実になっちゃいますもんね。

それと、もうひとつ、言わせてくださーい!

500円札あったの、一応こどものころですからあぁぁ(必死)

よろしくお願いしまーす(笑)

名前:ベベウ (URL) 編集

Re:

2011/01/08(Sat)02:13

そうですよね、子供の頃ですよね。
いや、なんか僕も、オカシイなぁと思ってたんです。
いやはやスミマセン。。。汗
(必死)がなんだかすごくかわいらしい(笑)


あと、褒めていただき、ありがとうございます!

僕も、学校で習っていたときは歴史は今ほど好きでなかったんですよ。「その時歴史が動いた」とか「大河ドラマ」などの影響で、社会に出てからだんだんと興味が出てきました。
「歴史」と大仰に言っても、所詮はひとりひとりの意志の積み重ねですから、そこに関わった人がどう考え、なぜ、そのような行動を取ったのか、自分がその人になり切って想像してみると、歴史の世界はぐっと広がりますよ☆お試しあれ☆☆

名前:TV-Rocker (URL編集

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