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続・龍馬伝 (2)小御所会議


龍馬伝第4部タイトル(雲の



慶応3(1867)年12月9日。
王政復古の大号令の大号令が発せられたその日の夕方、京都御所では、新体制による初めての会議が行われます。
それが今回のテーマである、


【第2回】小御所会議


幕末の御所周辺図500


幕末の政争の表舞台となった京都御所。
京都御所の周辺は9つの門があり、その門全てを固めることで、御所は完全に封鎖されます。
今回のクーデターも、この門を閉め切って行われたものです。


京都御所500


さらに御所(上の図では禁裏)内は、このようになっています。(方位に注意)
その中にある「小御所」内で、将来の日本を決定づける重要な会議が行われたのです。

________________________________________________________

明治天皇の御前で開かれた「小御所会議」
その性格を一言で言うと、


「討幕派と公議政体派の主導権争い」


○討幕派
「徳川家を完全に排除した新政府を目指す」

岩倉具視
大久保利通
※西郷隆盛(御所警護のため会議には参加せず)
有栖川宮熾仁親王(岩倉派の皇族)
中山忠能(岩倉派の公家)


○公議政体派
「徳川家も含めた新政府を目指す」

松平春嶽
山内容堂
後藤象二郎
徳川慶勝(元尾張藩主)




ついに、運命の会議が始まります。
岩倉らが主張したのは、この一点。


徳川の辞官・納地


「辞官」とは、将軍職を辞退した慶喜の内大臣就任をも辞退させること。
「納地」とは、徳川家の領地を朝廷が没収すること。
徳川慶喜を政治に参加させないばかりか、その力も根こそぎ奪ってしまおうという冷徹な主張です。
当然、春嶽や容堂らはこれに猛然と反対します。

当初、会議の主導権を握ったのは山内容堂でした。
かねてから岩倉・大久保・西郷らの露骨な徳川排斥の動きに苛立っていた容堂は、酔った状態で参内します。
彼は、会議に慶喜が列席していないことを問題視し、持ち前の弁舌でたたみかけます。
「今まで功績のあった慶喜を会議に参加させるべきである」という彼の主張は理にかなっており、会議は公議政体派のペースで押し切られるとも思われたのですが…
「王政復古以来、一切の決定は一部の人間の陰険な策略である」と批判している途中、酔っていた勢いもあり、


幼冲の天子(容堂)


と口走ってしまいます。


これを見逃さなかったのが、容堂以上の弁舌家であった岩倉具視。


幼冲の天子(岩倉)


と、その発言を問いただし、容堂を封殺。
天皇隣席の前で「幼冲(ようちゅう)」という言葉を使ったことに対し、不敬を非難したのです。
そして、会議の流れを引き戻します。


それでも、山内容堂・松平春嶽は強硬に自らの意見を主張。
会議は紛糾し平行線のまま、休憩を挟みますが…

休憩中のこと。
会議での様子を伝え聞いた西郷は、「短刀一本あればことは済むこと」と、容堂暗殺の意志もにじませていたともいわれています。
とにかく岩倉は一歩も譲る気はない。
彼は、後藤象二郎に自らの覚悟を伝え、容堂を説得してもらえるよう依頼します。


事ここに至り、譲歩もやむなしと考えた後藤は、容堂を説得し、ついに岩倉の主張が通ったのです。


________________________________________________________


王政復古の大号令から、徳川の辞官納地が決定した小御所会議までの一連の流れを差し、歴史的には


『王政復古のクーデター』


とも呼ばれています。
この一連の流れを振り返ったときに、

「人材の差が、パワーゲームの勝敗を決した」

と言わざるを得ません。

討幕派は、策略家で弁が立つ岩倉具視が策を練り、武力を一手に握る西郷隆盛がそれを力で支え、そして、岩倉と比する策謀家である大久保利通が、公家と薩摩の利害を上手く結びつけ、公家に躍らされることなく、薩摩の主張を見事に通した。

一方の公議政体派は、容堂は策謀家で弁も立つのだが、肝心なところでふんばりがきかない。春嶽は理論家で人に慕われる性格なのですが、権謀術数に疎いところがある。後藤象二郎は西郷に負けず力押しのできる人物なのだが、ブレーンがいないと路頭に迷い気弱になるところがある。
なにより、お互いがバラバラなため、お互いの弱点を相手に突かれて負けてしまったのだと思います。


こんなとき、龍馬がいたら…
「後藤様、ここは石にかじりついても、辞官納地には反対して下さい。
わしが何とか西郷や大久保さんに妥協してもらえるよう、説得しますき」
と、公議政体派の意志を一本にまとめ上げるような、明確な方向を示してくれたのではないでしょうか。



雲の上の龍馬さん…あなたならどうしますか?




(主な参考資料)
一冊でわかるイラストでわかる図解幕末・維新―地図・写真を駆使 超ビジュアル100テーマ オールカラー (SEIBIDO MOOK)



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