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「坂雲」第6話解説~義和団事件~


義和団事件



日露戦争への大きな引き金となった「義和団事件」を取り上げたと思います。
清朝最後の排外運動でであり、結果論で言うと、この事件がきっかけで清は完全に崩壊し、滅亡に追いやられるのです。
この事件を抜きにして、『坂の上の雲』は語れません。


まだ見ていない方は、臥薪嘗胆の記事を先に見ておくことをオススメします。

________________________________________________________

(1)事件までの道のり


もともと中国の歴史は、漢民族と周辺の異民族の争いでもありました。
殷・周・秦・漢…とつづく中国の歴代王朝を覚えた記憶がある方も多いのではないかと思うのですが、現代の中華民国(台湾)や中華人民共和国(中国)の前の王朝がこの清王朝です。
もともとは満州に根を張る異民族である女真族のヌルハチが満州一帯に建国した国で、やがて中国全土の統一に成功するのです。


時あたかも帝国主義の幕開け。
この王朝は中国史上初めて、本格的な欧米列強の侵略を受けることになります。



イギリス国旗 イギリス

フランス国旗 フランス

ロシア国旗 ロシア



この3国により、清の領土は徐々に侵食されてゆきます。
イギリスはアヘン戦争により香港を獲得、主要港を貿易の拠点として開港させます。
フランスも、イギリスと組んでアロー戦争を起こし、中国進出をうかがいます。
ロシアはそのどさくさに紛れ、沿海州を獲得し、東アジア進出の拠点として軍港ウラジオストクを建設します。


しかし、列強はまだ恐れていました。

眠れる獅子


広大な国土と膨大な人口、そこから生まれる巨大な経済規模。
そしてその巨大な国家を周辺国も含め統治し続けたという歴代王朝の揺るがない歴史。
列強はこの大規模市場に進出して莫大な利益をあげるため、自国に有利な通商条約を結んできましたが、本格的に植民地化に乗り出すことはしませんでした。
本気を出した清の反撃を恐れたからです。
それだけヨーロッパ国家にとってこの東洋の巨大帝国は未知なままで、ミステリアスに富んでいた。


この当時、清の力を正確に評価することができたのは、ある意味、古くから中国を見てきた、隣国の日本だけだったかも知れません。

そして起こったのが、



日清戦争での旅順戦闘



開戦のわずか半年あまりのち、事実上、日本は清を破ります。


そのニュースは瞬く間に世界中を駆けめぐり、列強を驚かせます。
彼らが驚いたのは、日本の強さよりむしろ、清の弱さや脆さでした。
大勢の陸軍兵士と強力な海軍力を持ちながら、組織の命令系統がバラバラで、個々の力が分散し、自滅していった清国軍。
もはや清の内部崩壊が始まっていることを列強は見抜くのです。




こうなれば早いもの。
死肉をむさぼるハイエナのように、日本も加わり、彼らは、清の領土を次々と植民地化します。


清の植民地化(国名入り)


中国(CHINE)と書かれたパイが、列強により分割されている風刺画です。
実際には、下の図のような領土分割が行われました。
(正確には、この図は清王朝滅亡直前の植民地支配を表しています)


列強の中国進出2500


イギリスは長江流域を押さえ、フランスはその南部を掠め取る。
ロシアは遼東半島から満州への鉄道の施設権を得て、支配を強めてゆきます。
それにドイツが加わり、山東半島を支配する。
日本は日清戦争の対価として、台湾の日本初の植民地化に成功します。


清は手足をすべてもぎ取られ、心臓(北京)と胴体(その周辺)を残すのみになってしまいます。




(2)事件勃発


欧米列強による清への侵略。
それにともない、キリスト教など欧米文化が流入し、民衆の不満は徐々に高まってゆきます。

1899年末。
やがて、ドイツの支配下にあった山東省を中心に、宗教的色彩の濃い秘密結社「義和団」が民衆の不満を吸い上げ、ついに民衆による大規模な暴動へと発展します。


義和団事件3


彼らは外国人はもちろん、同じ清人でもキリスト教信者には暴行を加え、舶来物を扱う商店、鉄道、電線にいたるまでを攻撃、破壊しながら、勢力を拡大し、北進してゆきます。
ついに北京まで到達、北京と天津周辺は義和団によって溢れ返るような状態になるのです。
その数およそ20万。
北京の各国領事館は、濁流に呑み込まれる寸前でした。


義和団の進路


彼らは、

扶清滅洋

「清を扶〔たす〕け洋を滅すべし」
つまり、外国勢力を排斥し、清を復興させよ、と旗をかかげ、その勢いは留まるところを知りません。
この頃には、無差別な略奪などを行い、もはや完全に暴徒化していました。


この乱を利用して、列強の勢力を清から駆逐しようと目論んだ人物がいました。
「扶清滅洋」という義和団のスローガンをたくみに利用したのです。


西太后(蒼穹の昴)300

西太后


清朝末期の最後の実力者です。
列強に「宣戦布告」し、植民地化を進める各国との全面対決の姿勢を打ち出すのです。
この判断の愚かさを、彼女はのちに思い知ることになります。



暴徒化した義和団はドイツ公使、日本公使館員を殺害、北京の領事館を包囲。

1900年5月。
この危機に、八ヵ国からなる列強各国の連合軍が結成されます。
最も多かったのは日本の兵士で、ヨーロッパ各国は清に最も近い日本に鎮圧の舵取りを任せたのです。
この時、秋山好古も兵站任務として参戦しています。
彼らは天津を攻略し、いよいよ北京に向かいます。

一方の、北京領事館。
日本軍の柴五郎中佐が実質的な連合軍司令官となり、わずかな手勢ながら、60日間にもおよぶ籠城戦を成功させます。のちに彼は、イギリスはじめ各国から勲章を授与され、その功績を讃えられました。

そして8月14日、ついに連合軍は北京を解放します。
義和団はやがて清朝にも見放され、各地で散り散りになったのちに連合軍により各個撃破され、自然消滅してゆきます。


北京入場後は連合軍による略奪、暴行、強姦、殺傷…と、「かれらがやった無差別殺戮と掠奪のすさまじさは、近代史上、類を絶している」と、司馬遼太郎さんも『坂の上の雲』で述べています。
列強との条約改正という難問を抱えていた日本は唯一、略奪などを行わなかったことはドラマでも紹介されていました。




(3)事件その後


清朝は、国家としての形態を失い、事実上、内部崩壊します。
列強は植民地化をなおも進めてゆきます。
ロシアは満州から撤兵せず、完全に支配下におきます。
そして、朝鮮半島をめぐり日本と対立し、日露戦争へと発展してゆくのです。


清王朝が完全に滅亡したのは、10年後の1912年のことでした。




(主な参考資料)
『坂の上の雲』歴史紀行 (JTBのMOOK)
日露戦争史 - 20世紀最初の大国間戦争 (中公新書)
NHK高校講座・日本史「日露戦争」


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