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龍馬が描いた日本(1)


「龍馬伝」は終わりましたが…
自分の中では終わっていない、龍馬の足取りを追う旅路。
今回も、その続きです。



青菜に塩



龍馬の死後、薩長を中心として明治政府が樹立され、新しい日本が動き出します。
しかし新政府内部では、やれ薩摩藩だ、やれ長州藩だ、と藩閥抗争が耐えません。
晩年の龍馬に最も近い立場にいた陸奥宗光は、その様子を見、こう皮肉ったといいます。
「龍馬あらば、今の薩長人などは 青菜に塩」と…

ちなみに「青菜に塩」とは、生き生きとした青野菜に、塩をかけるとしわしわになってしまうことから、元気のあった人が急に威勢を失うことをいいます。
「薩長の生き残り連中も、龍馬がいない今だから威勢よくやっているが、龍馬がいたら自分たちの小ささに気付かされ、たちまち元気を失うだろうよ」
陸奥のこの言葉は、明治政府を皮肉ると同時に、龍馬を失った哀しみを表現しているような気がしてなりません。




龍馬が描いた日本。
彼は、どのような日本を思い描いたのでしょうか?
「龍馬伝」の締めくくりとして、この部分はどうしても記事にしておきたかったのです。


今日は、その政治理念を取り上げてみたいと思います。

________________________________________________________

大政奉還という歴史的偉業がなされた翌日、早くも龍馬は新国家の人事案を書き上げます。
それが


『新官制擬定書』


この行動の早さは、彼が、大政奉還前から新国家の構想を時間をかけて練りあげていたことを意味すると思います。
ドラマでは、「新政府綱領八策」(例の○○○の文章です)を書いたあとに人事案を考えたことになっていますが、実際は人事案が先だったのです。
これは、龍馬が「人こそ国家建設の骨格である」という強い考えをもっていた証とも取れると思います。
その人事案は、以下の通り。


新官制擬定書



龍馬はイギリスの議院内閣制をお手本にした政治を目指していたので、天皇の下に自らが理想とする民主主義体制を作ろとしました。
彼が、それまで勝海舟や大久保一翁、横井小楠らの知恵を吸収し、当時流行っていた諸藩による雄藩連合からさらに考えを発展させた、いわば龍馬なりの政治の最終形態になろうかと思います。


まず、天皇を補佐する「関白」
天皇の分身・代理といってもよく、これは皇族の血統により選ばれます。

その下が「右大臣」
実務の実質的な責任者で、下の議奏や参議の統轄者(いわゆる議長の立場)。ここに龍馬は徳川慶喜を持ってきます。
このことから、後の「新政府綱領八策」の「○○○自ら盟主と為り…」の○○○には慶喜公が入ることが明白です。龍馬が実名を出せなかったのは、薩長討幕派からの反発が痛いほど目に見えたからでしょう。

そして、天皇を支える「議奏」
政策を審議し、天皇に奏上する役目をもちます。
立場的には上院にあたります。
ここには皇族と有力大名を持ってきます。メンバーを見て分かるように、いずれも革命派で、幕府側(老中・若年寄など)や佐幕派大名(松平容保など)の名前は入っていません。

さらに、もうひとつの政策審議機関である「参議」
立場的には下院にあたります。
ここには公家や諸藩の藩士の名前がみえますが、ここも議奏同様、革命側の人間で固められていることが分かります。



龍馬はこれを書き上げた約1ヶ月後に死んでしまいますので、この名簿の真意は分かりません。
ただ、いろんな解説書を参考に僕が思うに、こういうことではないでしょうか?


まず、徳川慶喜を実質的な最高位(今でいう内閣総理大臣)にもってくることで、幕府や佐幕側の反乱を抑える。
これは、内乱を防ぐ龍馬のギリギリの選択だろうと思います。
これにより、旧幕府軍が新政府に対し反乱を起こすことは、自らの主人である慶喜の政権に反乱を起こすことになり、そのような大義名分が立つはずがありません。
結果的に反乱が起こったとしても散発的なものにとどまり、組織的・大規模な反乱は防がれる。

その上で、その下を革命派が固めることで、政治の実権は革命派が握る形を崩さない。
彼らのメンバーは実に多彩で、龍馬亡き後の明治新政府が薩長土肥といった藩閥政治で固まっていったことから考えると、オールジャパンの様相を呈していることが分かります。
もちろん、自分の故郷・土佐に有利な人事は一切していません。
こういった人事は、やはり坂本龍馬だからこそ成し得ただろうと思いますね。

おそらく、欲をいえば龍馬はここに永井尚志、勝海舟、大久保一翁、小栗忠順ら幕府の優秀な頭脳を参加させたかったと思いますが、現実的なことを考えて、あえてリストには載せなかった。
彼らをリストに載せていたら、まず、薩長側の反発は免れない。
そうなれば、仮に強引に実現させたとしても、旧幕府側と旧倒幕側の対立の再燃になってしまう可能性が大です。
(今日の民主党と自民党の国会での不毛な争いを見ても、そういった組織対立が国家の成長にとっていかにマイナスであるか、よく分かると思います)
このあたりは、理想主義に走らない龍馬の現実思考が生きていると感じます。

あとは慶喜の処遇ですが、彼に議奏や参議の決定についての拒否権を与えなければ、まさに名誉職。
さらに、慶喜の後任を徳川家からの世襲でなく議奏からの推薦によって選ばれる(いわゆる選挙)という仕組みにすれば、現在ほどでないにしろ、当時とすれば画期的な『開かれた政治』が実現される。

このようなことを、龍馬は考えていたのではないか。


…と、僕なりにイメージを作ってみました。
龍馬の考える新政府(=国家)を一軒の家に喩えると、こういうことではないか?


新官制議定書



右大臣・徳川慶喜は、一番見晴らしのいい3階の部屋を独占し、気分はいいが、家の家事に対する権限は全くもっていない。
議奏は2階の部屋を使い、家の家事一切を取り仕切る責任をもつ。
参議は1階の部屋を使い、議奏が取り上げるまでもない細々としたことや、基本的なことがらを取り扱う。
こうして、それぞれが役割を分担し、一家が平和に暮らせる。

これは僕の想像も多分に入っていますので、細かい点は学者さんからツッコミが入るかと思いますが、僕のような素人でも分かるようにあえて単純化すると、こうなろうかと思います。




龍馬は、幕府の最高位であった将軍・慶喜を起用するなど、現実を踏まえながらも、あくまで、すべての日本人が参加する、民主主義の理想を目指した。
おそらく、この深淵な思想は、西郷はじめ血気にはやる当時の討幕派には到底理解できなかったに違いない。
彼らがこのリストを見て激昂したことは、容易に想像がつくのです。



そして、明治。
龍馬亡き後の日本。

その崇高な理念と比べたときに、慶喜を排除したあとも身内の藩閥争いに終始する明治新政府のメンバーは、陸奥宗光にとってはさぞや小粒に見えたに違いない。
そのような陸奥の万感込めた思いが、最初に挙げた言葉にも現れていると感じます。





(主な参考資料)
坂本龍馬と海援隊―日本を変えた男のビジネス魂 (講談社文庫)
[図解]坂本龍馬の行動学



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2010/12/07(Tue)19:19

こんばんは。

スゴイ!
あたしなんて、ただ、漠然と見てただけですから。

自身の意見を絡めつつ、見解をきちんと示されて。

面白かったです☆

名前:ベベウ (URL) 編集

Re:

2010/12/08(Wed)01:22

ありがとうございます!

僕も、たぶんこのブログがなかったらただ見ていただけになっていたと思いますが、ブログの記事のネタを探しているうちに、いろんな本も読めて、こういった記事も書けるようになりました。
1年間の積み重ねは大きかったです。僕もこの1年でいい勉強をさせてもらいました!

名前:TV-Rocker (URL編集

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