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龍馬暗殺現場の真実(1)


 龍馬暗殺特集


そう題して、今日から数回に分けて、龍馬暗殺の真実を追いたいと思っています。


かなり細かいところまで描写します。
本によっては、記述が違うところも出てくると思います。
僕も数冊の本の中で、書いてあることが違うところも多々出てきました。


そこで今回は、僕が今まで得た知識の中で、一番しっくりくる内容を記事にするつもりです。
前述の通り、細かい描写が違っても「こういう説もあるんだ」と、広い心で見て下されば幸いです。




木戸貫治から警告の手紙2


これは、長州の木戸貫治が、以前龍馬に宛てた手紙です。
(一部意訳しています)
大政奉還前に出された手紙ですが、龍馬に身辺を警告するこのような手紙を書かねばならなかったほど、彼は佐幕派から目を付けられていたことが分かります。


龍馬が大政奉還の総仕上げのため入京した頃には、

土佐の坂本が、浪士300人を引き連れ、密かに京に入ったらしい


そんな大げさな情報が幕府に入り、佐幕派に必要以上の緊迫感を与える結果になります。

龍馬が引き連れてきたのは、300人どころか、陸奥陽之助、白峰駿馬、宮地彦三郎の3人だけで、それが100倍に誇張されて伝わったのは、薩長が京に潜伏した兵と混同したからでしょうが、この一件をもっても、いかに龍馬が幕府および佐幕派から要注意人物としてマークされていたかが分かります。
永井尚志のように龍馬に理解を示す人間は暁天の星で、幕府側のほとんどは『反龍馬』だったのです。


その中での、大政奉還。


反龍馬派の怒りはピークに達したことが予想されます。
そして…運命の日がやってきます。


________________________________________________________

【11月15日】


奇しくも、龍馬32歳の誕生日。
(…といいたいところですが、歴の関係で実際には31歳と11ヶ月ちょっとです)


当時の龍馬は、「近江屋」という醤油屋に身を隠していました。
土佐藩邸の近くにあり、土佐藩御用達の醤油屋です。


近江屋の周辺図


主人の井口新助は龍馬の身を案じて、近江屋の裏側にある土蔵を隠れ家として提供します。

土蔵の中には密室が作られていて、万一の場合にはハシゴを使って、裏の墓地に逃げられるようにしていました。
普段はこの土蔵で起居していたようですが…


この日の龍馬は折悪く風邪をこじらせ、土蔵でなく母屋に移っていました。
この日龍馬を訪れたのは、以下の4人。
海援隊隊士の宮地彦三郎。
儒学者で龍馬や中岡との交流も深かった板倉槐堂。
土佐藩士で龍馬とも面識のある岡本健三郎。
そして最後に陸援隊隊長・中岡慎太郎。
龍馬自身も、合間をぬって外出し、土佐藩参政の福岡孝弟を2度に渡って訪問しています。


このことからも、この日も龍馬は、全く無警戒であったことが分かります。
たとえば、風邪のため土蔵に潜伏できないと分かっていながら、2度も外出する
→跡をつけられて近江屋に入るのを目撃され、そこを襲撃されたら逃げ場がないのです
それにも関わらず、4人の訪問者を向かい入れ、しかも、陸援隊隊長の中岡慎太郎をも訪問させている
→4人が近江屋に出入りするところを見られていたら、その線上に龍馬の名が浮かんでくることは必至



始めに書いた、木戸貫治の手紙が思い起こされると思います。

「あなたは誰に対しても寛大なのがいいところだけど、乱れたこの世の中では、それが命取りになるよ」

皮肉にも、この忠告が的中してしまうのです。



中岡が訪問したのは、土佐藩士の宮川助五郎の処置についてでした。
この「宮川なにがし」なる人物、幕府が三条大橋に立てた御札を引き抜いて新選組に捕らえられ、京都町奉行所に預けられていたのですが、大政奉還を機に身柄を土佐藩に引き渡すから、取りに来てほしい幕府側から言われていたのです。
中岡は、前述の福岡孝弟から「宮川は、陸援隊で預かってやってほしい」と言われ、龍馬にその相談にやってきたのでした。


宮川の話が決着すると、中岡はかねてからの主張であった武力倒幕論を改めて龍馬に打診するものの、龍馬は幕府の出方を見てからでもよいではないかと諭し、議論を戦わせます。


そこに、土佐藩邸に出入りする貸本屋菊屋の倅、峰吉がやってきます。
彼は、中岡の使いっ走りをしていた人物です。

その後、前述の岡本健三郎もやってきます。

しばらく雑談していると、龍馬は峰吉に頼みごとをします。
腹がへったのでしょう。
「四条木屋町に鳥新(とりしん)という鳥屋があるから、そこで軍鶏(しゃも)を買ってきてくれや」
ヘイ承知と峰吉が立つと、岡本も「ヤボ用があるから…」と去ろうとします。

中岡は「また亀田の所か」と冷やかしたそうです。
実は、岡本には亀田という薬屋に愛人がおり、またお前はそこに行くのか、とからかったのです。
岡本は顔を赤らめながら、峰吉と共に近江屋を後にします。
中岡は、龍馬が引き止めたこともありその場に残りました。

時刻は、夜の9時過ぎ。
中岡と議論を重ねる龍馬。


そして…運命の時を迎えます。


(つづく)




(主な参考資料)
坂本龍馬のすべて(平尾道雄編)
龍馬のすべて(平尾道雄著)
[図解]坂本龍馬の行動学



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