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諏訪神社祭礼外人傷害事件


長崎諏訪神社の伝統行事

「長崎くんち」

現在もつづいている、秋のお祭りです。
例の龍踊りとか、神輿とか、そのあたりは「ニッポンのお祭り」のイメージでしょうか。
僕は行ったことも見たこともありませんが、公式ホームページを見る限りでは、非常に華やかです。


長崎くんち


ちなみに「くんち」とは、旧暦の9月9日に行ったことからその名がついたそうです。
現在は「ここのか」と読みますが、「くにち」つまり九州北部の方言で「くんち」と言うそうで。
なんともウソのようなホントの話。



今から143年前。
この「長崎くんち」で、ある事件が発生します。
当時の激動の国内事情からすれば小さな事件。
ですが、龍馬にとっては大きな事件でした。


1867年9月11日。
2ヶ月前に起こった「英国水夫殺害事件」つまり「イカルス号事件」がようやく解決し、海援隊の疑惑が晴れた、その翌日のことです。

諏訪神社の祭礼で盛り上がる長崎。
そのお祭りの最中、男性2人が何者かに斬りつけられます。
被害者は、イギリス人水夫とアメリカ人。
またもや外国人の刃傷事件です。

お祭り気分に浮かれ、遊女にからんでいた2人の外国人。
そこに居合わせた武士が咎め、それをきっかけに口論になり、ついには刀を抜いたのです。
しかもその犯人というのが、土佐商会に務めていた2人の土佐藩士であることが、その後の自首で分かります。


ようやく海援隊の嫌疑が晴れた翌日に起こったこの事件。
龍馬はじめ岩崎弥太郎や関係者は頭をかかえたことでしょう。

抜刀した者を切腹させよという意見が出れば、いっそのこと土佐へ逃亡させ証拠を絶つべきだという岩崎弥太郎の意見も出されます。
しかし、龍馬と佐々木高行(ささき・たかゆき=後藤象二郎と同じく土佐藩政を支えた代表者のひとり)は、そういった意見をすべて退け、こう言います。

「我々は、イカルス号事件において、あくまで公平な裁定を要求した。
 ここで我々が事件を隠蔽したことが万が一、明るみになればどうなるか。
 イカルス号事件においても真犯人を隠したと思われるに決まっておろう。
 そうなれば、土佐商会、海援隊、ひいては土佐藩全体の信頼が失墜するのは明白。
 ここは、公正に奉行所に届け出るべきである」



その日のうちに2人を長崎奉行に届け出、同時に、イギリス領事館にも報告します。
この土佐藩側の毅然とした態度が功を奏します。

イギリス領事館からは、
「外国人を殺傷するこのような事件では、日本人はどうも隠したがる癖があり、我々は常日頃から不快に思っていた。しかし土佐藩の処置は公明正大であり、国際的な信用を得るに足る行為である」

と、事件に対する土佐藩側の対応に満足し、龍馬が一番恐れていた「事件の長期化」は防がれます。


龍馬も、さぞや胸をなで下ろしたことでしょう。



(主な参考資料)
龍馬のすべて(平尾道雄著・高知新聞社)



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