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「薩土盟約」~薩摩と土佐の知恵比べ


まずは、ドラマ上の演出をどうぞ。
短い言葉のやり取りの中に、薩摩と土佐の思惑が見え隠れして、非常にいいシーンだと思います。
同盟というのは方針が一致する者同士が結ぶだけでなく、目指すべき方向が正反対でも同盟を結ぶことがあるんだ、と感じさせるシーンでもあり、現代の国家間交渉をも考えさせれれます。
もっとも、急激に移りゆく政局の中で、薩土盟約は大政奉還を待つことなく、わずか2ヶ月半で解消されてしまうのですが…





薩摩と土佐。
両者が公式に接点をもった初めての機会が、この「薩土盟約」です。

お互いに目指すべき方向の違う両者が結んだこの盟約。
そこには、それぞれの思惑が絡み合った「キツネとタヌキの騙し合い」がありました。


(1)土佐の藩論

土佐藩の方針は、ズバリ「大政奉還による平和的政権交代」
それは、ドラマ中の後藤象二郎のこの言葉に表れています。

「戦、言うがは、するぞするぞと脅しをかけて、最後まで一本の矢も放つことのう、相手を降参させる。
それが、見事な勝利と言うもんですろ」


つまり、土佐藩は「大政奉還」による平和的な政権交代を目指していますが、決して武力を否定しているわけではない。
もともとキレイごとの平和革命なんて存在しないことは、後藤象二郎も、坂本龍馬も、十分認識していただろうと思います。特に坂本龍馬は、一般的には「平和主義のヒーロー」的に扱われることの多い人物ですが、実際は、亀山社中や海援隊は各藩への軍事物資運搬で成り立っていましたし、この時期もせっせと軍事力を蓄えています。
しかしそれで戦争を起こそうというのではない。
彼らがやりたいのは、

武力を背景にした「平和革命」

武力の背景なしに政治権力が交代するこうとはありえない。彼れはそれをしっかりと認識していた。いやしくも権力が移転するのですから、奪われる立場の現権力者(=幕府)が抵抗するのは当然のことです。こちらに武力的優位がある場合にのみ、平和的に権力を移行させる交渉を行う余地が出てくるのです。
彼らは、決して理想論のみで「大政奉還」を訴えたわけではないのです。



(2)薩摩の藩論

一方の西郷隆盛らの薩摩藩は、四侯会議での政治介入の失敗により、「もはや話し合いで慶喜を説得することはできない」と藩論がほぼ固まりつつあった状態です。
彼らがやりたいのは、

武力を背景にした「武力革命」

慶喜は政治に長けた男であるから、なまじ平和的に権力交代を目指したところで、結局は彼の政治力によりいつの間にか権力を奪い返されるに違いない。
ならばいっそのこと、武力の優位があるならば、その武力を用いて幕府を討てばいい。
四侯会議で煮え湯を呑まされた薩摩らしい、彼らからすると当然の意見です。

※ちなみに、薩土盟約の1ヶ月前に、西郷は中岡慎太郎を通じて乾退助(中岡と同じく武力倒幕を主張する土佐藩士、のちの板垣退助)を呼び、彼と秘密に討幕協定を結んでいます。ただし、もちろんこれは、西郷が乾退助個人と結んだ条約であり、土佐藩を拘束する内容ではありません。



(3)条約の内容

相反する主張をもつ両藩が結んだ条約。
それは、7箇条から成っています。

一.政治の全権は朝廷にあり、国の制度や法律は京の議事堂から発すること
二.議事院の費用は諸藩が拠出すること
三.議事院は上院と下院の2院制にし、議員は公卿・諸侯・志士・庶民の中から広く有志を推挙すること
四.慶喜は政権を朝廷に返上し、将軍職を降り諸侯の一員となること
五.諸外国との条約交渉は新たに任命された外交員が行い、新条約を制定し通商を行うこと
六.朝廷の改革も同時に行い、摂政・関白など古来から慣習的に続いてきた制度の廃止も含め検討すること
七.議員に任命された者は公明正大な議論を行うこと

つまり要点は、

・「大政奉還」により、徳川を諸侯(藩主)と同格にする
・「王政復古」(=朝廷が政権を担うこと)を実現させる


ということで、土佐の藩論を推進する内容になっています。
具体的な内容は「船中八策」の影響も色濃く出ていますね。



(4)薩土両藩の思惑

もともと薩土の同盟を切り出したのは、土佐藩です。
四侯会議の解体後、京では薩摩藩による武力蜂起の噂がしきりに立っていました。
その薩摩の動きを封じ、薩摩に大政奉還を協力させる狙いで、薩摩に会談を申し込んだのです。


一方の薩摩藩。
土佐の藩論に協力する内容になっているにも関わらず、これを受け入れます。
その背景には、何があるのか。
これは、ドラマ中の大久保利通の言葉に表れていますね。

「ただし、大政奉還が成らんかったときは、徳川との決戦をするお覚悟を。
戦になれば、当然、土佐藩も挙兵していただきます」


つまり、こういうことです。
ひとつは、武力倒幕の準備がまだ整っていなかった薩摩藩は、その準備のための時間稼ぎをしたかった。そこで、形の上だけでも土佐藩の公議政体論に協力する形をとり、武力倒幕のカモフラージュを狙ったこと。
もうひとつは、四侯会議での慶喜の態度から、彼が大政奉還を受け入れ、将軍職を辞して諸侯と同格の座に甘んじることなどあり得ないと踏んだ。そこで、慶喜の大政奉還の拒否を討幕の大義名分にすると同時に、土佐藩を討幕に参加させる材料にしようと狙った。


※ちなみに、薩摩が盟約を結んだ背景としては、他に「西郷は、武力倒幕と大政奉還、どちらに転んでも薩摩が影響力を残せるように二股をかけておきたかったんだ」という意見や、のちの大政奉還後の西郷の動きから「西郷は、徳川家との武力衝突は大政奉還をさせ徳川を丸裸にしたあとで行おうとしていたので、大政奉還を進める土佐の方針には賛成であったんだ」などの意見もあります。
(このような立場の人は、龍馬が進める大政奉還に西郷が反対する理由はなく、龍馬を積極的に殺す理由もないことから、薩摩の暗殺黒幕説を否定することが多いです)
歴史の真実は結局のところ分かりませんが、僕としては一番整合性が高いと思われる、ドラマ上でも採用された「武力倒幕説」を採り、それをもとに記事を書いていることを付け加えておきます。




お互いの腹の内は読みつつも、薩土は条約を結びます。
さあ、ここからです。
土佐が、薩摩を出し抜くのか。
薩摩が、土佐を出し抜くのか。

薩摩と土佐の知恵比べが、いよいよ始まるのです。





(主な参考資料)
一冊でわかるイラストでわかる図解幕末・維新―地図・写真を駆使 超ビジュアル100テーマ オールカラー (SEIBIDO MOOK)
Wikipedia「薩土盟約」


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