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幕府側の対倒幕派戦略


ジリジリと迫る、倒幕包囲網。
薩摩の武力倒幕にせよ、土佐の大政奉還にせよ、「幕府の権力を奪う」という点では同じであり、そういった危機に対して、幕府側もただ指をくわえて待っていただけではありません。

彼らも、幕府維持のため、対倒幕派戦略を練っていたのです。

つまり、現在の体制のままではいずれ倒幕派にやられてしまうだけだ。
幕府内部から改革を起こし、幕府体制を強化する必要がある。
そのように、幕府内部から立ち上がった人たちが当然いた。
今回は、その中心人物2名を例に挙げ、その改革を見てゆきたいと思います。


※最近特にそうですが、今日はさらにマニアックな記事でスミマセン。


○小栗忠順(軍事改革)

ひとりはこの人。以前、「海援隊」最大のライバルの記事でも取り上げたので、覚えておられる方も多いのではないかと思います。
小栗忠順(おぐり・ただまさ)。

外国奉行・勘定奉行・陸軍奉行・軍艦奉行など、幕府の要職を歴任。
ちなみに奉行とは、今で言う大臣のようなもので、つまり、外務大臣・大蔵大臣・陸軍大臣・海軍大臣を歴任したまさに政府の重鎮ということになります。

彼が最も力を入れたのが、軍事力の増強でした。
オランダなどに最新鋭の軍艦を発注して海軍力を増強。
フランスの協力を得て横須賀に製鉄所や造船所を造り、600万ドルを借り受ける契約も結んでいました。
同じく、フランスから軍事顧問を招いて、訓練を施します。
こういった努力の結果、幕府軍は慶応3年当時、最強の軍隊になっていたのです。
特に海軍力は他藩を圧倒し、東アジア各国の中でも最大規模に達していたと言われています。


開陽丸写真400
(復元された幕府最強の軍艦「開陽丸」 Photo story @北海道様より)


※幕府海軍は、のちに新政府に引き継がれ、連合艦隊に編入されてゆきます。
 構想より40年後、小栗の計画した横須磨造船所で建造された軍艦が、ロシアのバルチック艦隊を対馬沖で撃破し、日本の救世主となります。「坂の上の雲」のクライマックスですね。
 幕府存続の目的で計画された軍備が、結果的に新政府討幕派を救うことになるのですから、皮肉な話です。もちろん「日本」という大きな枠の中では同じなのですが...



○西周(政治改革)

もうひとりがこの人、西周(にし・あまね)。
漢字だけ見ると、古代中国王朝と間違えてしまいます。
彼は石見(島根)の津和野藩出身ですが、早くから蘭学に精通し、オランダに留学後は慶喜にフランス語などを教えていた人物です。慶喜は、彼が外国の政治形態に詳しいことから、幕府と朝廷が両立する新しい政治体制を考えるよう指示しました。
そこで彼が編み出したのが、この政治改革。

「議題草案」

と言われています。


議題草案


上の図が、その具体的内容です。
将軍は「大君」と名を変え、「公府」つまり行政機関(今でいう官僚・公務員)と、「全国守備兵」つまり軍事を統轄します。
しかし、「議政院」つまり立法機関(今でいう国会)は朝廷に譲る。
つまり、国家の大切な部分を旧支配層(幕府側)と新支配層(朝廷をバックにした薩長土)で仲良く分けましょう、ということ。

慶喜は、官僚のトップだけなら上の人間に従うだけなので権力は行使できないのですが、軍事を統轄しているので、軍事力を背景に政治をつかさどる朝廷にモノが言えるという恐ろしさがあります。
※昭和日本の陸軍や海軍が、軍事力を背景に国会を牛耳っていた例を思い出して下さい。軍事力は、政治力でもあるのです。


さらにこの構想には続きがあります。
実は、立法機関である「議政院」のトップは天皇ですが、天皇は議政院で決まったことがらに承認を与えるのみで、拒否権はないのです。
案件の裁決権は上院の議長である大君(=慶喜)がもち、上院は下院に優越するため、上院議長(慶喜)が下院の解散権をもつため、実質的には慶喜が上下両院を支配することになるのです。(今でいうと、衆参両院とも慶喜派が過半数を握っているのと同じ状態です)


西周の考えは明白です。
大政奉還は時の流れであるから、受け入れよう。
しかし、その後の政治形態については260年の統治実績のあるわれわれに任せてもらいたい。
そう誘導し、この案を通してしまう。

そうなると、こちらのもの。
朝廷に政権を返上したところで、今の支配体制が崩れることはない。



まあ、何というか…
狡猾は狡猾ですが、少し、倒幕派をナメすぎていますね。
結果的にこの案は、大政奉還後に王政復古の大号令が出されるなど薩長主導で政局が進んだため日の目を見ませんでしたが、政局がどう転んでも、(戦争で薩長に勝たない限りは)この案が通ることはないような気がします。



以上、マニアック幕末史でした。
ちゃんちゃん
リラックマ32「…」



(主な参考資料)
[図解]坂本龍馬の行動学(武村鏡村著・PHP研究所)



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