< 2017年07月 |  12345678910111213141516171819202122232425262728293031 | 2017年09月 >
ホーム  > スポンサー広告 > 「いろは丸事件」始末記 > 龍馬伝関係 > 「いろは丸事件」始末記

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「いろは丸事件」始末記


坂本龍馬改め

「才谷梅太郎」伝

土佐の坂本家の本家の屋号が「才谷屋」ですので、才谷はそこから取ったと言われています。
「梅太郎」とは、実は、勝海舟が長崎時代に付き合っていた女性との間にできた子供の名前です。
龍馬は長崎でこの母子と面識があった可能性は高く、その子供の名前をもらったのではないか、という説がありますね。
それにしても「才谷ウメタロー」って、何だかヘンな名前リラックマ41「うっしっし」
「坂本龍馬」の方が数倍かっこよく聞こえるのは、僕だけでしょうか...?




いろは丸激突



1867年4月23日、いろは丸と明光丸が衝突。夜半の出来事でした。
日本最初の蒸気船同士の追突事故です。

沈没寸前のいろは丸の乗員はつぎつぎと明光丸に乗り移ります。
いち早く飛び移ったのは龍馬で、彼は、あわてふためいている明光丸の乗組員を尻目に、大胆にも船長室に入り「航海日誌」を取り上げてしまい、これが、あとで大いにものを言って交渉の大勝利となった。
…という後日談もありますが、実際は、談判の席上、龍馬の要求によって、航海日誌を「交換した」というのが真相です。

この衝突に対する紀州藩の横柄な態度に海援隊隊士は怒り狂います。
龍馬が昔ながらの武士であったら、隊士を引き連れて明光丸側に斬り込みをかけたでしょう。
しかし、龍馬は「ビジネスマン」でした。

賠償金を取ろう

この発想が龍馬的。



そして交渉の過程で持ち出したのが「万国公法」
万国公法については次回の記事で詳しく説明する予定なので、ここでは省略しますが、龍馬は、

国内の事件を国際法をもって解決しようとした

初めての日本人となったのです。
このあたりも、龍馬の国際性・先見性が光りますよね。

さて、一方の明光丸側はどうであったか。
ドラマでは一方的にやられた感のある紀州藩側(明光丸側)ですが、実際は明光丸側にもかなりの言い分があることが分かっています。(つまり、いろは丸にも相応の非がある)
それだけでなく、ひそかに談判の記録や航海日誌を英国軍艦の艦長に見せ、いろいろと相談もしているのです。
彼らは決して、御三家の威光を傘にものを言うだけの人間ではなかった。
龍馬も、交渉の紛糾は避けられないと思っていたでしょう。


そこで、龍馬が打った次の一手。
それは、

世論を味方にする

まず、当時の実力者である西郷吉之助や小松帯刀らに談判の記録を送り、味方になってもらおうとした。
さらに、木戸貫治らの協力を得て自作の唄を流行らせ、世論を喚起。
これが、日本最初のPRソングになります。


船を沈めたその償いは金を取


長崎にいる明光丸側にとっては、まさに四面楚歌。
これには相当参ったといいます。




実は、はじめ龍馬は交渉がかなり難航するものと考え、1万両程度の賠償金で手を打ってもいいハラづもりだったことが、種々の記録から推定されるのですが、結果は明光丸側に一方的に非があると相手に認めさせる「完全勝利」で、8万3千両という高額の賠償金を勝ち取ります。


※ちなみに、賠償金8万3千両の根拠として、龍馬は船にミニエー銃400丁など銃火器が積まれていたため高額になったと主張しました。
が、いろは丸引き上げ調査では、そのような銃器類は見つかっていません。
交渉を有利に進め、少しでも多額の賠償金をぶんどるための、龍馬のハッタリだったのです。
…さすがの龍馬サンでも120年後にいろは丸が引き上げられ、積荷を調べられるなんて、考えもしなかったでしょうしね。




このように…
数々の「日本初」を生み出した、いろは丸事件。
龍馬の計画性や思考の柔軟性、タフな交渉術がいかんなく発揮されたのです。






(主な参考資料)
坂本龍馬と海援隊―日本を変えた男のビジネス魂 (講談社文庫)
Digital New Deal「ひとの心をひらくユーモア術」


ブログ記事一覧へ>>



ワンクリックの応援お願いします

関連記事

2010/10/20(Wed)19:20

「いろは丸」
おもしろかったですね。龍馬伝の海援隊は、亀山の頃から、なんだか応援したくなる一生懸命さと明るさがあって。龍馬もいきいきと楽しそうだし。
始末記、ありがとうございます。
「航海日誌」なるほど!ですね。流行歌?も歌詞がよく聞き取れなかったので、なるほど!です。
海底の「いろは丸」の映像には、
テンション上がりました~。

名前:saku (URL) 編集

Re:

2010/10/21(Thu)00:56

確かに。
海援隊のメンバーは、なんだかクラブ活動とかサークル活動のようにも見えてくる明るさや快活さがありますよね。

こちらこそ、コメントありがとうございます。
海底の「いろは丸」を見て、僕も、120年前に実際にこの日本で龍馬が活躍し、瀬戸内海を航行していたんだなと思い、感慨深いものがありましたよ。
歴史も、このように現実に見える形で現われると、ぐっと身近に感じますよね。

名前:TV-Rocker (URL編集

コメントの投稿

コメントの投稿
装飾
非公開コメント


トラックバック

トラックバックURL


▲page top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。