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「桜田門外ノ変」見てきました。


前回の予告編から1週間。今日、見てきました。


桜田門外ノ変1


ホントは昨日行きたかったのですが、仕事が長引いたため最終の21:00講演に間に合わず。
涙を呑んで、今日、15:20からの分で見てきました。
今、帰ったところで記事を書いています。


中学生のころ特撮映画(ゴジラとか)にハマっていて、その頃はよくひとりで映画を見に行ったのですが、それ以降なく、ひとりで映画館に行ったのはホント久しぶりです。
妙に緊張しました。

ただ、劇場に入ってみるとけっこうひとりの方が多く、夫婦らしき人はいましたがカップルらしき人はほぼ皆無で、この映画らしいなぁ…と妙に感心してしまいました。
ほとんどが僕(33才)以上の年齢で、なんだか少し恥ずかしかったです。



…って、何を書いてんだかリラックマ25「走る」
本題に戻り、感想書きます。



一言でいうと、

「幕末リアリズム」の意味が分かりました

この映画のテーマである「幕末リアリズム」
どういう意味か、この映画を見てよく分かりました。
つまり、「過剰な演出や脚本を加えず、あくまで史実に忠実に」ということです。

演出については、龍馬伝はじめ最近のドラマが音楽を使って盛り上げるのに対し、この映画はバックミュージックが本当に少ない。今のドラマの慣れた人からすれば、すごく静かな感じがすると思います。
もうひとつ。3Dに象徴されるように、最近の映画は「視覚効果」を重視していますよね。
CGの多用はもちろん、カメラワークもわざとブラしたり、ズームアップ・ズームダウンをしたり…という最近の映画の流れは用いず、けっこう真正面からカメラを向けています。

脚本も、史実をもとにした「桜田門外ノ変」(吉村昭)の原作を忠実に再現しています。
あくまで「ヒーロー物語でなく、桜田門外の変を描く」というスタンスが明確に現れているように感じます。


たとえば、このシーン。


桜田門外ノ変2


桜田門外での井伊直弼襲撃事件は、比較的早い段階で描かれるのですが、このシーン、暗殺側が刀を抜いているのに対し、井伊の警護側はほとんど刀を抜いていないんですね。
実は、事件当日雪が降っていたため、護衛側は柄袋をしていて刀を抜くのに手間取り、ほどんどが柄袋のまま「斬る」のでなく「叩く」ように闘った。その結果、派手なチャンバラでなく、肉弾戦の様相を呈します。
井伊を狙った一発の銃声を合図に斬りかかったというのも、史実通りです。

その他にも「なるほど、実際はこうなるよな」と納得できるシーンは多々ありますが、そのあたりは劇場で(またはレンタルビデオで?)お確かめ下さい。




さて、開国・攘夷について。
この思想をどう扱うかは、僕も注目していました。

映画が攘夷側の水戸浪士を主人公にしている以上、攘夷が優位に立ちそうなものですが、この映画では、攘夷も開国も、ともに日本を思ったゆえの行動であると、非常に公平に描かれています。

映画によると…
井伊直弼はアヘン戦争・アロー戦争の影響から、通商を拒めば清の二の舞になるという理由で、大老の地位を利用して開国を進め、反対派には断固たる処置を取ります。
水戸藩主・徳川斉昭の攘夷論についても、感情的に攘夷を主張したのではありません。尊王の思いの強い水戸藩として、朝廷の許可なく井伊が勝手に条約を締結したことに反対し、朝廷の意志を尊重すべきだと訴えた。さらには、清国が開国の結果外国に食い荒らされるのを見、仮に開国により武力侵攻を防げたとしても、貿易を始めれば結果的に「清が戦争に負けたのと同じ結果になる」ことを示唆する発言もしています。

そういった状況の中、安政の大獄が勃発。
井伊直弼が強権を発し、自分の意見に反対する人間をことごとく弾圧。
徳川斉昭も水戸に永蟄居(水戸城から外に出るのを禁じる)されます。
水戸藩士の中には、藩主・斉昭公をないがしろにし、幕府を意のままに操り、朝廷をも足元に置こうとする井伊直弼の横暴を許すまじ、という声が日々強くなってきます。
このまま井伊の専横を許しておけば、水戸藩のみならず、日本が滅びる。
「井伊を討つべし!」の機運が高まってくるのです。


佐藤監督の言葉です。
「歴史の評価とは常に現在の人が決めるもので、善も悪もないというスタンスで本作に取り組んだ。だから、史実にあくまで忠実に、エンターティメントとして面白くするためのフィクションは排除した」
まさにそれが前面に出ています。


開国にしろ攘夷にしろ、お互いの正義をしっかりと描いているところが素晴らしい。
井伊直弼も悪役ではありません。正々堂々を自分の意見を述べる。
主人公も、井伊直弼を討ち取ったのち、その行為が正しかったのか、反問するシーンが描かれます。



過剰演出を控えた分、全体としては淡々とした感じに仕上がっています。
感動するシーンもあるのですが、それがメインでない以上、「泣ける映画」と期待してこの映画を見てしまうと、残念な結果に終わることになると思います。

しかし、映画を見終わったあと、水戸浪士の無念さは深く心に残りました。
井伊直弼暗殺に成功はしましたが、彼らは主君の仇討ちのために井伊を殺したのではない。
前日に脱藩状をしたため、水戸藩に迷惑がかからない上で行った行為。
それには「日本を救うためには、井伊を斬るしかない」という、彼らの正義があったのです。
しかし、薩摩の歯車がたったひとつ狂ったため、幕府だけでなく水戸藩からも追われる身になった首謀者たち。ある者は自刃し、ある者は捕らえられ、最後はたった一人になった主人公・関鉄之介(大沢たかお)の運命は、まさに「歴史の波に翻弄された」と表現するのがぴったりです。


開国か、攘夷か

この映画を見たひとりひとりに突きつけられたテーマであると感じました。




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