< 2017年09月 |  12345678910111213141516171819202122232425262728293031 | 2017年11月 >
ホーム  > スポンサー広告 > 「馬関の奇跡」へのプレリュード > 龍馬伝関係 > 「馬関の奇跡」へのプレリュード

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「馬関の奇跡」へのプレリュード


日曜日から、ひとつの現象が起こっています。

「馬関の奇跡」というキーワードでブログを訪れてくれる人が非常に多いのです。
今までの龍馬伝のタイトルでは、正直、なかったことでした。

「我がブログも、有名になったなぁ…」
最初はそう思ってホクホクしていましたが、でも、少しオカシイ…??


「馬関の奇跡」という言葉に何か深い歴史的史実が絡んでいるのではないか?
そう思った人が、その言葉をキーワードにして検索しているのではないか?

そう気づいたときはすでに遅く、もう下火になりかけている水曜日の深夜ですが…
改めて言わせてもらいますっ!!





「馬関の奇跡」という言葉は歴史学上には存在しません。
「龍馬伝」の造語です。
第2次長州征伐(=四境戦争)の「小倉口の戦い」を指したものと思われます。




第2次長州征伐(四境戦争)

第1次長州征伐は長州藩の恭順に終わったため戦争には至りませんでした(ブログ参照)。
その後…
幕府は高杉晋作の挙兵以降、不穏な動きをする長州に対して軍事介入を試みていましたが、諸藩が渋っていたなど条件が整っておらず、この時期にまでずれ込んだのです。
この時期に長州征伐に踏み切ったのは、薩長同盟が幕府方に漏れた影響とも考えられますし、フランスの全面的な支援を受けた慶喜が、勝てる自信を得たからだとも考えられます。
とにかく、薩長同盟成立の5ヶ月後、幕府は、長州藩に対して侵攻を始めるのです。


四境戦争の図3


この第2次長州征伐が「四境戦争」とも呼ばれるのは、長州藩に4方面から幕府軍(実情は、諸藩の連合軍)が攻め入ったことに由来します。
そのうちの「小倉口の戦い」は、高杉晋作が自ら指揮したこともあり、四境戦争でよく言われる「わずか3500の長州軍が、総勢15万の幕府軍を打ち破った」(といっても、そのほとんどは諸藩連合軍で、あくまで自国に敗退したのであり、長州軍が殲滅したというわけではないのですが…)の象徴とされることが多い戦いです。

前述の通り、この「小倉口の戦い(小倉戦争)」を、「馬関の奇跡」と言っていると思われます。

ちなみに「馬関」とは現在の「下関」のことです。
詳しい戦況は、次回の「龍馬伝」を見て下さい。一応、僕は戦争の状況を生々しく描いてくれると期待しています(放送終了後、ブログでも解説する予定)
とにかく、高杉晋作が、下関で、九州諸藩の連合軍を食い止めたのです。
長州の生命線ともいえる下関の制海権を守ったことで、四境戦争はひとつの決着をみたとも言えます。


________________________________________________________

僕は軍事アナリストではないので、ここから先は個人の感想になりますが…

この布陣、少しオカシイと思いませんか?
長州の中心地・萩を陥落させたいのであれば、萩に海上から直接侵入すればいい。
第2の中心地・山口を落としたいのでれば、小倉口と大島口の中間あたりに兵を集中させればいい。
もしくは、石州口から一点突破、または九州諸藩と合わせて小倉口と石州口の2点突破。
地理的に、そうできない理由があったのでしょうか?

または、そうでないとすれば…
この布陣は、長州藩の藩主とその一味(=萩または山口にいる)を単に攻撃するための布陣ではない。
4方面で長州の前線部隊を撃破した後は、長州本土に攻め入り、最終的には萩・山口を落とす。
つまり、長州を殲滅する(=長州藩を地上から抹殺する)ことを最終目標にした布陣ではないか。
そう思えてならないのです。

実際、長州藩の実権を握っていたのは藩主(毛利敬親)ではない。
実質的な主導者である高杉晋作・木戸貫治らは、どこかの戦列の前線にいるとみてほぼ間違いない。

だとすれば、第1次防衛戦(=四境)の一点でも突破できれば、そこを起点として他の軍事境界線を背後から攻め落とせる。
つまり、四境の一点撃破=四点撃破=四境に張り付いていた長州の軍事的指導者を一掃したに等しく、あとは無人の荒野を進むがごとく、長州全土を占領できたのではないか。
そう幕府側が考え、あえて一点集中ではなく、4方面作戦を展開したのではないか。
そのような意図とも読み取れるのです。



しかし、その四境でさえ、長州軍は足を踏み入らせることを許さなかった。
そこには、彼らの悲愴の決意があったのです。

「防長2州(=長州本土)が焦土と化しても、長州人は最後の1人まで戦い抜く」


幕末の大きなターニングポイントとなった、四境戦争。
その顛末については、「龍馬伝」で描かれたあとに紹介したいと思います。
しばしお待ちを…



過去の記事一覧へ>>



ワンクリックの応援お願いします

関連記事

コメントの投稿

コメントの投稿
装飾
非公開コメント


トラックバック

トラックバックURL


▲page top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。