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「高杉晋作伝」~彼が長州の重要人物になるまで~


「龍馬伝」第3部でフイに出てきた感のある、高杉晋作(役:伊勢谷友介)
独特の存在感を放ち、その勢いは主役の龍馬さえ喰う勢いすらありますが…

彼は、どのようにして、長州の重要人物になっていったのか?
今日は
「龍馬伝サイドストーリー」として、「高杉晋作」を取り上げてみたいと思います。


________________________________________________________

彼は、吉田松陰先生の「松下村塾(しょうかそんじゅく)」の門下生でした。
議論の上手さは、吉田松陰も賞賛していたといいます。

そして、それ以上に、抜きん出た行動力。

「動けば雷電のごとく、
 発すれば風雨のごとし」


と称された彼。
なにやら意味はイマイチ分からなくても、とてつもない感じは伝わってきますよね。

その行動力ゆえに、藩からは半分問題児扱いされていた(?)ようなトコロもあったようですが…



(1)「奇兵隊」設立 1863.06

高杉晋作が隊長となり設立された「奇兵隊」とは、藩の武士からなる「正規兵」とは違い、農民や町人からも希望者を募って結成された「民兵組織」です。
柔軟な発想により、ミニエー銃など西洋の最新式の軍備を積極的に導入してゆき、この「奇兵隊」は、やがて、長州藩の主戦力として「第2次長州征伐」でも活躍することになります。


奇兵隊構成比




(2)長州内乱の勃発 1864.09

長州藩の幕末の動きを見ると…

「5月10日の攘夷決行」(19話)
 ↓
「8月18日の政変」(21話)
 ↓
「蛤御門の変での敗北」(25話)
 ↓
「幕府による長州征伐の動き(第1次長州征伐)」(26話)



つまり、長州藩の主流であった「尊皇攘夷派」が、数々の事件により、力を失ってゆく過程です。
「龍馬伝」ではこの流れをちゃんと追っていることが分かります。
ただし、それぞれ数カットだけなので、普通に見ているだけではつながりが分かりにくいのがミソですね。


幕府の軍事介入に対し、長州藩の中で両者の対立が激化します。

穏健派
「幕府と喧嘩してもやられるだけだから、幕府に従って生き延びようじゃないか」

急進派
「攘夷実行のためには幕府との対立も辞さない」


この対立は長州の内乱にまで発展し、穏健派が急進派の主要な人物を処刑し、実権を握ります。
急進派であった高杉晋作は、命からがら藩を脱出(逃亡)。
奇兵隊には解散命令が出ます。




(3)功山寺での挙兵 1864.12

「龍馬伝」第30話冒頭のシーン、あれです。





不屈の闘志家・高杉晋作。
ここでアキラメルような男ではありません。
虎視眈々と再起を狙っていた彼は、藩外脱出の1ヶ月あまり後、長州藩に戻り、功山寺で打倒・藩政権をかかげ挙兵。
解散寸前だった奇兵隊(山県有朋指揮)らが加わり、3ヶ月で藩政を取り返すことに成功するのです。


功山寺挙兵の図


ドラマ内での彼の有名なセリフ:

「長州はもう幕府には従わん…!
 我らは…独立するんじゃ!」


は、このような背景があって生まれた言葉だったんですね。

ナットク!リラックマ14「回転」




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