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続・龍馬伝 (37)降伏か、死か


龍馬伝第4部タイトル(雲の



坂本龍馬が、土佐勤王党に所属していた頃。

当時、上士に虐げられ鬱憤をためていた下士の若者の多くは、武市半平太の唱える勤王の志に胸を焦がし、若人がもつ特有の情熱は、彼らを尊皇攘夷へと駆り立ていった。
そんな彼らの間でブームになったのが、長身の刀。

さて、槍垣云々という勤王党の若者。
三尺(約90cm)はあろうかという自慢の長刀を龍馬に見せびらかしてやろうと、彼の前に持ってきた。
それを見た龍馬、


「飾り物で人は斬れん。実戦では短刀の方が有利ぜよ」

おもむろに自分の刀を見せた。
なるほど扱いやすそうな短刀に心を動かされ、檜垣もいつしか短刀を挿すようになってゆく。


しばらく後、ふと龍馬に出逢った檜垣は、自分の短刀を見せる。
それを見た龍馬、


「この前で刀は無力ぜよ」

と、懐からピストルを取り出し、試しに一発と檜垣の目の前で引き金を引いてみせた。
檜垣は西洋の技術に驚きつつも、刀剣がもはや時代遅れであることを知らされる。


さらに後、龍馬に出逢った檜垣。
彼は一冊の本を取り出し、こう言ったという。


「西洋はすでに、銃剣による支配から法による支配へと移っちょる。
 銃剣は個人しか支配できんが、法は国家そのものを支配するきに」


檜垣は龍馬の先見性を目の当たりにして、もはや自分の考えの及ばないところに彼がいることを知らされる。
龍馬が古い時代の最期のあがきによって殺される、少し前のことであった。


『万国公法の時代』中に載せた逸話をアレンジしています)



彼が取り出した本こそ、「万国公法」(Elements of International Law)そのもの。
現在で言う、国際法を示したものです。
そして、今回の物語の主人公は、「海の万国公法」ともいうべき、「海津全書」という本。

黒田と榎本。箱館戦争の勝者と敗者ではありながら、英雄は英雄を知るの諺のごとく、この本を媒介として、ふたりは互いの資質を認め合うことになるのですが…

北の戦争も、終わりが近づいていました。



【第37回】降伏か、死か



降伏勧告の書簡が、榎本の元へと届けられました。
新政府参謀・黒田清隆は、榎本に、これ以上不毛な血が流れることの無意味さを訴え、今こそ日本がひとつになり近代国家として邁進すべきであると説いたのです。
その書簡は、五稜郭軍の中の和平派に渡され、彼らの口添えと共に、総裁・榎本の元へと届けられたのです。
すでに五稜郭の雰囲気は、降伏へと傾きつつありました。


榎本は、ひとり自室に閉じこもり、思いを巡らしていました。


降伏を受け入れることはたやすい。
また、多くの人の命を救うことも事実である。

しかし、自分の夢のために死んでいった多くの将兵たちの想いはどうなる。
ここでおめおめと降伏を呑めば、彼らの命は無駄になるのではないのか。
国を失った者たちの魂を、死後もなおさまよわせるのか。



榎本は幹部を招集します。
無言の会議。
最後は、榎本の判断にすべてがかかっていました。


「玉砕戦」


彼は、死を覚悟します。
自分のために死んでいった者たちに殉じ、命を散らす決意を固めたのです。

彼は、筆を取ります。
蝦夷共和国は志高く興した、正義の国家であること。
そして、それを潰そうとする者に対しては断固戦い続けること。
そのためには、自分たちは玉砕も辞さないこと。

そして、その書簡を、彼が一生涯大切に保管していた本と共に、黒田のもとに送り届けるのです。
海津全書。
彼が希望に燃えてオランダに留学していた頃、師事していたハーグ大学・フレデリック教授の『海の国際法と外交』と題する、上下2巻の本です。


戦が始まれば、五稜郭は早々にも灰となってしまうであろう。
しかし、この海津全書は燃やしてはならない。
この本は日本が近代化し、西洋と肩を並べる国家となる指針となるであろう。



そんな榎本の願いが込められていました。


海津全書
(『日本テレビ年末時代劇スペシャル「五稜郭」』より)





英雄、英雄を知る。
榎本の書簡を見た黒田は、感激します。
玉砕の覚悟を記した文章の中に、死してなお日本の将来を憂う榎本の本心を彼は感じた。
そして、上下2巻の海津全書。
オランダ語で書かれたその分厚い本の中身は、語学の教養のない黒田には到底理解出来ないシロモノではありましたが、その各ベージにびっしりと書かれた榎本の手書きの註釈は、榎本の情熱と、この本の価値を物語るに十分であった。


明治新政府は、世界を知らない。
いわば「井の中の蛙」
語学堪能、世界情勢に通じ、外交力にも優れた榎本のような男は、必ず必要になってくる。
何よりこの信念、日本を思うその誠実さ。
このような男を、無益な戦争で殺してはならない。



彼は、榎本にさらに揺さぶりをかけるべく、榎本に親しい人間を使者として送り込みます。
再三の降伏勧告も、榎本の前では無力でした。
それでも榎本は、怪我人と、女性・少年などの非戦闘員を五稜郭から戦闘区域外に搬出することを認めて欲しい、と要求し、黒田によって了承されます。


五稜郭から、次々と人が去ってゆく。


怪我人や非戦闘員が去ったあとも、五稜郭から人が消えてゆきます。
もはや勝ち目のないことを悟った兵士たちが、脱走していったのです。
ある者は新政府軍に降伏し、またあるものは、箱館の街に潜伏してゆきました。

そういった者たちの存在を、榎本は内心では喜んでいました。
将来の日本のために、これ以上、有望な若者を死なすわけにはいかない。
そのような思いがあったのかも知れません。
彼は大手門を開いて、脱走を認めたのです。




箱館決戦2
(クリックすると3倍に拡大します)



5月15日。
五稜郭を守護する最大の砦、弁天台場が降伏します。
永井尚志ら240人が、白旗を掲げたのです。
五稜郭との連絡路を遮断され孤立、籠城し弾薬も食料も尽きた上での降伏でした。
それで良かったと、榎本は密かに思った。




5月16日早朝。
弁天台場よりさらに五稜郭近く、いわば最後の砦となったのが「千代ヶ岡台場」でした。
ここに陣地を構築していた中島三郎助に、榎本は何度も撤退するよう使者を出したのですが、彼は応じませんでした。
彼は、もと開陽丸の機関長でした。

あの時、開陽丸に残っていた自分が適切な判断を下していれば、あるいは開陽丸の遭難は免れたかも知れない。
いや、たとえ開陽丸の遭難が不可避の事実であったとしても、責任はこの自分にある。


彼もまた、侍の魂をもつ誇り高き武人でした。
弁天台場降伏の翌日、16日の早朝から千代ヶ岡総攻撃を開始した新政府軍に、彼は息子2人とわずかの手勢と共に、全身でぶつかり、散ってゆきました。
己の失策が生んだ武人の死を、榎本は深く悲しんだと言われています。


弁天台場、陥落
(『日本テレビ年末時代劇スペシャル「五稜郭」』より)





5月16日正午。
黒田は、五稜郭に使者を立て、五稜郭総攻撃の延期を伝えます。
そして、
「必要とあれば、食料、弾薬をお届けする」
と榎本に打診します。
彼が断るのを知った上での、黒田なりの武士の情けでした。

榎本が断るや、黒田は代わりに、酒5樽、マグロ5尾を代わりに届けます。
そこには、次の手紙が添えられていました。


先日送っていただいた書物は、無学の私には到底理解できるものではありません。
しかし日本の将来のために必要な書であることは無知の私でも領解し、その心遣いに感謝の言葉もありません。
早急に翻訳させ、この国のために役立たせたいと思っております。
恥ずかしながら、その御礼としてささやかながら酒などをお送りさせていただきます。
誇り高き兵士たちへのささやかな愉しみになれば、これに越したことはありません。



最後の酒盛り
(『日本テレビ年末時代劇スペシャル「五稜郭」』より)





英雄、英雄を知る。
榎本は、黒田の心憎い演出に敵ながら感嘆します。
そして同時に、彼ならば降伏した将兵の誇り傷つけることはしないであろうと、密かに決意を固めるのです。
―もうこれ以上、自分の夢の犠牲者を増やしてはならない。
自分の命と引き換えに、将兵の助命を嘆願することを決め、彼はひとり総裁室に入ってゆきます。



彼らはもう十分に戦った。
自分は先に逝って、亡き将兵たちに会ってこよう。
彼らも分かってくれるだろう。

長い夢だった。いい夢だった・・・






(主な参考資料)
箱館戦争―北の大地に散ったサムライたち
幕末史(半藤一利著)
図説・幕末戊辰西南戦争―決定版 (歴史群像シリーズ)
一冊でわかるイラストでわかる図解幕末・維新―地図・写真を駆使 超ビジュアル100テーマ オールカラー (SEIBIDO MOOK)



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