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続・龍馬伝 (35)二股口攻防戦 


龍馬伝第4部タイトル(雲の



榎本の夢。
それは常に、開陽と共にあった。

開陽に乗って祖国に帰還した時が彼の夢のはじまりであるとすれば、開陽を失ったときに、彼の夢もすでに失われていたのかも知れない。
しかし、榎本の夢は、もはや彼だけのものではなかった。
彼を信じ、慕い、ついてきた何千人もの徳川幕府の遺児たち。
漂流民となった彼らが、榎本の夢に命を賭ける以上、榎本もまた、彼らのために夢を追い求めることを辞めるわけにはいかなかったのです。




榎本の夢を具現化させたものが、蝦夷共和国のはずでした。
しかし、新生国家にはあまりにも厳しすぎる試練の数々を立て続けに体験し、すでにこの国は、疲弊していました。

喩えるならば、生まれたばかりの小鹿に急に全速力で走ることを強いられたようなもの。
まだ十分に発達していないその足を酷使した結果、もはや小鹿は、己の足で立つことすら不可能に近い状態になっていたのです。



蝦夷共和国の軍費は底を尽きかけていました。
陸軍は新たな武器・弾薬の補充も不足がちとなり、海軍はたった3隻の軍艦(回天、蟠龍、千代田形)の維持がやっとの状態でした。
疲弊した国家に、しかし明治新政府軍は、容赦ない牙を向けるのです。



衰弱し切った小鹿に、獰猛な狼が襲いかかろうとしていました。



【第35回】二股口攻防戦



4月9日。
アボルダージュ(接舷攻撃)に失敗した回天が、傷だらけの姿になって箱館に帰って、わずか2週間足らず。


敵影、オトベニ見ユ-


乙部(おとべ)の海岸に、おびただしい数の軍艦が姿を見せます。
新政府の蝦夷攻撃主力軍。
上陸と同時に強烈な艦砲射撃を浴びせかけます。


江差沖に現れた甲鉄
(『日本テレビ年末時代劇スペシャル「五稜郭」』より)




この作戦の背景には、黒田清隆の存在がありました。
作戦参謀である彼は、榎本武揚を相当に警戒していたのです。


あの短期間のうちに箱館を手中に収め、かつアボルダージュを敢行した蝦夷共和国の総帥。
ほとんど不可能に思えるようなことを、彼はやってのけている。
偶然、運に恵まれたため我が軍は事なきを得たが、彼の作戦が的中していたならば、我々は逆に奪われた甲鉄艦によって沈められていたかも知れない。

…そして、抜群の国際感覚と人身把握力。
国際法を巧みに用いて箱館の各領事館を味方につけたばかりか、松前藩攻略の際にも捕虜を本国に返し、我が軍の中でさえ、榎本の人望は伝わってきている。
並の男ではない。
この戦、慎重に行わねば、負ける。




黒田は、軍事的な圧倒的優位にも関わらず、箱館をひとひねりにする短気決戦でなく、周囲からじわじわと包囲してゆく1ヶ月単位での戦略を頭に描いていました。


1.まず、箱館勢力の及ばない場所から上陸を開始する。
2.次に、松前はじめ周囲の拠点を陥落させ、箱館を丸裸にする。
3.最後に、箱館を総攻撃する。





新政府軍の3方向からの攻撃
(クリックすると3倍に拡大します)




この戦略に沿って、乙部に上陸した軍勢は、上陸範囲を広げながら、3隊に分かれ、箱館への進軍を開始します。
彼の戦略は綿密であり、8日後には松前を占領、さらに3日後には木古内を占領します。
3方向から進軍した軍隊のうち、2部隊までは、ほぼ当初の目標を達成しつつありました。
残る1部隊、二股口攻略部隊が戦線を突破すれば、3隊は合流し、その時こそ、箱館の総攻撃が開始される狼煙となるはずでした。

…そこに、あの男が立ちはだかるのです。
二股口の防衛を任されたのは、蝦夷を自らの死に場所と考えていた、いわば最後の武士(もののふ)。


土方歳三


二股口が破られれば、箱館は風前の灯。
この重要拠点を、榎本はこの男に賭けた。
松前攻略戦での鬼神の如き戦ぶりは、もはや蝦夷で知らぬ者はないほど有名になっていたのです。




土方は、新選組の戦い方をすでに捨て切っていました。
刀はもはや集団戦の主力にはなり得ない。
火力の優劣こそ戦の勝敗を決定づけるものであると、考えを変えていたのです。
サムライの魂をもちながら、西洋軍学を実践により身に付けていった男の、本領が発揮されます。

彼は、二股口のふたつの丘に、鉄壁の陣地を構築していました。
さらに、300の兵士全員に銃をもたせ、あるだけの弾薬を箱館から運んでいた。
強力な火力による完璧な防衛陣地を築き、彼らが来るのを待ちかまえていたのです。



二股口での防衛網
(『日本テレビ年末時代劇スペシャル「五稜郭」』より)



峠道を進む新政府軍に、土方隊は、上から銃弾の雨を降らせます。
相手の反撃は胸壁にさえぎられてほとんど効力を失い、土方隊の銃撃は丸裸の敵を容赦無くなぎ倒してゆく。
16時間の銃撃戦は、新政府軍に圧倒的な死傷者を出す結果となりました。
土方隊の死者はわずか1名であったと言われています。
初日は、土方が完全勝利を得ます。



次々と倒される二股口の新政府軍
(『日本テレビ年末時代劇スペシャル「五稜郭」』より)



翌日も、翌々日も、新政府軍は二股口に突入します。
ここを突破すれば、箱館は目の前。
…しかし、万全の準備で臨む土方の防衛陣地に死角はなく、すべて、多量の死者を一方的に出す結果となっていました。
土方の陣地は、文字通り「鉄の壁」となって、新政府軍の行く手を阻んでいたのです。


1日に消費する弾薬は、数万発に及んでいました。
銃身はたちまちに真っ赤に焼け、そのたびに谷川の水を汲んで冷やす。
兵士たちの顔は、火薬で皆真っ黒となり、人の区別もつかない状態でした。
それでも土方は、ありったけの弾薬を箱館から補給させつつ、兵士を鼓舞し、この二股の地にへばりついていました。
何日でも、何ヶ月でも、一歩たりとも敵に踏み入らせない覚悟でした。




…しかし、戦は局地戦だけで行うものではない。
3方向から進入した新政府軍は、二股口以外では勝利を重ね、ついに、二股口の背後にまで迫ろうとしていました。
そして、矢不来(やふらい)が陥落。
ここが落ちれば、海岸沿いの平地から新政府軍が箱館に侵入できるため、もはや二股口を防衛する意味は消えてしまいます。
それどころか、防衛陣地の背後から敵に襲われる可能性もある。

土方は無念さを噛み締めつつ、20日間の防衛を耐え抜いた二股口を放棄、徹底を決断します。





榎本が松前半島に敷いた防衛網は、こうして完全に突破されてしまったのです。

残るは、箱館のみ。
五稜郭と、弁天台場などの周囲の要塞を残し、榎本軍は完全に孤立。
じわりと、新政府の箱館包囲網が固まりつつありました。







(主な参考資料)
箱館戦争―北の大地に散ったサムライたち
幕末史(半藤一利著)
図説・幕末戊辰西南戦争―決定版 (歴史群像シリーズ)
一冊でわかるイラストでわかる図解幕末・維新―地図・写真を駆使 超ビジュアル100テーマ オールカラー (SEIBIDO MOOK)



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