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続・龍馬伝 (33)蝦夷共和国


龍馬伝第4部タイトル(雲の


明治元年12月15日。
箱館に砲声がとどろきます。
五稜郭、弁天台場、港に停泊する蟠龍、回天…と、続けざまに放たれる空砲。

その空砲は、合計101発にも及びました。
松前藩を倒し、蝦夷島統一を果たした記念の祝砲です。



箱館の港は人で満ち溢れ、口々に榎本軍を褒めそやします。

「榎本の軍はめっぽう強いそうだ」
「松前の殿様は、追い立てられて青森に逃げてしまったらしい」
「航海術のエリートが揃っているらしい」

榎本軍将兵の市中パレードは、見るものを圧倒しました。
赤いラシャ製軍服を着た仙台額兵隊を先頭に、3000の兵が行進する。その中心には、榎本武揚がいました。
夜は提灯を下げ、祝賀ムード一色でした。


この日は、蝦夷地平定と、蝦夷島政権誕生を祝う記念日だったのです。
みな、笑顔でした。。。榎本本人を除いては。



【第33回】蝦夷共和国



その1ヶ月前―


榎本は、旗艦・開陽と共に、江差の沖合いにいました。
土方の陸軍が松前藩の残党を江差に追いつつあり、その援護に回っていたのです。
榎本ら海軍の読みでいくと、残党軍はこの江差を拠点に徹底抗戦をするはずであり、陸軍との激しい衝突が予想されていました。
少しでも土方ら陸軍の負担を軽くすべく、艦砲射撃による援護をする予定だったのです。
来たる新政府軍との本格的な戦闘の前に、開陽を実戦に出し慣れされておく、という目的もありました。


…しかし、江差は戦闘の気配も何もありません。
実はこの時、土方は松前残党を江差からさらに奥地に追い詰めており、勝利をほぼ確実なものとしていたのです。
すでに、援護の必要性は失われていました。

榎本は拍子抜けをした思いで、上陸します。
海は静かで、開陽にはわずか数名の機関士を残しただけでした。

その晩。
榎本が異変に気づいたときは、もう後の祭り。
ピューと切り裂くような音を出す暴風が吹き荒れ、海は極限にまで荒れていました。
木の葉のように揺れ、岸に流されてゆく開陽。
開陽は、座礁し、動かなくなってしまいます。


開陽の遭難
(『日本テレビ年末時代劇スペシャル「五稜郭」』より)


房総半島沖合での遭難につづき、2度目の災難。
前回の悲劇で海の恐ろしさを知ったはずの榎本でしたが、見かけ上の静けさに完全に油断していました。
しかも、前回は逃げ場のない海上で突然やってきた台風によるもので、いわば天災といえるものでしたが、今回は違います。
榎本が蝦夷の天候をよく知ってたなら、たった数名を残して下船するという愚は犯さなかったはずです。
せめて、地元をよく知る現地の人間に教えを乞うようなことはしなかったのでしょうか?


榎本の欠点が、ここにありました。
すべてを頭で考えてしまう。机上の空論と現実を混同してしまうのです。
「ロマンの人」は、言い換えれば「空論の人」でもありました。

…しかし、このロマンティシズムがなければ、蝦夷建国の夢もなかった。
薩長に打ちひしがれた旧幕臣に、夢を与えることもできなかったはずです。
彼の蝦夷共和国の夢が140年経った今でも輝きを失わないのは、不可能と思える夢を無性に追いかけ続けたからではないか。
現実にがんじがらめになった我々を横目に、彼はひとり悠々と、空想の世界で空を飛ぶ。
良くも悪くも、それが「榎本武揚」という人間なのです。




必死の救助も虚しく、数日後、開陽は沈没してしまいます。
外洋の経験が浅いために、冬の蝦夷の気候の変化を見誤った結果でした。
しかも、開陽の救援に来た神速まで遭難し、二重遭難となってしまったのです。


開陽の沈没
(『日本テレビ年末時代劇スペシャル「五稜郭」』より)




榎本にとって開陽は、自らの夢の化身のようなものでもありました。
オランダ留学中に建造中の開陽をくまなく観察し、この船で日本に帰ってきた。
開陽があったからこそ、蝦夷に夢を馳せることもできた。
彼がいかに落ち込んだかは、想像に余りありません。

その彼に自分を取り戻させたのは、土方歳三であると言われています。
修羅場をかいくぐってきた彼の、「戦場では何が起ころうとも、動揺したものが必ず負ける」という言葉によって、彼は総司令官の自覚を取り戻します。

松前藩は、海上からの援護なく、無事に制圧されます。
松前藩の捕虜は、国際法にのっとって人道的に扱われ、希望者は青森への送還されました。


________________________________________________________


―そして、凱旋のパレード。

榎本の笑顔は満面ではありませんでしたが、そこに失意は見えませんでした。
新たな国家建設の一歩を踏み出そうという熱意を、彼は再び燃やしていたのです。


パレードの直後、榎本の提案により、入れ札による組閣が行われます。
「入れ札」とは、選挙のことです。


かつて龍馬は、国家のリーダーを「入れ札」で選ぶというアメリカのやり方に深く感銘を受けたことがありました。
彼は維新後の最初の組閣こそ名簿をあらかじめ作成していましたが、第2次、第3次の組閣については、かつての倒幕・佐幕を問わず入れ札により人徳・能力があるものが選ばれるシステムを作りたかったのではないか。
彼が生きていたら、そうしていたのではないか。



奇しくも、龍馬と同じく蝦夷に志を抱き、実際に蝦夷を開拓しつつあるこの男が、龍馬が成し得なかった、入れ札によるトップを含む主要閣僚の選出という方法を初めて行うことになります。
彼が理想とする国家の、大きな一歩となる出来事でした。


『Republic of Ezo』(蝦夷共和国)


後世の我々が榎本の国家のことをこう呼ぶのは、入れ札による組織を行ったことが大きな根拠になっています。
その構成は、以下のようでした。

総裁    榎本武揚
副総裁   松平太郎
海軍奉行  荒井郁之助
陸軍奉行  大鳥圭介
(以上が入れ札による結果)

陸軍奉行並 土方歳三
開拓奉行  沢太郎左衛門
箱館奉行  永井尚志
(等が、任命された人事)



船を失った開陽の艦長・沢が開拓奉行に選ばれているところなどにも、榎本がどこに国家の重点を置いているのかがよく見えます。
海の中心から陸の中心へと大きな転換ではありますが、榎本が腹心である沢を開拓奉行に任命したことは、蝦夷を開拓し富を生み出すことが国家の重要事項であると彼が考えていることの証でもあると思います。




蝦夷共和国誕生
(『新選組!!土方歳三最期の一日』より)


国家誕生。
あとは、守り抜くのみ。
開陽を失ったことが分かれば、すぐにでも新政府軍は攻めてくるであろう。

戦への覚悟を、榎本は固めつつありました。






(主な参考資料)
箱館戦争―北の大地に散ったサムライたち
幕末史(半藤一利著)
図説・幕末戊辰西南戦争―決定版 (歴史群像シリーズ)
一冊でわかるイラストでわかる図解幕末・維新―地図・写真を駆使 超ビジュアル100テーマ オールカラー (SEIBIDO MOOK)



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