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2011/09Archive list
続・龍馬伝 (28)白虎隊

会津戦争が始まるさらに前、江戸城総攻撃をめぐり勝と西郷が談判をしている頃まで、時代をさかのぼります。
江戸から会津に帰った藩主・松平容保は、ひとつの結論を出してました。
今後の会津の方針を定めたのです。
武装恭順
鳥羽・伏見戦では相手方の発砲に対して、やむなく応戦したまでのことで、正当防衛である。
もちろん、会津は、朝廷に対して決して弓引くものではなく、自らも恭順を貫くつもりである。
だが一方、すでに会津征討令が下った以上、軍備は備えておかねばならない。
外敵から、会津の美しい自然、人々、何よりも「会津魂」を守らねばならない。
鳥羽伏見の敗北による軍備の拡張を思い知らされた容保は、軍制改革に着手します。
天明以来の長沼流軍制を捨て、洋式化を行うのです。
まず、部隊を年齢別に分け、機動力を確保します。
さらに、藩のなけなしの金をはたいて、彼らに最新式でないものの数年前の前装銃を与え、フランス式訓練を施す。
幕府勢が敗れた、鳥羽・伏見戦の薩長の軍勢に、少しでも追いつこうとしたのです。
朱雀隊 実戦機動部隊 18才~35才 1200人
青竜隊 国境守備部隊 36才~49才 1000人
白虎隊 予備部隊 16才~17才 300人
玄武隊 予備部隊 50才以上 400人
その他別働隊を含め、正規軍・3000人。
部隊名は、中国で東西南北を司ると考えられている霊獣、四神から付けています。
四神のごとく、会津を賊徒から護ってほしいという願いが込められていたのでしょうか。
そのひとつ、後世に悲しき名を残すその部隊の名がありました。
【第28回】白虎隊
当時、容保はじめ会津首脳は、予備部隊の投入までは考えてはいませんでした。
彼らの戦略は、何度も述べている通り、水際作戦。
国境付近に主力を配置して、賊徒どもの穢れた足を会津の地には踏み入れさせない。
しかし、その戦略がもろくも崩れ去ったとき、会津は、予備部隊の戦場投入を決断せざるを得ませんでした。

(『テレビ朝日新春スペシャルドラマ「白虎隊」』より)
「白虎隊」
藩校、日新館。
会津が全国に誇る、基礎教育と会津武士道の養成の場です。
10才の頃から彼らはここで様々なことを学び、会津武士として成長してゆきます。
武術、砲術、学問…そして、何よりも大事な、会津武士としての心構え。
彼らに会津魂を叩き込んだのは、敵の弾の盾とさせるためではありませんでした。
この激動の時代の中、才能をいかんなく発揮して、未来の会津・未来の徳川のため、力を尽くしてほしいという願いを込めて、日新館で日夜、研鑽をしてきたのです。
その希望を、夢を、志を…「戊辰戦争」が、無残に握り潰す。

(『テレビ朝日新春スペシャルドラマ「白虎隊」』より)
白虎隊、出陣。
この日も会津には、視界をかき消すような雨が降り注いでいました。
8月22日、夜。
間断なく降り続ける雨。
会津鶴ヶ城に至る最後の関門、十六橋を突破した敵は、最後の仕上げにかかろうとしていました。
一方、十六橋を突破された会津兵は、容保自らが陣を構える滝沢本陣に至る峠道を戸ノ口、強清水(こわしみず)、大野ヶ原と数段に渡って防御陣地を築き、城に至る最後の道を防衛しようとしていました。
その中に、白虎隊も配置されたのです。

8月23日早朝。
降りしきる雨。
峠の向こうから、突然、銃声が鳴り響きます。
敵の一斉攻撃。
雨と同じく、途切れることのない銃撃。
白虎隊の隊のひとつ、二番士中隊は37人の少年兵がいたのですが、突然の戦闘により死傷者が相次ぎます。
唯一の大人である隊長の日向内記(ひなた・ないき)が前夜に食料調達のため隊を離れたまま戻ってこれず、空腹と恐怖のためパニックに陥った少年たちは、死傷者を出しながら退却を重ねます。
必死の思いで鶴ヶ城が見える小さな山まで登ったときに、眼下に見たものは、既に焼き尽くされた城下町。
白虎隊の中でも、二番士中隊は日新館のエリートでした。
上級武士の子弟で編成し、毎日、日新館から帰宅すると、衣服を改め仏間に入り、切腹の練習をしていた。
卑怯な振る舞いは許されない。
彼らには、絶対的な規範があったのです。
パニック状態の中彼らが見た城下町の焼けた姿は、彼らの目には鶴ヶ城が落ちた風景に見えた。
城が落ちた以上、容保様も生きてはおられまい。
自らのけじめとして、城に敬礼し、自刃したのです。
彼らの最期の地となったその小さな山が、飯盛山です。
…しかし、白虎隊の悲劇は、これから始まる会津の悲劇の、ほんの序曲に過ぎませんでした。
城下に迫る薩摩藩、土佐藩などの新政府軍。
会津憎しの怨念で固めらられた彼らに、「敵を許す」という発想はありませんでした。
女であろうと子供であろうと、城下の会津人は片っ端から殺戮されてゆきます。
地獄絵図が、現実のものとして広がってゆくのです。
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Voile!(出帆!)
8月19日未明。
旗艦「開陽」から、榎本武揚は全艦に号令を発します。
榎本艦隊。
様々な列強から買い付けた多国籍艦隊の集合体でもある旧幕府艦隊は、当時、アジア最強と言われていた。
これに不沈艦・甲鉄が旗艦として加われば、文字通りの無敵艦隊が完成したはずでした。
しかし、ギリギリまで粘った甲鉄は結局手に入れられず、慶喜はじめ徳川家臣団を駿河へ送り、勝との約束を果たした後、榎本は、いよいよ大海原へと躍り出ます。
江戸湾に浮かぶ8匹の黒いけものが、いよいよ動き出したのです。
旗艦「開陽」 …蒸気船、オランダ製
軍艦「回天」 …蒸気船、イギリス製
軍艦「蟠龍」 …蒸気船、イギリス製
軍艦「千代田形」…蒸気船、国産
輸送艦「神速」 …蒸気船、アメリカ製
輸送艦「長鯨」 …帆船、イギリス製
輸送艦「咸臨」 …帆船、オランダ製
輸送艦「美香保」…帆船、プロイセン製

(『日本テレビ年末時代劇スペシャル「五稜郭」』より)
しかし…
8月23日。
白虎隊の奮戦も虚しく、薩土軍が会津城下まで迫っていた頃。
現在の千葉~茨城沖を航行していた榎本艦隊に、台風が容赦なく襲いかかります。
外洋経験のほとんどない榎本たちは、その自然の猛威に為す術もなく、船は散り散りになってしまいます。
榎本武揚の未来を暗示するような、波乱含みの旅の始まりでした。
(主な参考資料)
会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書)
戊辰戦争―敗者の明治維新 (中公新書 (455))
戊辰戦争から西南戦争へ―明治維新を考える (中公新書)
奥羽越列藩同盟 (中公新書)
幕末史(半藤一利著)
図説・幕末戊辰西南戦争―決定版 (歴史群像シリーズ)
一冊でわかるイラストでわかる図解幕末・維新―地図・写真を駆使 超ビジュアル100テーマ オールカラー (SEIBIDO MOOK)
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