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新選組血風録 第7話「胡沙笛(こさぶえ)を吹く武士」感想


昨日、amazonで注文していた原作本が届きました。




中古の単行本で、送料込みの610円。
新品とあまり変わらなかったので、どうせなら新しいのを買えばよかったと後悔しています。
え…リラックマ9「ガーン2」


思ったより分厚かったので、イッキ読みはとりあえず断念。
ということで、とりあえずこの作品の元にあった「胡沙笛を吹く武士」を読んだ上で、この回を見てみました。
そして、率直に感じたこと。


小説をただ映像化しただけで、
わざわざドラマにする明確な目的が見えてこない。



小説では、けっこう淡々と物語が進行していくんですよね。
現代風の、会話によって物語を進めてゆく方法でなく、状況説明の短文によって物語を進行させ、会話は読者を惹きつけるためのアクセントとしてのみ使っている風でした。
会話を最小限にとどめ、淡々と描くことによって、新選組のもつ非常さや冷徹さ、無味乾燥さを表現しているのかも知れません。
今回の「胡沙笛を吹く武士」は、わずか39ページです。

その中でも、急所はきちんと押さえている。

出世を夢見て新選組に入隊した田舎の若者が、思いがけず掴んだ、人間としての幸福すら許されない新選組の非情さ。

その非情さの中心に、土方がいる構図です。
逆に、倒幕や佐幕、尊皇や攘夷といった思想的な切り口は一切見当たらない。


一方、このドラマ。
原作をそのままトレースしています。
多少変えているところはありましたが、大まかには一緒。

そこに+αして、ドラマならではの盛り上げ方や演出の工夫、ドラマの核となる人物描写の作り込みなどの要素があれば、おもしろいドラマになっていた可能性はありますが、いかんせん、全てがフツーで工夫なさすぎ。


まず、安易にナレーションで場面をつなぎすぎ。
映像演出の技術は確実に進歩しているのだから、ナレーションがなくても分かるようにできるはず。
なんだか学校の授業を受けているみたいで、すごく退屈。

もうひとつは、キャラ付けができていない。
原作は上述した通り無味乾燥で、キャラクターは「豪胆な」とか「粗大な性格」とか、簡単な形容詞でしか語られていない。
かの大先生に向かってこんなこと言うのもなんですが、『坂の上の雲』を読んでも感じたことですが、司馬遼太郎さんは、史実を緻密に積み重ねた状況描写は得意でも、人間を掘り下げてゆくのはあまり得意でないのだと感じます。人間の形容の仕方もありきたりな言葉が多いですし。文系(or感情派)と理系(or理論派)で分けたときに、理系に属するタイプの書き方ではないか。

スペシャルドラマ『坂の上の雲』ではその辺りは見事に補正されていて、それぞれの人物が活き活きとして、何よりもカッコ良く描かれている。
一方、こちらはキャラ設定ができておらず、主人公であるはずの土方も何を考えているのか分からず、他の人間に至っては顔の区別すらつかない。
当然です。原作の無味乾燥な人物像をそのまま移植しただけなんですから。
沖田総司くらいでしょうか、魅力的なのは。
小説の呪縛に縛られず、もっと脚本家さんの自由な発想で、思い思いにキャラクターに息吹を与えて欲しかった。
…というか、この脚本家さん、本当に『血風録』好きなの?
好きなら何回も読んで、キャラクターにいろんな個性を当てはめているでしょ?
それとも、単に仕事でやったるだけ??


結論。
このドラマ、つまるところ


「血風録を読んでみたいけど活字が苦手な人のために、分かりやすく映像化した」ドラマ


その程度のものでしかない、のでしょうか??

原作が好きで読み込んでいる人は、原作のイメージを補完させながら見るのでOKとしても、原作を知らない人にとっては、今回はただのおバカないち新選組隊士の物語としか映らなかったのではないかと思う。
それくらい、小説(活字)とドラマ(映像)は違うものだということを分かってほしい。



やってしまった…リラックマ65「死にかけ」
このドラマについては、けっこう評価しているブログも多いのですが、憚りもなく自分の感じたことをぶちまけてしまいました。
このドラマを好きで見ている方、本当に済まぬ。



最初から飛ばしすぎました。
以下、しぼりカスのようなエネルギーを使って、今回の感想をほそぼそと。

________________________________________________________

今回は、製作者の意図としては、おそらく

「魔性の女・小つるが、ある隊士を喰い殺す物語」


にしたかったのでしょうが…いろいろ不自然な点がありすぎた。
まず、小つるがふっくらしすぎていて、全然「魔性の女」に見えない。
相手の鹿内薫も、汚れたメイク以外田舎臭いところはなく、言葉も標準語なので、原作の南部生まれの泥臭さが出ていない。
せめて『壬生義士伝』の吉村貫一郎のように、「南部盛岡は、日の本一の美しき国でござりやんす」とか方言丸出しで小つるに故郷を語ってくれたら、少しはイメージできただろうに…
いくら予算がないとはいえ、もうちょっとルックスや演技力を重視して人選しようよ…リラックマ4「汗」




火が灯っただけ…


2人のラブラブシーンになると、なぜか急に夕日になるんですよ。
この意味不明な映像フィルターなんとかして。
先週あたりから、こんなの多すぎ。
「趣味でパソコンをいじる素人の映像マニアが、自宅のパソコンでVideoStudio(映像編集ソフト)で作ってみました」そんな程度のもの。
僕も一時期映像編集に凝っていたので、その程度かと思ってしまう。

それと、雨の中で彼女を押し倒すシーンとか、意味不明なシーン多すぎ。
クエスチョンが頭の中に何回も浮かぶので、ドラマに入っていけないんですよ。




派手すぎるチャンバラ


今回は批判めいた目線で見ていたので特にそう感じたのかも知れませんが、チャンバラがちょっと派手すぎないか。
「殺陣」というより、ジャッキー・チェンのカンフー映画みたい。
「アチョー」って声が聞こえてきそうなほど、パフォーマンスまる分かり。
日本刀での対峙なら、もっと静かな、一太刀や二太刀で決着がつくような、そういったいうのがいいのではないかなぁ。
気を溜めるとか、そういった要素がないのが…とにかくせわしなさすぎ。




胡沙笛を吹く武士・最後のシーン


最後のシーンだけは、少し良かった。
小つるが彼の見た幻想で、すっかり腑抜けた鹿内に、原田があっさりと斬るシーン。
「逢魔が時かどうかと言っていたが…」以下ののセリフなどは一切余計でしたが。
血で染まった鹿内の脇差と、小つるの亡骸を見せる映像だけの方が良かったのではないか。



男と女。
ありふれた人の情けこそが、新選組を弱めるものかも知れない。
土方は、そう感じていた。



最後のセンス0のナレーションは、どんな偉い人が考えたのだろうか…リラックマ64「少し凹む」




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