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まぼろしの安土城(2)外観・内装


信長に誘われるまま、安土に向かった市と三姉妹の一行。
完成した安土城の、その荘厳な姿に、一同は言葉を失います。


安土城を見る三姉妹


「一国一城の主(あるじ)」という言葉が現在まで残っているように、信長がその拠点となるべき城を建築するのは当然のことではあるのですが…
その類を見ない華麗な外観は、まさに「信長流」


実の妹である市がぽつりとつぶやいた言葉が、印象的でした。

「いかにも…いかにも、兄上様らしき城じゃ」


霞の先に、その雄姿がそびえ立ちます。
のちに三姉妹は、その5階・6階に案内されることになります。


安土城の外観2500



天正4年に着工を始め、ほぼ完成したのが3年後の天正7年。
この安土城、城主(信長)の居住空間として巨大な構造物をつくる「天守(天守閣)」構造を採用していました。当時の最先端の建築様式で、のちに徳川家康が天下を統一して築城制限を行うまで、戦国時代の城のトレンドとなってゆく建築方式です。

信長は、特に安土城の天守を「天主」と命名しています。
地上6階地下1階という、他に比することのない壮大な規模を誇っていました。


各階層のふすまには、狩野永徳らによってきらびやかな障壁画が描かれています。
こここそが、信長の居住空間でもありました。
(もっとも、彼は一ヶ所に留まっているような男でないので、どの程度の日数、ここを寝床にしたかは疑問が残りますが…)



上の階は、信長の「天下布武」の構想を体現する独特の構造。
そこに、浅井三姉妹は案内されるのです。


安土城5階

正八角形の5階。
「八角の段」と言われ、宇宙をイメージしています。
森兄弟が説明したように「釈迦説法図」と言われ、釈迦の説法を十大弟子が聞き入っている様子が正面に描かれています。
天井には、釈迦の説法の様子を暖かく見守る天女。
もちろん、出典元は仏典、つまり仏教です。
もっとも、「花より男子」で、まったく違うところを見ていた人もいましたが…リラックマ24「好き好き」




安土城6階


森兄弟の話もそこそこに、さらに上の階に上がってゆく、おてんば娘・江。
正方形の6階は「四角の段」と言われています。
「天子南面」つまり、天下の覇者は南に向いて座るという中国の故事をモチーフにしていて、正面の南→西→北→東と一周する「天子創世」を表しています。道教・儒教の影響が色濃いです。





さらに、映像では出てきませんでしたが、信長は城郭内に

見寺(そうけんじ)

という、お寺まで建てているのです。


安土城俯瞰図500
(復元:三浦正幸、CG制作:株式会社エス)



________________________________________________________

でも、ここで、疑問に思うことはありませんか?


「釈迦説法図」とか「お寺」とか言いますけど…

信長は、徹底した合理主義者で「無神論者」じゃなかったの?

現に、仏教系組織の比叡山を焼き討ちし、一向一揆を弾圧し、石山本願寺と戦争をしていますよね。
キリスト教を認めたといっても、それは南蛮貿易の実利のためにそうしたというだけであって、宣教師フロイスの著書『日本史』の中にも「信長は、仏教でいう地獄や極楽、キリスト教でいう天国のような、前世や来世を信じてはいなかった」という記述が残されています。


その信長が、なぜ、城郭内にお寺なんて建てたの?
安土城の5階全体を使って、仏教世界を表現したのはなぜなの?



そこを突き止めてゆくと、信長が最終的に目指したものが見えてくるのです。
次回(来週掲載予定)は、安土城郭に表現された、信長の「天下布武」の真意に迫ります。



(主な参考資料)
安土城天主・信長の館
一冊でわかるイラストでわかる図解戦国史(SEIBIDO MOOK)
戦国合戦大全 (下巻) (歴史群像シリーズ (51))



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