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続・龍馬伝 (1)王政復古


龍馬伝第4部タイトル(雲の



坂本龍馬は、雲の上に行ってしまいました。
今ごろは、のんびりと昼寝でもしているのでしょうか。。。
※「坂の上の雲」にかけているわけではありませんので、あしからず。この絵はただの偶然です。


来年の大河まで少し時間もありますので、しばらくの間、龍馬亡き後の日本を追いかけてみたいと思います。
題して、


『続・龍馬伝』
  ~龍馬伝その後~



ということで、連載始めたいと思います。
そんなに詳しくはできないので、あらすじを追うような流れになると思いますが。
それと「続…」と言っても、画像は「篤姫」45話以降など、龍馬伝以外のものを多く使うと思いますので、そのあたりは多めに見てね。

雲の上の龍馬さん、見守っていて下さいねリラックマ58「ペコリ」


________________________________________________________


【第1回】王政復古


大政奉還は、薩長討幕側にとってそうとうの痛手となりました。
彼らは討幕の大義名分を失っただけでなく、朝廷に工作していた討幕の密勅も公家の中山忠能らから凍結を言い渡されてしまいます。
武力倒幕の芽はほぼ摘まれたと言っていい状態。

それどころか、朝廷は政権を返上されたものの政権担当能力はなく、大政奉還と共に出された慶喜の将軍辞職願いは保留とされます。
「大政奉還後も、徳川家が権力の座に君臨し続ける」
それこそが、慶喜の狙い。
討幕側は、慶喜の術中にはまりつつありました。


「このままでは、今までの苦労が水泡と帰する」
彼らは、慶喜が政権を明け渡す本心がないことを知り、ついに実力行使に出ます。
それは、

「クーデターにより、慶喜を失脚させる」


というものでした。


もちろん、このような行為を慶喜が許すはずがありません。
よって、あくまで秘密裏に行わねばなりません。

「計画は入念に、行動は迅速に」


秘密工作の中心となった人物が、


岩倉具視


慶応3(1867)年12月8日。
岩倉は自邸に薩摩・土佐・安芸・尾張・越前各藩の重臣を集め、協力を求めます。
続いて朝廷での話し合い(評議)を行い、徹夜の折衝の結果、長州藩主毛利敬親親子らの赦免、さらには、いまだ参内が禁止されていた岩倉自身の復権も約束されます。


「計画は入念に」
岩倉のこの精緻な根回しには、驚くばかりです。
朝廷有力者に加え、土佐も含めた諸藩の合意も得、何も知らないのはのんきな慶喜のみ。
さて、準備は整いました。



「行動は迅速に」
さっそく、西郷隆盛の指示で王政復古に合意した薩摩ら5藩によって京都御所の諸門は厳重に警護されます。
その動きに驚いた反対派が御所に駆けつけたときには、すべての門は固められ、アリ一匹入れない状態でした。


そして…岩倉は宣言します。


王政復古


彼が幼い明治天皇によって発布させた、


『王政復古の大号令』


は、以下のような内容でした。


1.慶喜の将軍辞職願いを認める
2.京都守護職・京都所司代を廃止する
3.江戸幕府を廃止する
4.摂政・関白を廃止する
5・総裁・議定・参与という三職を新しく設置する



「王政に復古する」つまり昔の天皇親政を復活させると言いながら、摂政・関白を廃止し朝廷の秩序を一新することで上級公家を排除しているところに注目です。
大政奉還後も徳川政権を認めた旧来型の公家の首をバッサリ切ったのです。
そして、新設した三職に親岩倉派の人間を配し、岩倉ら一部の公家と薩長が主導する新政府を設置する下地を作り上げた。
幼い明治天皇は、当然、そのような政治的駆け引きは知りません。



これにより、260年間続いた江戸幕府に終止符が打たれたのです。




(主な参考資料)
一冊でわかるイラストでわかる図解幕末・維新―地図・写真を駆使 超ビジュアル100テーマ オールカラー (SEIBIDO MOOK)



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