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龍馬暗殺現場の真実(4)


龍馬暗殺の黒幕は誰か。
龍馬人気と共に「幕末最大のミステリー」として、多くの人々の関心を集めてきました。
前回に続き、今回も信憑性の高い説を紹介したいと思います。



龍馬暗殺の直後から、京ではある噂が広がっていました。
彼を暗殺した裏側に、とんでもない陰謀が渦巻いているのではないか、というもの。
表立って口にすることは憚られましたが、人々は、脳裏にある共通の黒幕を描いていたのです。

その一端を、肥後熊本藩のある家老が残した手記に見ることができます。
日付は、暗殺から20日後。そこに書かれていた名を見れば、みなが口にすることを恐れたことも納得できると思います。


肥後熊本藩の手記


龍馬と同じ倒幕側であった、薩摩。
その薩摩こそ黒幕であると言うのです。






時は流れ、明治の世。
政府は龍馬暗殺の自白という確信的な証拠を得ることになります。


今井信郎


薩摩を中心とする当時の明治政府は、記録では7ヶ月にも及ぶ取り調べを行っています。
暗殺者本人の口から当時の犯行の全貌が明らかになることは、誰に目にも明らかでした。

しかし・・事件は闇の中に封印されます。
明治政府はその取り調べの内容を一切世間に明らかにしませんでした。


1枚の簡単な判決文と共に、彼に出された刑罰は、わずか1年半の禁固刑のみ。
明治5年に釈放された今井は、のちに、静岡県の監督付の役職が与えられます。
明治政府は、釈放後の就職先まで斡旋してあげたことになります。

同じく暗殺実行犯7人のもうひとりの生き残りである渡部篤も、同じ時期、元薩摩藩士の紹介で奈良の警察本部長に就職しています。


龍馬暗殺の実行部隊に対しての、異例ともいえる処遇。
新選組の近藤勇らに対する処置(斬首など)に比べると、その奇怪さが一層浮き立ちます。
そして、闇に埋もれた真実。
そこに何らかの政治的な意図があったとしても、何ら不思議はないのです。



…ということで、今回は


薩摩黒幕説


について検証してみたいと思います。


________________________________________________________



事件の8ヶ月前、京の北野天満宮。


北野天満宮


ある見廻組の組員が、この地で不用意に銃を乱射します。
幕末戊辰の戦乱期ならまだしも、この当時の京で発砲する理由はどこにもありません。
神道、ひいては天皇に弓引くと咎められても言い訳の立たない行為。

しかし、この問題はうやむやになります。
本来は大問題になるはずのこの事件を、間に入って丸く収めたのが…薩摩の人間だったのです。
薩摩藩も、それがのちに思いもよらない形で役に立とうとは、さすがに予見できなかったでしょう。




この頃から、薩摩の西郷・大久保らと龍馬は、徐々に食い違いをみせていました。
第2次長州征伐で幕府軍を長州のみの力ではねのけたことに自信を深め、武力倒幕に傾倒してゆく西郷ら。
龍馬は武力倒幕に対して、あいまいな態度を取っていました。


西郷らの考えが46個の歯がついた歯車だとすると、龍馬の歯車は47個。
龍馬の歯が自分たちよりひとつ多いと気付くのは、この頃からです。
自分たちにはない、ひとつ多いその歯の名は

「大政奉還論」

歯数の違う歯車は、今は不安定ながらお互いカチカチと噛み合っていても、やがてカチンと互いの歯がぶつかる時がくる。
その時に脱落するのは、自分たちか、それとも龍馬か。



その時に備えて、彼らは秘密工作を行います。
討幕の最大の障壁になるであろう会津の切り崩しにかかるのです。

北野天満宮でのパイプ、いわば「見廻組への貸し」を巧みに使い、彼ら組員と接触を図ります。
薩摩藩士・高崎正風は和歌に秀でていることを利用し、会津出身者が集まる歌会に参加。
そこで出会ったのが、同じく和歌の名手である佐々木只三郎でした。
海江田信義は武道に秀でた薩摩藩士。
見廻組きっての剣の達人である渡部篤と面識を持ち、渡部が京に構えていた道場に来て3本勝負を行うなど、交流を深めてゆきます。


彼ら見廻組から、幕府の内情を探るか。
もしくは、武力を行使した場合の衝突相手である見廻組の無力化を図るか。
西郷の頭の中には、その使い道のリストがすでに並べられていたことでしょう。





薩摩軍


薩摩は京に3000の兵を進発させます。
長州もそれに呼応して京に派兵する支度を整えていました。
その大きな動きはもはや隠しようもなく、誰の目にも薩長が武力倒幕に踏み切る覚悟を決めつつあるのは明らか。
軍勢を見せつけることで、日和見の諸藩を討幕側になびかせ、武力衝突の際の兵力を優位にもってゆく。
西郷の狙いでした。



準備は整いつつある。
あとは、着火装置を手に入れればすべてが完成する。
恐れを知らぬ彼らは大胆にも、天皇自らが火をつけるように仕向けます。
大久保を中心として朝廷に近づき、ニセの討幕の詔勅を作成するのです。


討幕の密勅


賊臣・慶喜を殄戮せよ


天下の賊臣である慶喜をメッタ刺しにせよ。
その文章は、天皇の言葉とは思えないほど過激なものです。

この討幕命令書が発布されたと同時に、薩摩とその諸藩連合軍は一斉に蜂起。
京に攻め入り、京都御所から幕府勢力を排除し、天皇の権威をもって天下に幕府の解体を宣言する。
そうなれば、龍馬の案も水の泡と消えよう。自分たちに協力するしかないはずだ。
そう。ほんの一瞬で終わるはずでした。




…しかし、歯車は思わぬ形で回転します。
龍馬の迅速な行動は、薩長の軍勢が京に着くヒマさえ与えませんでした。


大政奉還のシーン2



西郷らの企みをあざ笑うかのように、龍馬は大政奉還を成功させるのです。

数千もの兵士の銃剣によってのみ倒幕は成しうると考えていた薩長勢。
その大勢の兵士を尻目に、龍馬はたったひとりで、剣でなく言論によって将軍慶喜を動かし、事実上の倒幕を成し遂げてしまったのです。


龍馬はさらに、新時代に向かって歯車を進めます。


○○○


空欄になった最高位。西郷らは戦慄します。
龍馬の狙いは、大政奉還で幕府を一度白紙に戻したあと、慶喜を体裁良く最高位に付け、そのあとは彼がデザインする政府人事により、土佐主導の新政府を作ることではないのか。
そうなれば、薩摩は永遠に龍馬と土佐藩の後塵を拝することになる。


真に恐ろしいのは、幕府でも朝廷でもなく、このたったひとりの土佐人であった。
西郷らはもはや猶予はならぬと、その謀略は、彼ひとりに向けられてゆきます。



近江屋に身を潜めていた龍馬に対し、
「今潜伏しているあたりは物騒だから、薩摩藩邸に入ってはどうか」
と誘いをかけますが、
「薩摩藩邸に入るくらいなら、一戦交える覚悟です」
と手痛く断られます。




もはや、非常手段しかない。

佐々木只三郎ら見廻組の使い道は、決まりました。
「新政府樹立後は良きように計らう。安心せよ」
そう口添えをし、この世にいてはならないその男の名を告げるのです。


暗殺決行


「知恵くらべでは完敗したが、最後は力を使ったものが勝つのだ」
西郷は龍馬にそう言いたかったのでしょうか、闇の力により、暗殺の真実は現在まで明らかになっていません。






(主な参考資料)
その時歴史が動いた 歴史の選択「 坂本龍馬暗殺 黒幕は誰か?」(2006年)




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