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「坂雲」第4話解説~日清戦争~(1)


2回に分けて、日清戦争を追ってゆきたいと思います。



前回の記事で日清戦争勃発に至る経緯を書きました。
朝鮮というカノジョをどちらが奪うのか。


日清戦争概略図




日本と清。
朝鮮を巡って争うにあって、大きな違いがあります。
それは、「清は朝鮮と陸続きであるが、日本は海を隔てている」ということです。

日本が朝鮮に軍隊や食料弾薬その他の輸送物資を送るのは、すべて海上輸送に頼ることになりまます。
つまり、日本側はこう考えた。


海上決戦が勝敗の全てを左右する


その前提のもと行われたのが、

豊島沖海戦
黄海海戦
威海衛海戦



豊島沖海戦




清国旗清の北洋艦隊

「定遠、鎮遠」という巨大戦艦をはじめ、22隻。
ちなみに「遠」とは外国を意味しますが、特に日本が意識されていました。
日本の軍艦名が名景や自然から付けられているのに比べると、実にものものしい感じがします。
排水量7,314トンのこの2隻の巨大戦艦は、海戦で敗れはしたもののの、結局沈むことはありませんでした。



連合艦隊の旗日本の連合艦隊

「松島、橋立、厳島」といういわゆる三景艦はじめ28隻。
数こそやや優位ですが、この最大級の3艦でさえ排水量4,278トン。
定遠・鎮遠が大人だとすれば、三景艦は中学生のようなもの。
しかも、松島は船体に対しあまりにも大きすぎる32センチもの巨砲を載せたため、砲が旋回するたびに船体がぐわんを傾き、とても使いものにならなかったそうです。
重い鉄パイプは、大人は振り回せても子供は振り回すと体ごと持っていかれるでしょ?



3つの海戦のうち、最大の海戦となった「黄海海戦」
結果として、日本の一方的勝利に終わりました。


黄海海戦の図



戦いを決めたのは、意外にも巨大戦艦でなく、その周りをちょこまかと動く巡洋艦でした。
たとえば「吉野」という日本の巡洋艦は、速度が22ノットと清艦の倍近くあり、そのうえ最新式のアームストロング砲を備え、威力は小さいが連射ができる。
鉄パイプを振り回す大人に対して、すばしっこく動いてそれを避けながら、軽いプラスチック製のパイプでなんどもなんども相手の手を攻撃する小学生のようなものでしょうか。
ちなみに…先の中学生は、このあいだ大人に鉄パイプで何度も殴られてしまいますが。


清は、巨砲で相手の艦隊を沈めることを目的とした。
それに対して日本は、軽量の速射砲で艦上の兵器や兵員を攻撃・破壊することで、相手の軍艦を「浮かべるスクラップ」にしてしてしまった。
日本の作戦勝ちです。



結果として、海上決戦を制し北洋艦隊を一掃した日本。


陸上でも、平壌をほぼ一日で陥落させ、朝鮮国内から清勢力を追い出すことに成功します。
(勝因は士気の違いにあります。清陸軍の士気の低さは目に余るものでした)


当初の「朝鮮から清を追い出し、日本の保護国(カノジョ)にする」という目的は達成できたのです。
ここで戦争を辞めるという選択肢もありました。

しかし…日本の軍部や世論がそれを許さなかった。
さらに、政府もそれを利用した。
清を徹底的に打ち負かし、上手くいけば北京まで軍隊を進行させ、列強と同じく清の分配争いに割って入れというのです。
そういった声を後押しとし、伊藤博文と陸奥宗光は、遼東半島への侵攻を決意。
いよいよ清の領土内に侵入しますが…続きは次回にて。



(主な参考資料)
『坂の上の雲』歴史紀行 (JTBのMOOK)
日清戦争―東アジア近代史の転換点 (岩波新書 青版 880)
NHK高校講座・日本史「日清戦争」


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