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龍馬暗殺現場の真実(3)


「龍馬伝」はもう終わったと思っているアナタ。
いえいえ、今年いっぱいは終わりません。

なぜなら…


龍馬伝・総集編のお知らせ


黒いバックが何だか喪中のお知らせみたいですが、そうではありません。
(縁起の悪いことを言ってスミマセン)

龍馬伝総集編...!リラックマ27「上昇」


1部ごとに1時間(59分?)、全部で4時間。
それぞれの間の1分間にはニュースが入るのだろうか?
いやいや、そんな短い時間じゃ無理だろ。その次の番宣かな。
そんな下らないことを考えている今日このごろです。

総集編第4部の最後に、ホームページで募集していた龍馬伝のベストシーンの発表もあるらしいので、これは必見ですね。

ということで…

今夜もいってみよぉ!(魂ラジ風に)

________________________________________________________


先々週の「龍馬暗殺現場の真相」続きより。
今回と次回で、暗殺の黒幕で特に有力な2勢力を挙げ、検証してゆきたいと思います。



龍馬が暗殺されたあと、海援隊隊士などの必死の捜索にもかかわらず、全く犯人の手がかりはつかめず、事件は迷宮入りかと思われました。

それが、明治3年、ある元見廻組組員の自白により、犯人は見廻組の7人であることがハッキリします。
その7人とは、

佐々木只三郎
今井信郎
渡辺吉太郎
高橋安次郎
桂隼之助
土肥仲蔵
桜井大三郎




自白した今井信郎は、

「御差(指)図」

により龍馬を殺した、と語っています。
自分たちが自発的に動いたのでなく、指図をした人がいたというのです。
これが、見廻組単独犯説でなく、黒幕説を裏付ける有力な証言となっています。


この指図をした対象が誰だったのか、今井信郎は最後まで口を閉ざしました。
が、常識に的に考えると、見廻組の直属の上司である、

会津藩主・松平容保

の名前が浮かんできますよね。
それに加えて、明治36年、見廻組与頭・佐々木只三郎の兄が死の直前に重大な証言をします。
(なぜ死の直前にこのようなことをいったのか、真偽は未だ不明ですが…)

「命じたのは松平容保である」



ということで、今回は、

会津黒幕説


を検証してみたいと思います。
この説を挙げるにあたって、よく論点となる

○松平容保は、なぜ暗殺の事実を隠したのか?
○どのように龍馬の居所をつかんだのか?
○なぜ新選組でなく見廻組にやらせたのか?


についても、下に描いたストーリー中で明らかになってゆきますので、注意して見ていただきたいと思います。

________________________________________________________


松平容保(京都守護職)


彼が京都守護職として京の治安を守る上で、早くから危険人物としてマークしていた人物がいました。
彼独自の情報網から、フィクサーとしての噂が絶えないのです。

坂本龍馬


その懸念が現実のものになったのが「薩長同盟」
その中心人物に、やはり彼の名前がありました。
容保は即座に龍馬の身柄を拘束するように命じ、伏見奉行所が潜伏先の寺田屋を急襲しますが…捕獲は失敗。
このあとの龍馬の活躍ぶりは、「龍馬伝」を見ていた皆さんには説明不要でしょう。


捕獲が失敗した後も、彼がいるために幕府の衰退は目に見えて加速してゆきます。
もはや、彼には消えてもらうしかない。
容保はこの頃から、龍馬殺害の可能性を探っていたのです。

しかし、その行動を躊躇させる要因がありました。
薩摩と長州です。


この当時、薩長がいつ武力蜂起をするかということは、幕府の中でも懸案事項でした。
「武力倒幕のための大義名分を与えない」
これが、この当時の幕府にとって重要課題だったのです。
薩長にとっての大恩人である龍馬を殺したのが幕府だと分かれば、それを理由として彼らは武力蜂起するのではないか。
容保はそれを恐れていたのです。


龍馬をこのまま生かしておいていいのか?
かといって、薩長に討幕の大義を与えてはならない。


容保が悩んでいるうちに…
龍馬はその数手先をすでに読んでいました。
幕府にとっての「王手」
それは、幕府という組織そのものを解体させること。

龍馬は、最後の詰めの一手を繰り出すのです。


大政奉還のシーン


容保がぐずぐずしている間に、龍馬は将軍をも動かしてしまうのです。


慶喜が大政奉還を受諾した事実は、容保にとって非常に重いものでした。
将軍である徳川慶喜が大政奉還を受け入れた以上、その発案者である龍馬を殺すことは、将軍の意に背くことになってしまいまうからです。


ここに来て、容保は、幕府の名において龍馬を成敗する道を完全に絶たれたことになります。
幕府をも手玉に取る恐るべき巨人・坂本龍馬。



しかし…
容保は、何がしかの違和感を感じずにはおれませんでした。

容保は、慶喜の信頼を受けていたこともあり、慶喜の幕府再興の想いもよく知っている。
その慶喜が、なぜそんな簡単に、大政奉還を受け入れたのか?


彼は、幕府内に内通者がいるに違いないと、幕臣にその疑いの目を向けてゆきます。

そして…
その捜索線上に浮かんできたのは、意外な大物でした。


永井尚志2


慶喜の信頼も厚い、実質的な幕府ナンバー2。
彼が慶喜に大政奉還を勧めたことがハッキリとしてきます。


容保がホシに目をつけ、捜査を続けると…
案の定、永井が龍馬と密会している事実を突き止めます。


忠義の幕臣・松平容保。
幕府を救うためには奸計もやむなしと、彼は大胆な行動にでます。


「自分は幕府の忠臣であるが、徳川のためにも大政奉還やむなしと賛成する立場に立った。
ついては、その創案者である龍馬殿に、自分から礼を言いたい」


密会に行く永井に言葉巧みに同行し、龍馬と面会するのです。
龍馬にとって容保はもっとも危険な人物でしたが、信頼する永井が同席を認めたことで、龍馬も心を許します。


容保は龍馬に言います。

「私とて徳川の恩人。貴方が徳川のために大政奉還の建白を行ったこと、この容保、恐れ入るばかりである。
幕府からの刺客を恐れておいでと聞いたが、今後、そなたの身の安全は私が保証する故、安心なされよ」



幕府への忠節を唯一の心の拠りどころとする容保にとって、たとえ策とはいえ幕府を転覆させた大政奉還の立案者・龍馬を褒めるこのような言葉は、内心は怒りで煮えたぎる思いがあったに違いありません。
しかし容保は龍馬暗殺のため、心を鬼にして、龍馬を接待するのです。


この一世一代の容保の大芝居は、効果テキメンでした。
人のいい龍馬は彼を信用し切ってしまうのです。

寺田屋のお登勢が身辺の警護を怠らないように警戒した手紙を龍馬に送った際も、彼はこう返書を出しています。


龍馬の横顔


暗殺の前日のことでした。



実はこの時、容保はすでに会津独自の情報網や永井からの情報などを総合して、龍馬の近江屋潜伏を察知していたのです。


容保は、熟慮を重ねた結果、ある結論に達します。

今回の最重要事項。
それは、暗殺の成否はもちろんのこと、万一しそこねた場合も含め、会津からの差し金であると絶対に漏れてはならないということ。



そこで容保は、見廻り業務で20人もの殺人の実績のある新選組ではなく、あえて、それまで業務上ひとりの殺人も犯していない見廻組を選びます。
それまで、新選組は事件を起こすたびに京の町を派手に練り歩き、自らの存在を誇示していた。
今回だけ完全に秘密にせよと言ったところで、どこまで信用できるか分からない。
それに対して、見廻組はいわば「会津の腹心」
見廻り業務で(公式には)ひとりの殺人者も出してないという表の事実が、新選組との違いを物語っています。

さらに、容保は念には念を入れまます。
見廻組の中でも、特に忠誠心の高い会津出身の佐々木只三郎を選び、ひそかに命を下します。

「坂本龍馬を亡きものにせよ」


佐々木が選んだのは、腕も立ち、命令を忠実に実行し、信用のおける部下6名。


見廻組・暗殺メンバー



龍馬を油断させ、ひそかに討つ。
容保の権謀術数にかかった龍馬は、たった7人によって、その短い生涯を終わらされるのです。





(主な参考資料)
その時歴史が動いた 歴史の選択「 坂本龍馬暗殺 黒幕は誰か?」(2006年)




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