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龍馬が描いた日本(2)


龍馬暗殺から50年が経とうとしていた、大正4年。
8月5日付けの朝日新聞に載ったある記事が、読者を驚かせます。


そこに書かれていたのは、元見廻組の渡部篤(あつし)が、死の直前に、龍馬暗殺を告白したものでした。
人々が驚いたのも無理はありません。
明治3年の今井信郎の龍馬暗殺の証言は、明治政府のトップシークレットとして、取り調べに関わった者と政府上層部の一部しか知らないことでした。
大衆が龍馬暗殺の実行犯を知るのは、この時が初めてだったのです。

その記事には、渡部の言葉として、こう書かれていました。


渡辺篤の新聞記事


渡部が死の直前まで抱きつづけていたことは、新しい時代を切り開こうとしていた人物を斬ってしまった罪の意識だったことがうかがえます。
龍馬暗殺実行犯の7人のうち戊辰戦争後も生き残ったのは今井と渡部のふたりだけですが、渡部はこのような言葉を残して死に、今井は暗殺の証言ののち、どのような心境の変化があったかクリスチャンとして生涯を終えたことと併せて考えると、因縁深いものを感じます。



暗殺者からさえ、死を惜しまれる男であった坂本龍馬。
彼が描いた日本は、どのようなものだったのでしょうか?


今日はその第2回として、その経済理念を取り上げてみたいと思います。

________________________________________________________


龍馬の経済政策を述べる前に、龍馬と肩を並べる経済センスの持ち主を挙げねばなりません。
このブロブ上でもたびたび登場している、幕臣・小栗忠順です。

彼は、大政奉還の3ヶ月前に、日本初の紙幣発行を計画します。
パートナーとして選んだのは、両替商をやっていた民間の三井組。
三井組は、この計画のために「三井御用所」という政府と太いパイプをもつ金融機関を設立し、そのトップに、のちの三井グループを支える三野村利左衛門(みのむら・りざえもん)を抜擢します。

そうしてできたのが、日本初の政府紙幣

江戸銀座札


小栗は紙幣発行によって幕府の財政を立て直すと同時に、日本独自の経済システムを創り上げることによって当時の外国資本に独占されている貿易の主導権を取り戻そうとしたのです。

ちなみにこの「銀座」という名前の由来、知っていますか?
今「銀座」という名前を聞いて思い浮かべるのは、東京の繁華街である銀座ですよね。
この名前は、江戸幕府がその地に銀貨の鋳造所を置いたことに由来します。
つまり、銀座とは、貨幣鋳造所の代名詞のようなもの。

新しい政府紙幣もこの場所で作られたので、「江戸銀座札」と呼ばれたのです。



龍馬も、越前藩の三岡八郎(みつおか・はちろう)と組んで、新政府ができた暁には紙幣を発行しようと計画します。
大政奉還前の11月1日に龍馬はこの若き俊才を訪問し、記録によると辰の刻(朝8時)から子の刻(夜12時)まで紙幣発行について熱く語り合い、意気投合したとあります。
三岡は、龍馬の経済センスを理解できる、当時としては数少ない人物だったのでしょう。

龍馬亡き後、由利公正(ゆり・きみまさ)と名前を改めた三岡は、その経済手腕を認められて明治新政府の財政を担当するようになると、さっそく新紙幣のプランに取り掛かります。
その時にコンビを組んだのが、前述の三野村利左衛門。
タッグを組む相手は変わりましたが、龍馬との約束を果たしたのです。



龍馬が構想したのは、単に新紙幣の発行だけではありません。
この案は、いわば幕臣の小栗にヒントを得た「二番煎じ」のようなもの。

それ以上に、水爆級の秘策を彼は温めていたのです。
「この策が実行されれば、将軍の位はそのままでも一向に構わない」と龍馬が言うほどの、彼にとっては満を持した策を持っていた。
慶喜が大政奉還を決意する3日ほど前に、後藤象二郎宛に書いた手紙の中で、龍馬は初めてその秘策を明かすことになります。


銀座移転策


「江戸の銀座を京都に移す」と彼は言っています。
これはどういうことか。

前述の通り、銀座とは、貨幣鋳造所のことを指します。
「江戸の貨幣鋳造所を京都に移す」とは、幕府が握っている貨幣の鋳造権を新政府側に移すということを指します。
貨幣鋳造権を取り上げられた徳川は経済システムの構築者から、いち消費者に成り下がる。
そして、新政府が経済の支配権を得るということを指します。
貨幣鋳造権を掌握した新政府が、龍馬の新紙幣発行構想に基づき、新しい貨幣体型を作り出すということです。


ここは少し分かりにくいと思いますが(正直、自分も経済に疎い人間なので、よく分かっていない部分です)、現在に置き換えて考えると少しは分かるのではないかと思います。
たとえば、日本の円が消滅し、アメリアのドルが日本の通貨になった場合、どうなるか。
日本の独自性は失われ、経済の根幹をアメリカにコントロールされることを意味します。
つまり、日本が経済的にアメリカの属国(つまり、アメリカの51番目の州)になることを意味しますね。


今でこそ貨幣=国家そのものである、という価値が常識となり、しのぎを削る熾烈な通貨戦争が行われていますが、この当時に貨幣鋳造権に目をつけた龍馬は、さすがに慧眼であると言わざるを得ません。


この手紙を、後藤はどう読んだのか。
残念ながら、彼には理解できなかったのではないか。
ただ、後藤象二郎は龍馬の才覚を見抜き、自分の理解を超えたことでも彼を信じ龍馬に全てを任すという度量の広さはあったでしょうから、龍馬が暗殺を免れ、土佐藩主導での改革が進んだならば、こういった案が次々と実行されたはずです。
そうなっていれば、現在「銀座」は東京でなく京都の繁華街となっていたでしょう。
今の日本は、ずいぶんと変わったものになっていたのでしょうか・・・

________________________________________________________


たまに「大政奉還を実現しただけでは、徳川は何も変わらない」とし、大政奉還を主導した坂本龍馬を過大評価することを疑問視する人がいます。
その通りです。大政奉還だけでは、徳川は何も変わりません。
それこそ、西郷らが恐れていた通り、徳川家が実権を握り続けることになるでしょう。

しかし、龍馬の改革案は、大政奉還が終着点ではなかった。
むしろ、その後に行うべき改革案こそ、龍馬が練り上げた新生日本の具体像となるはずでした。

2段階革命思想

第1段の大政奉還で政治権力を空白にし、いわば革命の土壌をつくる。
第2段の新官僚体制と銀座移転により、新政府による脱皮した日本の土台を作る。
これにより、旧幕府側も旧討幕側も一滴の血を流すこともなく、完全に平和的に革命が達成されることになります。
戊辰戦争で戦死した両陣営合わせ1万3000人の命を龍馬は救ったことになるのです。



さらに、

第3段革命

ここからは、龍馬の手紙にもありませんので、あくまで僕の希望ですが…
龍馬が生きていれば、その次の手も当然考えたはずです。

自分の描いたアウトラインに沿って国内の政治・経済がある程度安定したのを見届けた龍馬は、あとは他の人間に任せて、自らは海外に打って出る。

日本は幼虫から脱皮し成虫になったといっても、まだまだ羽も充分に伸ばせないヨチヨチ歩きの状態。
単独では、とても欧米に対抗できない。
そこで龍馬が目をつけたのが、おとなりの清国と朝鮮。

彼は、当時弱体化しつつある清国とその属国である朝鮮、そして日本をまとめ上げ、あたかもひとつの国家として機能させることにより、欧米に対抗しようと考えます。
毛利元就ではないですが「三本の矢がまとまれば、大の大人でも折れやしない」
それに、もともとは同じ民族、分かり合えないはずがない。
日本の技術力、清国の労働力、そして朝鮮の中継地点としての地理的条件、そういった3国の長所をひとつの力として集約しようという発想。
人やモノの通行を自由化しひとつの経済圏として結びつけ、さらに軍事力も共通化する。
今のEUの発想より100年近くも前に、龍馬はかれ独自の自由で独創的な発想力により、国家の枠というものを取り払ってしまうのです。

「そんなこと、できっこない」

皆、思った。常識的にはそうです。
しかし…あの、犬猿の仲であった薩長をまとめ上げた龍馬なら…あるいは可能だったかも知れません。
龍馬の余生は、その実現にすべて捧げられることになります。


最後の構想については、将来の日本が採るべき道であると多くの人が考える東アジア構想を、龍馬に託したものです。
現代人の宿題さえ龍馬にすべて押し付けるのは、あまりに頼りすぎているかも知れませんけどね。





(主な参考資料)
坂本龍馬と海援隊―日本を変えた男のビジネス魂 (講談社文庫)
[図解]坂本龍馬の行動学



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