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坂本龍馬の錬金術


「錬金術」

知ってますか?
鉄のような普通の金属を、いろいろこねくり回して金(ゴールド)を作ろうとした。
昔の人は、とんでもないことを考えたものです。
しかし、科学的には全くナンセンスな話。
鉄(Fe)から金(Au)が作れるわけないんです。無から有は生まれない。

ただ、もともとの言葉以外にも、転じていろんな意味に使われます。
以前の「船中八策」に込めた龍馬の先見性で、外国商人が濡れ手で粟のボロ儲けをした、銀と金の交換を繰り返すだけで金が3倍ずつ増えるというのも、錬金術と言えなくもない。



そこで、坂本龍馬です。

彼のビジネスセンスは天下一品。
何とか、貧乏所帯の海援隊を軌道に乗せたいと思っていた。


実は、亀山社中時代、龍馬はほとんど長崎に姿をあらわさず、京など他の場所にいることが圧倒的に多かった。
いわば、亀山社中を「遠隔操作(リモートコントロール)」していたのです。
ただし、現在のように電話もなければメールもない時代。
たとえば、長崎から「龍馬さん、これどうしたらいいですか?」と京に飛脚を飛ばし、龍馬が「それはこうしたらいいよ」と返信がくるのに、短く見積もっても1ヶ月はかかります。
(龍馬暗殺のような重大ニュースでさえ、長崎に届いたのは12日後のことでした)
その間、情勢はいろいろと変わっているはずです。

つまり、完璧なリモコンはほとんど不可能なんです。
これが、亀山社中のアキレス腱になっていました。



龍馬は考えたはずです。
「海援隊」では、できるだけ個人行動は慎もう。
自らの考える大政奉還と、海援隊のビジネス活動を両立する策を打たねば。



そこで考えたのが、今回のアイディア。

※ちょっとややこしいですが、じっくり読んで下さい。驚くべき構想力です。



○田辺藩への資金援助と物流開拓


丹後の国(現在の兵庫県と京都府をまたぐ最北部)に田辺藩(別称舞鶴藩、現在の舞鶴市付近)という藩がありました。
長州や薩摩のように、自国で船を持ち、自国の産物を運搬する能力のもたない小さな藩です。
当時、漁業や鉱物資源(銀・銅・石炭)をなどを産業としていました。
※特に石炭は、国内では蒸気機関の大幅な導入による急激な需要増が見込まれていた有望な資源でした。(のちに「黒いダイヤ」と呼ばれ、明治日本の産業の命になります)
しかも良港を2つも持ち、大型船が運行するのに支障がない。
(この立地条件より戦時は海軍の要所になりました)


舞鶴市



龍馬は、そこに目をつけます。
田辺藩に、このような話を持ちかけます。

田辺藩は良質な資源と便利な港を持ちながら、先立つ資金がないばかりに、その条件を生かせないでいるでしょう。
ここはひとつ、海援隊にお任せください。
田辺藩に資金援助をしましょう。その資金を元手に、インフラ整備をして下さい。
そして、田辺藩の対外輸出入の一切の面倒を海援隊がみます。
田辺藩から他藩や海外への輸出(販売)および、田辺藩への輸入(購入)の際には、海援隊が一切の水上交通を受け持ちますから。


丹後国


原則、輸送コストより利益が上回りさえすれば、物流は成り立ちます。
資金も輸送手段もすべて用意され、産物を出しさえすれば確実に利潤を得ることのできるこの提案に田辺藩はふたつ返事で乗ってくるのは間違いありません。

この商談が軌道に乗れば、海援隊の名前は徐々に他の各藩にも浸透してゆくことでしょう。
実際、田辺藩のように産物を売買したくても、輸送手段がネックになっていてそれができな小規模の藩は全国にあまた存在していました。
そういった藩の中で「わしのところもお願い」と手を挙げる藩が2つ3つ現れ、それがやがて10や20となれば、商売は日本全国に拡大します。
そういった大きな可能性を秘めているのです。



しかし…
当時の海援隊は、隊士が着る服にも困るほど困窮していた状態。
田辺藩に資金援助をするどころか、隊士を養うことすらままならない。
どこに、そんなお金があるのか。


それが不思議なことに、この計画は動き出すのです。
実際、海援隊から田辺藩に500両を貸し付けるという契約をし、現金が動いているのです。
まさに無から有を生む、錬金術の世界。



そのカラクリは、こうです。
実は、この契約の裏には、もうひとつ、別の契約があった。



○土佐藩へのライフル銃購入


これとほぼ平行して、龍馬は、藩の重役・佐々木高行にある打診をしています。
「大政奉還を成功させるためにも、土佐藩も薩長並みの武装が必要ではないか」
そう彼を説得し、外国から最新のミニエー銃を買うことを了承させます。
そして、その資金を借りる保証人として佐々木になってもらうことを約束させます。


次に龍馬は、薩摩藩と交渉します。
「土佐の佐々木高行を保証人に立てるので、海援隊に5,000両貸してほしい」
薩摩藩としては、目下に迫った討幕に土佐藩も協力してもらわないと困るので、断る理由はありません。しかも、いわば土佐藩が支払い保証をしているようなものなので、安心して貸し付けます。


5,000両を手にした龍馬。
その元手をもって、オランダ商人ハットマンと交渉します。
そこで交わされたのが、ミニエー銃1300丁の売買契約。

まず、ミニエー銃1300丁を、90日後の支払いで18,875両という契約を交わします。
そのうち4,000両を即金で払い、360両割引させます。
のこりのお金については、2人の長崎商人を保証人に立て、彼らには担保として銃100丁を渡します。
もちろん、残りの代金を実際に払うのは土佐藩ということになりますが。


ここで、薩摩から借り受けた5,000両をすべて使い切ってしまわないのが龍馬流。
1,000両もの大金を手元に残します。

このうち、
200両を海援隊隊士の給料に回す。
150両を海援隊の運営経費に回す。
150両を長崎商人の仲介料に回す。

のこりは500両


…もうお分かりですね。
この500両を、前述の田辺藩の資金提供に回したのです。



○龍馬の構想力


龍馬は「政治」と「経済」を分けて考える男でない。
(以前に龍馬の蝦夷地開拓計画の追記でも書いた通りです)
大政奉還を成し遂げるという「政治改革」と、日本を代表する総合商社になるという「経済活動」は、彼の中ではコインの裏と表のように、織物の縦糸と横糸のように、渾然一体となったものだっと思います。


彼が生粋の幕末志士なら、土佐藩にミニエー銃を購入させることだけを考えた。
彼が生粋の商人なら、田辺藩との商談だけを考えた。
このふたつの事案を融合させたところにこそ、坂本龍馬の独創性があるように思います。



そして、それをいよいよ実行に移そうとしている。

今や、海援隊は龍馬の陣頭指揮で動いています。
契約もできた。船もある。いよいよ、これからは確実に利益をあげることができる。


1200丁の銃を、芸州藩から借り受けた船「震天丸」に積み込み、龍馬らは長崎を出航します。
その直前、龍馬は、海援隊隊士に大量の石炭購入を指示しています。「黒いダイヤ」石炭の価格は、この時、暴騰の一歩手前にありました。目利きがある人にとっては、最大の投資対象です。
行先は土佐。郷里に花を添えようと意気揚々としていたに違いありません。


しかし…龍馬は、長崎に戻ることはできませんでした。
田辺藩との商談は、龍馬の最後のビジネス活動だったのです。



________________________________________________________
余談

ちなみに「龍馬伝」では、弥太郎がグラバーを通じて(?)(43話ラストにそれらしき会話があるが…)銃1万丁を仕入れたことになっていましたが、これはフィクションです。前述した土佐藩への1300丁の銃の購入には土佐商会は関わっていますが、弥太郎は関わっていません。だいたい、1万丁ものミニエー銃なんて、薩長両藩のミニエー銃を合計したほどの莫大な数量だと思いますが…ドラマとはいえ、数がめちゃくちゃだ)



(主な参考資料)
坂本龍馬と海援隊―日本を変えた男のビジネス魂 (講談社文庫)
Wikipekia「丹後国」
Wikipekia「丹後田辺藩」
Wikipekia「舞鶴市」



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