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JIN-仁-第11話 感想


最終回。

前回「最終章・前編」の最後に描かれた、苦しむ南方先生と、その苦しみを何とか取り除いてあげたい咲さんと野風さんの対談から物語は始まります。
ああ、だから今回は「最終章・後編」なんだ、と妙に納得しました。



パパっと行って直してもらって…



最初の、何気ないシーン。
この時点では、未来に帰ることを、もう諦めていたんですよね。
しかし、咲さんが緑膿菌に感染したことを知った先生は、彼女のために、もとの世界に戻ることを真剣に願う。
自分のためでなく、愛する人のために。
そして「ここにない薬」を取って戻ってくるために。



すべてが名場面だったような気がします。
上野戦争などを通して、それぞれの人間の生きざまを魅せてくれました。
南方先生。咲さん。恭太郎さん。佐分利先生。仁友堂のみんな…登場人物が、みんな、丁寧に描かれていました。
それぞれが、それぞれの役割の中で、懸命に生きていた姿が印象的でした。
そして、現代へ…


「歴史ドラマ」から「現代ドラマ」へ。
『JIN』はその垣根すら越えた。




同じスペシャル版である第1話と比べてみると、第1話は池田屋事件~禁門の変と、「歴史ドラマ」に比重を強く置く作りで、現在の腐った大河ドラマに対しての果たし状であると同時に、第1期の『JIN』を見てきた人にとっても、歴史という大きなハードルを目の前に突きつけた。
「このドラマを堪能したいのなら、これくらいの歴史は予習しておけ!」と言わんばかりの威風堂々とした振舞いに、度肝を抜かれた人も多いのではないかと思います。


最終話も、自然とそのような形を予想していました。
前回のラストである江戸城無血開城から上野戦争までは2ヶ月あり、その間にも、歴史は奥州を中心に複雑な動きを見せています。
上野戦争そのものはたった1日で終了するのですが、第1話の禁門の変と同じような扱いだと考えると、やはりこの戦いを中心に最終話は構成されるのであろう、と。
あくまで幕末が8~9割で、最後にタイムスリップの謎を解き明かし、このドラマは丸く収まるのだろう。
そう思っていました。


後半40分の「現代編」は、これだけでひとつの別のドラマが作れそうなほど、十分に練り込まれていましたね。
それまでの「幕末編」から急転直下で場面をガラリを変える手法は、このドラマ独特の多面性を見るようでもあり、
「俺たちは、現代ドラマでも充分にいいものを作れるんだ」
という、スタッフの心意気を見せつけられたような気がしました。


さすがTBS大河。
最後まで輝き続けましたね、『JIN』。
惜しみない賞賛の拍手を、制作陣全員に贈りたいと思います。
ありがとうございました。

________________________________________________________

謝辞を述べ終わったので、感想に入っていきたいと思いますが…
やはり僕は歴史好きなので、どうしてもこの場面を最初に取り上げてしまいます。


上野戦争



江戸城から約3kmという目と鼻の先。
上野の山に集まった旧幕府軍残党<彰義隊>を駆逐すべく、新政府が起こした戦いを指します。
ちなみに、ドラマ中では彰義隊の江戸での活動は市民からも煙たがれていたような印象がありましたが、実際は、江戸の民衆は官軍気取りの新政府軍に冷たく、むしろ彰義隊の市中見廻りは歓迎されていたようです。
もっとも、恭太郎と彰義隊の立ち位置を考えたときに、彰義隊を正義の軍隊をするのも都合が悪いでしょうから、あのような扱いになったんでしょうけどね。

※ちなみに、僕が来週から連載を再開する『続・龍馬伝』では、彰義隊をかなり重要な役割として書く予定ですので、最終話で上野戦争を取り上げてもらったことはタイミングがいいというか、読む側にとっても「あ、JINで出てきたあの部隊だな」と思い入れをもって読んでくれるのではないかと思っています。
 以上、宣伝でした。




この上野の戦いを巡っての、恭太郎・咲さん・南方先生・栄さん、の人間ドラマが素晴らしかったと思います。

龍馬を殺したことを悔い、そんな自分が「のうのうと生き続ける」ことを許せず、上野の山で命を散らせることを本望とした恭太郎。
罪を犯したからこそ、恥を偲んでも、這いつくばっても生きねばならぬと言う咲さん。
自らが信じてきた徳川の世と信条と、新しき世に対する、複雑な気持ちを吐露する栄さん。
何かを伝えようとした南方先生。


恭太郎を巡る3人の葛藤


ここは、前半の核となる名場面だったと思います。
このドラマを通してのテーマである「命」というものを、それぞれの視点で捉えているんですよね。

恭太郎が殉じようとした「武士としての命」
咲さんが訴えようとした「ひとりの人間としての命」
栄さんは、その両者の狭間に揺れる。
そして南方先生は「医者としての命」を守るべく、第1話の時と同じく、緊急の治療所を設置することを決断する。


そこに訪れた、悲劇。
そして、恭太郎の心にも変化が…


ここで、水を運びます


このシーン、すごく好き。


南方先生の言葉で、目が覚めた恭太郎。
国家より家族のために尽くすことは、少しも恥ずかしいことではない。
今では当たり前のことかも知れませんが、当時の武士階級で、これを声高に言うことができたか。
そう考えると、南方先生でしか言えないセリフだったと思います。

そして…自らの意思で武士道を捨てた橘恭太郎。
今までは、家族を大事にしたい自分の本心を偽って、無理にその当時の価値観に合わせようとしていた。
その中途半端な姿が、どうしても見ていてイライラさせていたんです。
しかし、最終的には、自分の気持ちに正直に生きることを誓った。

「腰抜けでございます」と笑いながら言う恭太郎は、今までで一番カッコ良かったです。




先生と咲さんのハグ


このシーンでも、いろんなことを思いました。

まず、南方先生は、人を区別しないんですね。
家族が大事だという恭太郎の気持ちを汲んだのなら、それを分からない彰義隊の人間はけなしても良さそうなものなのですが、彼らは彼らで、大切なものを守ろうとしたのだと理解している。
南方先生の中では、家族も、徳川家も、まったく等価なんですね。
「その人が大切だと信じるモノ」を守ろうとする、その心こそ大事にしたいと思っている。
そして今、彰義隊の気持ちに、咲さんを失うかもしれないという自分の気持ちを重ねている。


同時にこれは、番組制作陣のメッセージでもあると思います。
僕も、彰義隊に志願した人達は、彼らの哲学があり、それは現代の我々が軽々しく褒めたり非難したりすることのできる類のものではないと思っています。
歴史の中で死んでいった人達に対する畏敬の念を、このドラマがしっかりもってくれていることが、僕がこのドラマを見ずにおれなくさせた大きな要因でもあったのだと、今にして思います。



あと、ベタではありますけど、最後に先生と咲さんが抱き合うシーンがあって本当に良かったと思う。


このあと、咲さんを助けるために、南方先生は血眼になってホスミシンを探し始める。
自分を助けるためでもなく、他人を助けるよりもっと真剣に、咲さんのために、命すら惜しまず、現代に帰ろうとする。
医者である前に、愛する人を守ろうとするひとりの人間であったのですね。
その純粋な思いを大切にする人であるからこそ、違う時代に迷い込んでも、多くの人が慕ってきたんでしょうね。

さらに、橘咲ひとりを救うために、文字通り「草の根分けても」薬を探そうとする人達。
覇権を争う内戦でひとの命がアリのように扱われる一方で、ひとりの命を必死で救おうとする人々。
この対比に、胸を締め付けられるような思いがしました。

そして…



波の音。
坂本龍馬。
何を伝えたかったのか。

ドラマは現代に舞台を移す―



「歴史」とは、自分を含め全ての人間が作り上げた過去の集積のようなもの。
ある時代のある人のある行動がどんな結果をもたらすのか、その因果関係は複雑すぎて人智を超えているが、しかし間違いなく、その時代の全ての人間が、歴史の一端を担っている。
そこに別の人間が加わった段階で、すでに歴史は違うものになってしまっている。



番組内では「すでに多数のパラレル・ワールドが存在している」という解釈でしたが、僕は、何かの拍子で時空が歪められる度に、世の中が分岐してゆくのではないかと思いました。
南方先生がタイム・スリップした時点で、別の世界(B)が発生し、現代に帰ってきたときに、さらに別の世界(C)が生まれる。
「歴史の修正力」とは、もとの歴史に戻そうとする力でなく、時空の歪みにより矛盾が生じないように、世界を分岐させてゆく力を指すのではないか。
番組とは少し違いますが、そのような解釈もアリだと思います。


あと、もうひとつ、言いたいことを。
「これは、たかがフィクションだから」と言ってしまうのは簡単です。
ただ、人間が理解できることなんて宇宙の真理のほんのごく一部に過ぎないのですし、バニシング・ツインが胎児性腫瘍となり、龍馬の血液によりその人格が宿るようになったという説も含めて、そういったことが現実に起こったとしても別におかしくないのではないか。
そういった、人智を越えたできごとを、古来より「奇跡」と呼んできたのではないか。
そのようにも思えてきました。




現代に帰って改めて、かつての日々を思い起こす南方先生。
南方先生がタイム・スリップして現代に戻った以上、幕末には南方先生はいなかったという別の世界(C)が広がっていた。


仁友堂のその後



もうこのあたりから、何ともいえない複雑な気持ちが胸に広がってゆくんですね。
「悲しい」とも「寂しい」とも「切ない」とも少し違う、独特の感情。
恐らく自分が感じたその何百倍も、当の南方先生は感じであろうと思うと、余計に胸が苦しくなりました。


このあたりの音楽、すごく好き。





ラストシーン。
歴史の修正力に抗うように、それはありました。
古ぼけた手紙。

彼女の想い。
南方先生に対する恋慕が、彼女の記憶を押し留めた。
その想いが、140年の時を経て、彼のもとに手紙を送り届けた。
南方先生の想いが、ホスミシンを幕末に送り届けたように…




橘咲


咲さんに語りかけるように、手紙に語りかける先生。
ふたりは結局結ばれませんでしたが、しかしこの瞬間、時空を越えてふたりの心はひとつになったのではないか。
そう思いたい。




番組の最後のメッセージ。

当たり前のこの世界は、誰もが戦い、もがき苦しみ、命を落とし、勝ち取ってきた、無数の奇跡で編み上げられていることを、俺は忘れないだろう。
そして、さらなる光を与えよう。今度は、俺が未来のために。




歴史に対する畏敬の念を最後まで貫いた制作陣の方々に、心から敬意を表します。
ありがとうございました。





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JIN-仁-第10話 感想


最終章・前編。


タイトルを見て、「JINも、もう終わってしまうんだ…」と思いました。
龍馬が死に、大政奉還も虚しく、戊辰戦争へ。
歴史の大河は何ものにも遮られることなく、滔々と流れる。

南方先生ができたことは、結局、彼の死を、7日間延ばすことだけだったんですね。
歴史に抗えぬ絶望感の中でも、懸命に生きる南方先生が印象的な回でした。

なんで頭痛がこないんだよ、南方先生…リラックマ63「泣く2(オリ






東修介の横顔



東修介。
龍馬を死に至らせる斬撃を加えた男ですが、彼なりの苦悩もあったのだと思いました。
自らの手で仇討を完遂させるため、ここまで警護してきのか。
または、最後は、龍馬を助けるためにあえて刀を抜いたのか。

仇討を否定することは、武士道を否定することであり、兄の名を汚すことでもある。
しかし、龍馬を討つことは、この国の未来を自らの手で潰すことになる。
人知れず苦悩を深めていたことを考えると、単純に彼を憎むこともできませんよね。

切腹して果てた最期は、さすがに長州志士を貫いたと感じさせられました。


※このあたり、あまり比較してはいけないのかも知れませんが、橘某という江戸の旗本はやはり武士の魂を失っているなぁ…と感じますね。
龍馬にトドメを刺さないのも中途半端だし、南方先生に口封じのために頭を下げていましたからね。
徳川家とか国の行く末よりも、自分や家族のことが大事なんでしょう。
まあ、人間らしいといえば人間らしいんですけど。




ひとりで生きていけるなんて、文明が作った幻想だなぁ


今回は、涙を誘うシーンが流れるように続いていたので「これがハイライトシーンだ!」と特定することは難しいんですけど、僕が一番好きなシーンはここです。

龍馬と語り合う南方先生。
龍馬と南方先生の友情が本当に素敵で、最後に、ああいう形でもお互いに屈託なく話すことができて、良かったと思います。そのせいか、龍馬が亡くなったとも、比較的落ち着いていられたようですし、先生。

その、南方先生が龍馬に語る言葉の一節がこれですよね。
前回の感想記事の最後に「歴史とは何か、その答えを出してもらいたい」と勝手気ままに言ってみましたが、僕は、その答えがこれじゃないかと思うんですね。
龍馬は、未来人である南方先生の話に憧れのまなざしを向けるのですが、羨望の対象として見られる当の本人は、現代人が失った大切なものを過去である幕末で発見している。

この構図が「素晴らしい」の一言に尽きます。
「過去よりも現代のほうが幸せに決まっている」と無条件に信じる人々は、歴史に関心や尊厳をもとうともせず、そのような人が当たり前のように歴史を蹂躙するドラマを作り、視聴者の歴史観をますます軽薄なものにしてしまう。
ここ数年、大河ドラマは明らかに負の連鎖に陥っています。
それに対する警鐘という見方もできるわけです。


文明は人を豊かにするが、反面、幻想も生み出す諸刃の剣。
幻想の霧の中にいる時は気づかないが、「進歩」「進化」しているように見えるのは、実は単なる「変化」でしかない。政治も、経済も、科学も…
その「変化」の成れの果てが、複雑怪奇な金融システムという檻の中で拝金主義と化した人々であり、人の価値を年収でしか測れないステレオタイプの人物評価であり、便利さを享受するために原子力という地雷源の上でのんきに生活していた私たちだと言うのは、間違いと言えるでしょうか?

そろそろ「退化」して、過去の歴史から真剣に学ぶべきですよね。





…と、すみません、かなり脱線しました。
龍馬が死に、静かな音楽の中、しかし歴史は、維新回天に向けて、急速にその歯車を回し始める。




あのようなこつは、坂本さぁにしかできん。


東修介について、西郷隆盛が、意味深なことを言っていましたよね。
もし龍馬暗殺を行ったのが徳川幕府であると公になれば、龍馬が行った大政奉還は幕府の意思に反することだったと世間が騒ぎ、龍馬の志は潰えてしまう。
ただし、仇討で殺されたとなれば、龍馬の死と大政奉還は無関係となり、大政奉還を通して龍馬がやろうとした志は、誰かに引き継がれる可能性が出てくる。
そこまで考えて、彼は龍馬を殺す決意をしたのではないか、と。

さらに、そこまで見抜いた上で、自分は龍馬の志は引き継がぬ、と決然と言い放つわけですよね。
龍馬が死んだ後の感傷に浸っているうちに流されてしまいそうなシーンなのですが、非常に重要だと思います。

何よりも、西郷が龍馬を認めている、という設定がいいですよね。
認めた上で、自分のやり方を貫こうとしている。
それはすなわち、武力倒幕ということになるのですが…




新政府軍、品川へ


歴史は一気に進みましたね。
鳥羽伏見の戦いから、江戸城攻防の頭脳戦へ。
龍馬の志は師である勝が引き継ぎ、辛くも駆け引きを成功に導く。
短い時間でしたが、勝海舟の「江戸焦土作戦」を出してくれたのにはシビれましたね。




エンドロールで、さらに新たな展開が。
南方先生は頭痛が頻発し、今や体の自由さえ奪われてしまった様子。
橘恭太郎は、上野に来るよう彰義隊隊士に誘われていましたが…自分と家族第一の人間に、全てをなげうって徳川のために命を散らせる覚悟はあるのか。
次週、最終話。





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JIN-仁-第9話 感想(修正版)


※記事の内容に誤りがありましたので(皆さんご指摘の通り、龍馬を最後に斬った人物を間違っていました)、一部訂正しました。
皆さんには迅速なご指摘をいただき、感謝しております。


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残酷な未来…


前回・前々回と、南方先生と龍馬が江戸と京で分かれていたこともあって、ドラマパートと歴史パートが並立していた訳ですが、今回、お互いが合流したことにより、ふたつがひとつになりましたね。
それはつまり、龍馬の残酷な未来を南方先生が直視することにもなるわけで…

今回は、見ていて辛かったですリラックマ63「泣く2(オリ


まさか東さんが、龍馬を斬ることになるなんて。
話の展開から、恭太郎さんが斬ることになるのでは…と思っていて、最後のシーンで「恭殿、やっぱりお前かぁ!」って早とちりしてしまいました。
しかし、最後に刀を水平に振り、ひたいを横一文字に断ち割ったのは、信頼を寄せていたはずの同士。
真相は次回に譲るとしても、悲しい巡り合わせですね。
現場が近江屋でなく寺田屋であったり、中岡慎太郎と龍馬が別々に襲撃されるなど、細かい歴史の変化はありましたが、暗殺の未来は変えられず。
南方先生がいようといまいと、事実は変えられないということなのでしょうか。

では、先生の今までの努力は、一体なんだったのか?
歴史の大きな流れの中では、流される小石のような存在に過ぎないのか?


疑問は次回に残しつつも、レビュー綴ってゆきたいと思います。

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今回は、龍馬はじめ関係者が、否応なくこの事件に引きずり出された印象があります。
歴史の針の前では、南方仁も所詮は傍観者でしかないことを思い知らされた回でもありました。


『近江屋事件』


『龍馬伝』では、見廻組による単独犯、それも、幕府を潰し武士を愚弄した天誅として、感情論的なストレートな展開で描かれていました。
(前にも言いましたが、まあ、ファミリードラマですから)

今回は、細かいカット映像により、背後にうごめく策略劇を暗示させ、見ごたえがありました。


龍馬暗殺の黒幕は、誰か。
それは、ひとりやふたりの意思の反映ではない。
真の黒幕は、彼を厭う多くの人々の「あいつさえいなければ…」という、小さな悪意。
結局、それが結集され巨大な憎悪となり、現実化してしまった。



それがもし歴史の力だとするならば、龍馬は、歴史に消されたことになる。
このドラマのテーマに沿って考えを巡らすと、そうなるのではないか。
僕はそう、解釈しました。




そりゃぁえい!


龍馬が暗殺されるきっかきにもなったとされる「新政府綱領八策」
今回は、それに「新官制擬定書」をミックスしていて、なぜか関白位が〇〇○になっていました(本当は関白位は三条実美で、右大臣位が徳川慶喜なんです)が、まあ、どちらでもいいでしょう。
大切なのは、有名な〇〇○のエピソードを出すことでしょうからね。

前回あれほど大政奉還を反対したはずの西郷隆盛が、妙に龍馬寄りになっているのは「なぜ?」と思いましたが、これも、このシーンで吹っ飛びました。
慶喜の名前を、あえて薩摩側から出させ、それに乗っかるふりをする龍馬。
しかも自分の名前は入れずおどけてみせ、己の私利私欲を離れた、公(おおやけ)の人選であることを暗示的にアピールしているんですよね。

それにしても「海縁隊」って…
「海上から土佐藩を援護する」ってことで付けた名前が「海外のべっぴんさんと縁を結ぶ」に変わったと知ったら、後藤象二郎、悲しむだろうなぁ…
リラックマ10「飽きた」




厠に行くだけごわす


今回の黒幕が「多くの人の悪意の結集」だとすれば、その悪意の油に火を付けたのはこの男でしょう。
本人も言っていましたよね。
「俺達は、燃えちょる火に、油を一滴落とすだけじゃ」
って。

あ、火と油が逆か、僕のたとえとは…リラックマ32「…」


不気味な存在感を示した大久保利通。西郷隆盛とのやり取りは、緊迫感がありました。
「それだけはならん!」と言う西郷に対し、不敵な笑みを浮かべる大久保。
セリフが少ない分、二人三脚で今までやってきたふたりだからこそ分かるお互いの腹の内と、だからこそお互いに譲れない一線の境界を垣間見たようで、素晴らしいシーンだったと思います。

その後、大久保は手のものを使い、密かに龍馬の居場所を見廻組に伝えるのですが…
※『新選組!』では、薩摩藩から見廻組に密かに手紙を届けるという展開で「さの字近江屋」というメモになっていましたね。


蛇足ですが、大久保利通のキャストさんは、『龍馬伝』の大久保利ミッチーに雰囲気が似ていましたね。
※さらに蛇足ですが、大久保利通が見廻組に龍馬の居場所を教え扇動するというところが『龍馬伝』最終話の僕の妄想脚本(大友さんのブログ拍手もらっちゃった☆)と一緒だったので、少し嬉しかった。
リラックマ31「イエィ!」




匿名の密告により、近江屋に向かった見廻組。
しかし、すでに寺田屋に移動していた龍馬の姿は見えず、もぬけの殻であった…
『近江屋事件』は防がれたかに見えたのですが…




事件はシチュエーションを変えつつも、同じように起こってしまった。
冒頭で述べた「歴史の前では、南方先生の努力は塵のようなものでしかない」ことを思い知らされた瞬間でもありました。


龍馬、強靭に倒れる


近江屋でなく寺田屋で、見廻組でなく護衛である東修介の強靭に倒れた龍馬。
坂本龍馬の最期を知っている人間にとっては、この展開に複雑な思いを持ったのではないでしょうか。
よりによって、一度難をまぬがれた寺田屋で再襲撃されるとは…
しかも京の治安維持部隊の新選組でも見廻組でもなく、藩の大恩人であるはずの長州人に斬られるわけですから。
南方先生のあの言葉が頭をよぎりますよね。

「歴史の修正力」

この記事の頭でも述べたことですが、歴史は、変えられない。
細かいシチュエーションは変えることができても、歴史の流れは変わらない。
そこに、巨大な修正力が働き、大河に翻弄される小石のごとく、歴史を変えようとする力はあまりにも儚(はかな)く握り潰される。


残酷な未来…


龍馬を助けられるのか、彼は死ぬのか。
そんなことは、ちっぽなことではないのか。
そう思えるくらい、今回は、歴史の巨大な力を感じました。




次回。
龍馬は助かるような気がしますが、僕は、それ以上に、気になることがあります。
このドラマの着地点を。
南方仁を幕末史に迷いこませ、ここまで多くの人を熱狂させた責任として

「歴史とは、何か」

そのひとつの結論を、このドラマなりに出してもらいたいと思います。
最終話でも、構いません。




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JIN-仁-第8話 感想


至宝のドラマに相応しい、珠玉の回。


ブログ読者さんからの前評判はありました。
それは、野風をめぐる人間ドラマが素晴らしかった、と僕は単純に理解していました。
その期待を塵のように消し飛ばすくらい、想像をはるかに越えた内容でした。
正直、表現する言葉を失いました。

散々迷った挙句、前述の赤字を、表題として付けた次第です。




今回は、ドラマパート、歴史パートともに、非の打ちどころがありません。
お互いが一級であるばかりでなく、それぞれを暗示的に連動させた手腕は正しく神業。
このような超人的な脚本、いったい誰が考えられるというのでしょうか。

特に素晴らしかったのは、死の淵に直面した患者を助けるという南方先生のそれまでの行動を、龍馬の大政奉還の動機に結びつけたところ。
幕末史好きの僕としては、少しでも大政奉還についておかしな描写があったなら、そこを突いてやろうと思っていたのですが、あそこまで堂々と見事な創作をされては、批判の言葉も空しく宙を舞おうというものです。
しかも、演出の手腕が精緻を極めていて、見る側に相当な緊迫感を与え、まばたきすら許さない。
図らずも、ここ数ヶ月で最も濃密な時間を過ごさせていただきました。

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見終わったあとも、息が止まりそうな感覚に陥ります。
前回のテンプレートに習って、まずは、ドラマパートから参りましょうか。




おなごは子を守るためなら…


今回は、野風さんの決死のセリフ、南方先生の決意のセリフなど、名場面目白押しではあったのですが、僕は、この咲さんのセリフが、野風さんが本当に言いたいことを先生に伝え、南方先生が帝王切開を決意させる決め手となった言葉として、特に印象に残りました。

女は強し。
南方先生があくまで未来の恋人に想いを寄せていることを、心のわだかまりとして持ちつつも、今回の野風の出産については最も積極的に動き、その行動にためらいがありませんでした。

そして、この言葉。
麻酔をかけて母体を救うというのが医学的見地からの判断であるならば、南方先生の判断は間違ってないんですよね。
ただ、人の強烈な思いというものは、時にそれを上回る。
野風の気持ちに最後まで寄り添うことができたのは、同じ女性である咲さんだけだったでしょうし、彼女しか言えないセリフだったと思います。母子共に命を落とす危険がある中のわずかな可能性に賭ける根拠として「子供を守るならば、どんな痛みにも耐えられる」という精神論では医学ドラマ的には問題があるのかも知れませんが、人の心を露呈するということでいうと、これでいいのだと思います。


麻酔なしの帝王切開のシーン、目をそむけたくなるほどのグロテスクな場面でしたね
中谷美紀さんの鬼気迫る演技が、このシーンにさらに精悍さを与えていたと思います。
強烈なインパクトを残してくれました。




先生と未来さんの写真


前期の記憶があいまいなのですが、「未来から持ってきた写真が消える」=「南方先生とミキさんが出会わない未来」=「自分の行動によって、歴史が変わる」という理解でいいんでしょうか?
このドラマの見どころのひとつ、タイムスリップ・ミステリーも、大詰めに近づいてきましたね。


歴史は変えられるのか。
坂本龍馬が暗殺されない歴史を、果たして歩むことができるのか。



歴史の修正力に立ち向かう決意を固めた南方先生。
ここ数回のわだかまりも、ようやく吹っ切れたようですね。
もう迷うことはありません。
自分が変えたい未来を、自分の手で生み出してもらいたいと思います。

…そして、その決断の背景には、やはり咲さんの一言があったんですね。
彼女、最初はいろいろ天然っぽいところもありましたが、このドラマ中に随分と成長したように思います。
南方先生と一緒にならない道を決断したことで、彼女の中に覚悟のようなものが生まれのではないでしょうか。

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次は、歴史パート。
このドラマは、ドラマパート(=南方先生の物語)と歴史パート(=龍馬の物語)が、縦糸と横糸のごとく交錯し、ひとつのドラマという織物を生み出しているのですが、今回は、そのハーモニーが文句なしに絶妙であったと思います。
特に今回は、歴史パートの持ち時間はそれほど多くなかったと思いますが、あの短い時間で、船中八策から大政奉還までを波状的に表現した技法は、見事というほかありません。
映像のもつ無限の可能性を、感じさせられました。




人は、理だけで生きるわけではごわはん!


大政奉還を巡る、龍馬と西郷の舌戦。
『龍馬伝』では、岩倉具視も討幕の密勅も何も登場しないまま大政奉還が下ってしまい、このあたりの政治的な駆け引きはなおざりになった感があります。
ファミリードラマを意識していたのなら、ある意味仕方なかったのかも知れませんが…

しかし実際は、薩摩の西郷・大久保らは、幕府をも手玉に取る外交のプロフェッショナル。
朝廷内部の反幕公家衆を扇動して、ニセの「討幕の密勅」を作る準備を着々を進めていたのです。
彼らに対抗できる政治手腕をもった人物は、当時、坂本龍馬ただひとりであったでしょう。


はじめ西郷が「勅許が下った」と言ったときに、「また史実をいじったな」と浅はかにも思ってしまったんです。
討幕の密勅が下りたのは、大政奉還を慶喜が受諾した同日であったわけですから。
西郷はすでに後藤象二郎の説得により、土佐藩が大政奉還を行うことを承諾していたので、それを初めて聞いたかのような西郷のセリフもあって、ドラマの都合上このあたりは若干いじったのかな、と。


しかしそれは、西郷の策略であった。


実際の西郷隆盛は、あの芒洋とした外見からは想像もつかないほどの謀略家であった。
彼の倒幕に対する執念は凄まじく、身内すら犠牲にしてでも幕府をこの世から抹殺しようという気迫を感じます。
当然、彼の言動はこの程度のものではないのですが、その一端を表現してくれて、良かったと思います。
龍馬の正論も、西郷には通用せず。
龍馬が、完全に手玉に取られていました。

…というか、未来人(南方先生)の付け焼刃である龍馬の平和主義思想は、この場面ではほとんど説得力を持ち得ませんよね。
詔勅が下りたなら、逆にそれを利用して徳川幕府を朝廷恭順派と徹底抗戦派に分離させ自滅させるためにも、まず大政奉還を突きつけるべきだという議論の転換くらい、龍馬なら軽くできそうなものですけどね。
龍馬の弁解は少し残念でしたが、ここはドラマの展開上仕方なし、ということにしておきましょう。





土佐を、徳川と心中させる気かと聞いとるんじゃ!


市川亀治郎さんの中岡慎太郎、これだけのシーンでは、悲しすぎますリラックマ34「泣く」

しかし、それでも存在感を示していたのは、圧巻ですね。
中岡慎太郎の倒幕思想を、体全体で表現していたと思います。


このキャストで、『TBS版龍馬伝』作ろうよ。
スタッフは『JIN』のメンバーに任せたら、間違いなくいいものができると思う。
龍馬も、南方先生の影響力を離れて、思うさま羽ばたけますしね。
南方先生と仁友堂は、緒方洪庵と適塾にしてしまえば、途中までは出番ある(笑)





船中九策


「船中九策」


憎いことをやってくれますね。
前回の丸山での会話を伏線として活かしたわけですが、このあたりの細かい芸が、ドラマのツボを押さえているTBSならでは、という感じがしますよね。

いよっ!座布団いちまいっ!リラックマ31「イエィ!」


このシーンはドラマパートに入れるべき?と一瞬悩みましたが、一応、船中八策(?)ですので、歴史パートに入れることにします。

それにしてもこのドラマの偉大なところは、難解な幕末史を取り扱うにも関わらず、一切のナレーションを入れていないこと。
必要な説明は登場人物のセリフで言わせているもののの、それも、最小限に抑えている。
演出によって、それを全て補っている、というところ。

今回でいうと、大政奉還受諾の手紙を受け取った龍馬の反応。
そして、船中八策を手紙で知った勝海舟の静かな言葉。
そういうもので、雰囲気を表現している。


もちろん、説明がない分、幕末史の流れを知らない人が見ると、チンプンカンプンなのかも知れません。
ブログのコメントで、「前作の方が良いという人がいる」というのは、こういうところからきているのでしょうね。
ただ僕は、「史実を知りたければちゃんと勉強してこい!」と言わんばかりのこのドラマの威風堂々とした態度に、畏敬の念を表します。


※ちなみに、勝海舟が言っている「八つ目まではまあ、オイラや一翁さんが教えたものをそっくり頂戴してやがった」というセリフの「一翁さん」とは、幕臣の大久保一翁のことです。
いわゆる『竜馬がゆく』の「かの字とおの字」のエピソードですよね。
聞き取れなかった人も多いと思いましたので、念のために。






次回。
ごめんさない、想像つきません。
今回の、予想をはるかに裏切る内容を見て、このドラマの可能性が分からなくなってしまいました。
ただひとつ言えることは、間違いなく、素晴らしい出来栄えになっているということ。
端座して待ちましょう。





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JIN-仁-第7話 感想


ある人の素朴な疑問。


『JIN』がおもしろいのは、原作が良いからじゃないの?


あなたは、この問いに対して、どう答えますか?
原作(漫画)を知っているかどうかは問いません。


僕の答えは「NO」です。
原作がおもしろくても、映画化・ドラマ化してつまらなくなった作品は世にゴマンとある。


日曜日に、会社の同僚が「プリンセス・トヨトミ」を観に行ったんですね。
感想を聞くと「原作を知っていたからかも知れないけど、どうしても内容が読めてしまってイマイチだった。原作を知らない人なら楽しめるかも」と言っていました。
それを聞いて、僕はこの映画は観に行くまいと心に誓ったのです。
(それまでは、浪速っ子として、観に行ってやろうかなとも思っていたんですけどね)


小説としてのおもしろさと、映画やドラマとしてのおもしろさは根本的に違うと思う。
小説は頭で読むものだが、映画やドラマは視覚と聴覚で感じるもの。
感受の仕方が違うのですから、作り方を変えるのは当然です。
前述の映画の感想のように「原作を知っているから楽しめない・原作を知ってないから楽しめる」というのは、制作側が原作に囚われている良い証拠です。


TBS制作陣は、日本で最高のドラマを作ろうと本気で思っている。
気合が、民放の連ドラの範疇を越えている気がします。
大河ドラマの地位が低下する今、かつては王者であった大河ドラマをも呑んでやろうという気概に溢れているような気がするのは、僕だけでしょうか?

同時にまた、世界をも見据えている。
今作は、全世界80ヶ国で放送される予定だそうです。
前回の『JIN』が国際的に評価されたのを受けた今作ですから、当然のことと言えます。


『JIN』のおもしろさは、
ひとえに、ドラマ制作陣の努力の結晶。



その一言に尽きると僕は思います。
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さて、今回。
前回が歴史回だったので、今回は野風さんの話だけで終わってしまうのかなぁ…と思っていましたが、歴史の絡みもけっこう入っていましたね。
それにしても、もう大政奉還ですか。
『龍馬伝』と比較するからそう感じるのかも知れませんが、展開早いですね~
後藤象二郎をさりげなく出したりとか、ぜったい龍馬伝意識してるよな。



今回は、ドラマパートからいきましょう。


孫悟空の輪


もともと歴史が好きという理由で、このドラマを見始めたんです。
ですから、南方先生のタイムスリップの秘密とか、実はあまり興味なかったんですけど・・・
今回は、そういった要素が多めに入っていたこともあって、ちょっと気になりだしました。

ちょっとずつ情報を小出しにするなんて、憎いねぇ~


2年前の『JIN』では、なんだかホラー映画のように、子供の形をした腫瘍が突然ぎょろんと眼をむいたり、「なんだなんだこのドラマは!?」と思いながら見ているうちに、いつの間にか南方先生をめぐるヒューマンドラマになってゆき、謎は未解決のまま終わったんでしたよね?(違っていたらスミマセン)

僕はてっきり、今作は、最終話で南方先生が未来に帰ってハッピーエンド♪を予想していたのですが、そうならない可能性も出てきたってこと?
なんだかミステリードラマ風にもなってきましたね。
どれだけ色んな表情を魅せてくれるんだ、このドラマは・・・
(原作は関係ないと行っていたくせに、原作を読みたい衝動に駆られている自分がいます)




2年も…


今回のハイライトシーンは、やはりこれに尽きるのではないでしょうか。

医は仁術

癌の再発の責任を感じる南方先生と、心からの感謝の意を述べる野風のやりとりを見て、ふと、この言葉が浮かんできました。
南方先生は、お金のためでも地位のためでも名誉のためでもなく、ただ「目の前で苦しんでいる人を放ってはおけない」という、医師としての責任感だけで動いている。
だからこそ野風は、先生に対する感謝以外の感情は出てこなかったのだと思います。

野風のつぶやきは、印象的でした。
余命2年と宣告されたときに「たった2年」と思うか、「2年も」と思うか。
「たった2年」と思うのは、自分がこの世に生まれて本当になすべきことを、まだ見つけていないからではないでしょうか。
野風のように、すでに心が定まっている人にとっては、2年は十分すぎる余命。

もちろんこれはドラマですから、きれいごとと言われればそれまでです。
ただ、僕たちは今一度、自分の命を何のために使うべきなのか、考えるべきだと思いました。


「自分の命を子供に託す」というのは、ちょっとありきたりな気もしたのですが、野風の真意は、最後に咲さんの推測で明かされるのですねリラックマ43「ひらめき」
なかなか憎いことをしてくれます
(もっとも、咲さんの推理がシャーロック・ホームズ並に鋭すぎるという意見もありますが…)

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お次は、歴史パート。


清風亭会談


龍馬伝・第40話「清風亭の対決」


雰囲気は変えてるけど、絶対意識してると思う。
だって、わざわざマイナーな清風亭の会談を入れて、なおかつ、後藤象二郎のテロップも入れている。
さらに、後藤象二郎の怒りっぽいキャラまで同じだもの(笑)

「大政奉還」の立役者であるにも関わらず、坂本龍馬の影に隠れて今ひとつ知名度のなかった後藤象二郎を、メジャー級に押し上げたのは、『龍馬伝』の功績だと言われていますよね。
恥ずかしながら、僕も後藤なにがしなんて名前、それまではほとんどうる覚え状態でしから。

※清風亭会談について詳しく知りたい方は、「清風亭会談」お互いの狙い「清風亭会談」お互いの狙い(2)を見て下さい。




四侯会議


「四侯会議」

四境戦争から約1年経ち、幕府の力が弱まっている世情の中、薩摩藩前藩主である島津久光が呼びかけた会議を指します。
大事件目白押しの幕末史の中では地味な存在のため、知らない人も多いのではないかと思います。
(詳しくは「倒幕」から「討幕」へを参照して下さい)

ここは、少し注意が必要です。
ドラマ内の勝海舟の説明によると、「薩摩の狙いは、長州の禁門の変の罪を朝廷に許してもらい(=つまり、京に長州兵が入れる状況を作り)、両藩により倒幕を行うことだ」と言っていましたが、これは、あくまで西郷や大久保など薩摩の下級藩士の狙いであって、この会議を開いた島津久光の狙いではありません。

この会議を主催した島津久光は、幕府が独占している国政に薩摩の意見が反映されればそれで良いわけで、幕府(=慶喜)が「分かりました、これからは国のことは薩摩さんと一緒に決めてゆきましょう」と言ってくれたならば、この会議は大成功だったわけです。
結果的には、薩摩の意見が慶喜に握りつぶされたことによって、久光も倒幕路線を容認せざるを得なくなりましたが…

※蛇足すると、土佐の山内容堂が四侯会議に呼ばれたことと、坂本龍馬は関係ありません。
龍馬云々でなく、容堂はこの時代を切り拓く有力諸侯のひとりとして、実力を十分認められていたということです。

たとえば一口に「薩摩藩」と言っても、藩主の考えと西郷・大久保ら下級藩士の考えとは違っている。
薩摩に限らず、土佐も長州も幕府でさえも、さまざまな思想が交錯する混沌とした渦中にあり、倒幕とか佐幕とか、単純に割り切れるものではない。
この当時の日本で、未来を明確に見通せる人物なんて、誰一人としていなかったのです。





龍馬の変節



前回、南方先生と国家論について鋭く対立した龍馬は、南方論を容認したもようです。
回数が少ないので仕方ないのかも知れませんが、ここは、もう少し葛藤なり、龍馬の考え方の変化の様子を描いてほしかった。
小さなことならともかく、国家の根本的な方向性に関することなのですから。

もしくは、龍馬はこのドラマ中で主人公に並ぶ人気があるのですから、南方先生と2人の主人公という扱いにして、南方案に迎合するのでなく、平和路線(=話し合いによる解決)でも武力路線(=戦争による解決)でもない第3の道として、軍事力を背景に「戦わずして相手を屈服させる路線」を希求するような流れにしてもおもしろかったのではないかと思う。
そこから、船中八策~大政奉還の着想を得る流れにもってゆくわけです。


どちらにせよ、せっかくの前回の対立があまり活かされなかったのは少し残念でした。



来週は、野風さんが亡くなってしまうの…?
それと「夜が明けたぜよ!」って…それって、『龍馬伝』の大政奉還後のセリフと同じじゃぁ…??





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