続・龍馬伝 (38)北斗の夢 <最終話>

「北斗の国」
蝦夷地のことを、ある種の憧れをもって、そうも呼ばれます。
かつて、この地に魅せられ、自らの将来を蝦夷に賭けた男がいた。
坂本龍馬
彼は、日本に大変革の鼓動が聞こえ始めていた幕末期に、有志を集い蝦夷に移住、藩からも幕府からも影響を受けない未開の地で、本格的な開拓事業を行うことを構想していました。
それは、榎本のように国家を作るというような、政治的で大規模なものではなかったとされています。
蝦夷に眠る、莫大な資源。
水産物・農作物・森林、そして当時最も有望なエネルギーであった石炭…
それらを開発し、当時の主要物流拠点であった大坂と蝦夷を航路でつなぐ。
さらに馬関、長崎から海外との通商も独自に行う。
彼は「蝦夷島総裁」としてでなく、「亀山社中」という、いちカンパニーの社長として、この構想を練りあげた。
国家建設でなく、あくまでいち企業の事業として、プランニングを行なっていた。
坂本龍馬と、榎本武揚。
ふたりの動機は対照的ではありつつも、共に蝦夷に魅了された幕末の英雄として、僕はなぜか不思議な縁というか、共通のDNAでも持っているのではないかという奇妙な錯覚を覚えてしまうのです。
今回は、最終話ということもあって、少し自分の想像・妄想のようなものを物語に混ぜてみました。
1年半の内戦の終幕に、あの坂本龍馬に再び登場してもらいたかったという願望を含みつつ。。。
【第38回】北斗の夢 <最終話>
榎本は、ひとり総裁室に入ってゆきます。
新政府軍には、すでに降伏の意思を密かにつたえてありました。
あとは、彼が自分自身の後始末をつければ、それで、彼の夢はきれいに終わるはずでした。
幕臣として、死んでいった者たちのため、自分が責任を取る。
手に握りしめられた刀は、この時を待っていたかのように、優しく光を反射していました。
さらば、わが友。
さらば、わが夢よ…

「死んでいった者たちに報いる方法は、ひとつしかない。
そんな風に思わんかい。
『もういっぺん、生まれてきたい』
そう思える国に、することじゃき。
そう、思わんかい」
誰かの声。
どこからか聞こえた気がした。
見知らぬ声。
それでいて、懐かしい響きもする声。
自分とは考え方が違っていて、それでいて、自分と同じ匂いのする声。
あの声は、自分に発せられたのか。
夢を、託されたのか。
「北斗の夢を、託したぜよ」
そうも聞こえたような気がした。
一瞬、不思議な感覚に包まれるのを榎本は感じていました。
腹に直角に刀身を傾けたまま、脇差はいつの間にかその動きを止めていました。
けたたましくドアを叩く音。
―静寂が、破られる。
次の瞬間、総裁室のドアが開けられるなり、幹部たちにより刀を取り上げられるのを、榎本はなされるがまま、自分自身を眺めていました。
恐らく、総裁室に入ってゆく時の顔が悲壮感にあふれていたので、心配になって入ってきた連中でしょう。
彼らが自分に向かって、必死になだめるのを、榎本はただぼーっと聞いていました。
ただの幻聴だったのか。
或いは…
あの声のことを考えながら…

(『日本テレビ年末時代劇スペシャル「五稜郭」』より)
明治2年5月18日。
榎本軍、降伏。および、五稜郭、開城。
一時は玉砕戦を覚悟したとは思えないような穏やかな目をした榎本が、そこにいました。
黒田と榎本の間には、もはや何も屈託はありませんでした。
黒田は降伏を決意した榎本に礼を言い、榎本は将兵の命を保証してくれたことに礼を言います。
2人の英雄は初めて対面した時からお互いを知り、この後、生涯を終えるまで、無二の親友としてお互いを支え合うことになるのです。
1年半にもわたった凄惨な戊辰戦争は、こうして、静かに幕を閉じました。
―その後、北海道開拓使長官として、蝦夷あらため北海道の開発の責任を任された黒田は、周囲の反対を押し切って榎本を獄から出し、いわば彼の私的調査官として、榎本を北海道に派遣します。
戊辰戦争の終結から、すでに3年が過ぎようとしていました。
短い間ではありましたが、榎本は派遣先で綿密な資料調査を行い、のちの新政府による北海道開発の足がかりを作ったと言えます。
もうひとつ、榎本が北海道で行ったことがあります。
箱館戦争で亡くなった多くの同志たちのために、追悼の石碑を立てたのです。
『碧血碑』(へきけつひ)
現在も函館公園の片隅に眠る石碑がそう呼ばれるのは、中国の故事に由来するものです。
「義に殉じた志士の血は、3年経つと碧色(みどりいろ)に変わる」
碧色とは、疑いや無実の罪が晴れ、青天白日になることを指したものだと言われています。
自分のために死んでいった多くの同士に、自らの死で償うのでなく、生き抜き、自らの働きによって彼らの名誉を回復し、そして、この蝦夷の地に、彼らと共に抱いた夢を実現させる。
それは、蝦夷共和国という国家でないにしろ、多くの人が希望をもって住める国土とすることで、かつて彼らと共に語り合ったその夢を、榎本は叶えたかったのかも知れません。
この国に、もう一度生まれてきたい。
そう思える国づくりのために―
続・龍馬伝 完
________________________________________________________
あとがき
「戊辰戦争」が、かくもドラマティックで、波乱に満ちたものだっということを、僕はこの『続・龍馬伝』の執筆を通して、初めて知りました。
たかだか1年半に満たない、それも、大政奉還に至るまでの動乱や後の西南戦争、日清・日露戦争などの影に隠れて、比較的影が薄く、ともすれば江戸城無血開城によって平和裏に進んでいったかのようにさえ思えるこの内乱が、実はさまざなな人々の思惑を秘めて、多くの人々の理不尽で悲惨な犠牲を払った血と汗の歴史の一幕であったことに、『続・龍馬伝』の執筆を通して、僕は初めて驚かされました。
そういう意味では、今回の一連の執筆は、僕にとって、「戊辰戦争とは何か」「幕末・明治維新とは何か」を見直す大きなきっかけとなり、そういう機会が与えられたことに今は感謝しています。
(実は途中で、執筆を始めたはいいもののその膨大さに前途を歎き恨んだこともあったのですが…テヘヘ)
記事をアップして、最初の拍手が付くのを、僕はいつも楽しみにしていました。
その「1拍手」のマークを見た瞬間に、少なくともひとりは自分の記事を喜んで下さる方がいらっしゃったのだと思い、勝手な自己満足に浸るのが僕の喜びでした。
コメントを下さる方はもちろん、このブログを開いて読んで下さる方、自分より歴史についてはるかに造詣が深く批判の目で見て下さる方も含めて、心から感謝しています。
元来、飽き性な自分が、最後まで続けることができたのは、見てくれる皆様という「公の目」があったからです。
これからも、自分を鼓舞する意味も含めて、たとえば「英検1級を目指します!」のような超プライベートなことも書くかと思いますが、そんな時は弱い人間の精一杯の叫びだと思って、軽く受け流して下されば幸いです。
歴史は果てしなく深く重く、自分のライフワークとして、これからも歴史とは真摯に向き合っていこうと思います。

(主な参考資料)
日曜劇場JIN-仁- 完結編(TBS)
箱館戦争―北の大地に散ったサムライたち
小説 榎本武揚―二君に仕えた奇跡の人材 (ノン・ノベル)
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続・龍馬伝 (37)降伏か、死か

坂本龍馬が、土佐勤王党に所属していた頃。
当時、上士に虐げられ鬱憤をためていた下士の若者の多くは、武市半平太の唱える勤王の志に胸を焦がし、若人がもつ特有の情熱は、彼らを尊皇攘夷へと駆り立ていった。
そんな彼らの間でブームになったのが、長身の刀。
さて、槍垣云々という勤王党の若者。
三尺(約90cm)はあろうかという自慢の長刀を龍馬に見せびらかしてやろうと、彼の前に持ってきた。
それを見た龍馬、
「飾り物で人は斬れん。実戦では短刀の方が有利ぜよ」
おもむろに自分の刀を見せた。
なるほど扱いやすそうな短刀に心を動かされ、檜垣もいつしか短刀を挿すようになってゆく。
しばらく後、ふと龍馬に出逢った檜垣は、自分の短刀を見せる。
それを見た龍馬、
「この前で刀は無力ぜよ」
と、懐からピストルを取り出し、試しに一発と檜垣の目の前で引き金を引いてみせた。
檜垣は西洋の技術に驚きつつも、刀剣がもはや時代遅れであることを知らされる。
さらに後、龍馬に出逢った檜垣。
彼は一冊の本を取り出し、こう言ったという。
「西洋はすでに、銃剣による支配から法による支配へと移っちょる。
銃剣は個人しか支配できんが、法は国家そのものを支配するきに」
檜垣は龍馬の先見性を目の当たりにして、もはや自分の考えの及ばないところに彼がいることを知らされる。
龍馬が古い時代の最期のあがきによって殺される、少し前のことであった。
(『万国公法の時代』中に載せた逸話をアレンジしています)
彼が取り出した本こそ、「万国公法」(Elements of International Law)そのもの。
現在で言う、国際法を示したものです。
そして、今回の物語の主人公は、「海の万国公法」ともいうべき、「海津全書」という本。
黒田と榎本。箱館戦争の勝者と敗者ではありながら、英雄は英雄を知るの諺のごとく、この本を媒介として、ふたりは互いの資質を認め合うことになるのですが…
北の戦争も、終わりが近づいていました。
【第37回】降伏か、死か
降伏勧告の書簡が、榎本の元へと届けられました。
新政府参謀・黒田清隆は、榎本に、これ以上不毛な血が流れることの無意味さを訴え、今こそ日本がひとつになり近代国家として邁進すべきであると説いたのです。
その書簡は、五稜郭軍の中の和平派に渡され、彼らの口添えと共に、総裁・榎本の元へと届けられたのです。
すでに五稜郭の雰囲気は、降伏へと傾きつつありました。
榎本は、ひとり自室に閉じこもり、思いを巡らしていました。
降伏を受け入れることはたやすい。
また、多くの人の命を救うことも事実である。
しかし、自分の夢のために死んでいった多くの将兵たちの想いはどうなる。
ここでおめおめと降伏を呑めば、彼らの命は無駄になるのではないのか。
国を失った者たちの魂を、死後もなおさまよわせるのか。
榎本は幹部を招集します。
無言の会議。
最後は、榎本の判断にすべてがかかっていました。
「玉砕戦」
彼は、死を覚悟します。
自分のために死んでいった者たちに殉じ、命を散らす決意を固めたのです。
彼は、筆を取ります。
蝦夷共和国は志高く興した、正義の国家であること。
そして、それを潰そうとする者に対しては断固戦い続けること。
そのためには、自分たちは玉砕も辞さないこと。
そして、その書簡を、彼が一生涯大切に保管していた本と共に、黒田のもとに送り届けるのです。
海津全書。
彼が希望に燃えてオランダに留学していた頃、師事していたハーグ大学・フレデリック教授の『海の国際法と外交』と題する、上下2巻の本です。
戦が始まれば、五稜郭は早々にも灰となってしまうであろう。
しかし、この海津全書は燃やしてはならない。
この本は日本が近代化し、西洋と肩を並べる国家となる指針となるであろう。
そんな榎本の願いが込められていました。

(『日本テレビ年末時代劇スペシャル「五稜郭」』より)
英雄、英雄を知る。
榎本の書簡を見た黒田は、感激します。
玉砕の覚悟を記した文章の中に、死してなお日本の将来を憂う榎本の本心を彼は感じた。
そして、上下2巻の海津全書。
オランダ語で書かれたその分厚い本の中身は、語学の教養のない黒田には到底理解出来ないシロモノではありましたが、その各ベージにびっしりと書かれた榎本の手書きの註釈は、榎本の情熱と、この本の価値を物語るに十分であった。
明治新政府は、世界を知らない。
いわば「井の中の蛙」
語学堪能、世界情勢に通じ、外交力にも優れた榎本のような男は、必ず必要になってくる。
何よりこの信念、日本を思うその誠実さ。
このような男を、無益な戦争で殺してはならない。
彼は、榎本にさらに揺さぶりをかけるべく、榎本に親しい人間を使者として送り込みます。
再三の降伏勧告も、榎本の前では無力でした。
それでも榎本は、怪我人と、女性・少年などの非戦闘員を五稜郭から戦闘区域外に搬出することを認めて欲しい、と要求し、黒田によって了承されます。
五稜郭から、次々と人が去ってゆく。
怪我人や非戦闘員が去ったあとも、五稜郭から人が消えてゆきます。
もはや勝ち目のないことを悟った兵士たちが、脱走していったのです。
ある者は新政府軍に降伏し、またあるものは、箱館の街に潜伏してゆきました。
そういった者たちの存在を、榎本は内心では喜んでいました。
将来の日本のために、これ以上、有望な若者を死なすわけにはいかない。
そのような思いがあったのかも知れません。
彼は大手門を開いて、脱走を認めたのです。

(クリックすると3倍に拡大します)
5月15日。
五稜郭を守護する最大の砦、弁天台場が降伏します。
永井尚志ら240人が、白旗を掲げたのです。
五稜郭との連絡路を遮断され孤立、籠城し弾薬も食料も尽きた上での降伏でした。
それで良かったと、榎本は密かに思った。
5月16日早朝。
弁天台場よりさらに五稜郭近く、いわば最後の砦となったのが「千代ヶ岡台場」でした。
ここに陣地を構築していた中島三郎助に、榎本は何度も撤退するよう使者を出したのですが、彼は応じませんでした。
彼は、もと開陽丸の機関長でした。
あの時、開陽丸に残っていた自分が適切な判断を下していれば、あるいは開陽丸の遭難は免れたかも知れない。
いや、たとえ開陽丸の遭難が不可避の事実であったとしても、責任はこの自分にある。
彼もまた、侍の魂をもつ誇り高き武人でした。
弁天台場降伏の翌日、16日の早朝から千代ヶ岡総攻撃を開始した新政府軍に、彼は息子2人とわずかの手勢と共に、全身でぶつかり、散ってゆきました。
己の失策が生んだ武人の死を、榎本は深く悲しんだと言われています。

(『日本テレビ年末時代劇スペシャル「五稜郭」』より)
5月16日正午。
黒田は、五稜郭に使者を立て、五稜郭総攻撃の延期を伝えます。
そして、
「必要とあれば、食料、弾薬をお届けする」
と榎本に打診します。
彼が断るのを知った上での、黒田なりの武士の情けでした。
榎本が断るや、黒田は代わりに、酒5樽、マグロ5尾を代わりに届けます。
そこには、次の手紙が添えられていました。
先日送っていただいた書物は、無学の私には到底理解できるものではありません。
しかし日本の将来のために必要な書であることは無知の私でも領解し、その心遣いに感謝の言葉もありません。
早急に翻訳させ、この国のために役立たせたいと思っております。
恥ずかしながら、その御礼としてささやかながら酒などをお送りさせていただきます。
誇り高き兵士たちへのささやかな愉しみになれば、これに越したことはありません。

(『日本テレビ年末時代劇スペシャル「五稜郭」』より)
英雄、英雄を知る。
榎本は、黒田の心憎い演出に敵ながら感嘆します。
そして同時に、彼ならば降伏した将兵の誇り傷つけることはしないであろうと、密かに決意を固めるのです。
―もうこれ以上、自分の夢の犠牲者を増やしてはならない。
自分の命と引き換えに、将兵の助命を嘆願することを決め、彼はひとり総裁室に入ってゆきます。
彼らはもう十分に戦った。
自分は先に逝って、亡き将兵たちに会ってこよう。
彼らも分かってくれるだろう。
長い夢だった。いい夢だった・・・
(主な参考資料)
箱館戦争―北の大地に散ったサムライたち
幕末史(半藤一利著)
図説・幕末戊辰西南戦争―決定版 (歴史群像シリーズ)
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続・龍馬伝 (36)箱館決戦

夢は、夢である以上、いつかは醒める。
現実世界に夢を見る者は、それが現実であるために、一夜の夢にとどまらず何日も夢を見続けることができますが、それが現実であるために、夢が醒めた時には、残酷なしっぺ返しが待っているものです。
榎本の夢も、その時が近づいていました。
夢が、醒めようとしている。
その事を一番よく知っていたのは、榎本自身であったのかも知れません。
それを象徴するかのように、ある男が最期を迎えるのです。
五稜郭は、憂色に包まれていました。
矢不来が落ち、二股口も放棄した。
傷ついた兵士たちが、足取り重く五稜郭に戻り、死んだように横たわっていました。
信じられない事件が起きました。
軍艦・千代田形が敵の手に渡ったのです。
それも、戦闘による損失でなく、こともあろうに艦長が自ら放棄した結果でした。
兵士の給料すら払えない榎本軍が、それでもなけなしの資産を払って維持してきた軍艦を、たかだか座礁したという理由で、艦長が退艦命令を出したのです。
無人の軍艦は、潮が満ちると共にぷかぷかと流れだし、あっさりと敵の手に渡ったのでした。
榎本軍の士気の低下を象徴するかのような事件。
亡国の民の末路を暗示しているかのようでした。
榎本らの取るべき道は、3つ。
降伏か、玉砕か、または蝦夷の奥地に逃れ、長期戦に入るか。
降伏とは誰も言い出せず、艦を失い軍資金も底を尽きた以上、長期戦にも耐えられない。
…となれば、玉砕しか道はない。
榎本はこの時、死を覚悟していたのかも知れません。
【第36回】箱館決戦
5月7日。
夜明けと共に、敵艦隊が箱館湾深くに侵入してきます。
そこには、あの甲鉄の姿も見えました。
榎本軍に残された軍艦は2隻。
しかし、蟠龍は故障を起こし修理中。
残されたただ1隻の回天が、単身捨て身で、敵艦のまっただ中に突入します。
もはや失うものは何もない。
回天は、甲鉄に肉薄し、あらん限りの砲撃を浴びせかけます。
数発は確実に甲鉄に命中したものの、海上要塞の異名を誇るこの軍艦は、その程度で沈みはしません。
逆に、甲鉄も含む敵艦により回天は3方向から蜂の巣のように艦砲射撃を浴びせかけられ、最後は撃沈されてしまいます。

(『日本テレビ年末時代劇スペシャル「五稜郭」』より)
5月8日。
榎本自ら、800の兵を率いて、五稜郭を出撃。
勢いに任せて敵に突入し、多量の死傷者を出して惨敗する結果に終わってしまいました。
それでも榎本の行動は、五稜郭軍の指揮を高めるのに成功します。
この機を逃さず、榎本軍は最後の反撃を試みます。
突貫で修理を行った最後の軍艦・蟠龍を出撃させたのです。
敵艦・朝陽が突撃してきます。
蟠龍は巧みに避けて衝突をかわすと、反転して、太陽を背にします。
開陽があれば、ものの数ではない敵でした。
開陽の代わりに、太陽を背にした蟠龍は、目が眩んで砲門の射程の合わない敵艦・朝陽に対し、容赦ない一斉砲撃を浴びせかけます。
―朝陽、撃沈。
使命を果たした蟠龍は、その後、敵艦隊から蜂の巣砲火を受け、回天と同じ運命をたどるのです。

(『新選組!!土方歳三最期の一日』より)
軍艦を全て失った榎本軍。
邪魔者のいなくなった箱館湾内で、新政府艦隊は我が物顔で動きまわり、湾内から自由に艦砲射撃を行います。
海上の退路も遮断され、逃げ場を寸断されてゆく五稜郭軍。

(クリックすると3倍に拡大します)
そこに、黒田清隆が現れます。
彼は、箱館山の裏側の断崖絶壁をよじ登り、山頂に軍を展開させます。
こうなると、頂上から五稜郭は完全に見下ろされ、榎本軍の行動はすべて手に取るように見ぬかれてしまう。
黒田は、この戦をできるだけ最小限の損失で終わらせるべく、榎本軍を威圧する作戦に出たのです。

(『新選組!!土方歳三最期の一日』より)
敵の総大将・黒田を粉砕すべく、男の意地をかけて、わずかな兵を従え、あの男が出陣します。
かつて、歴史の転換点に、真田幸村という武将がいた。
戦国の世が終わりを告げる、最後の戦。
大阪夏の陣。
世の中の変化に抗い、最後まで豊臣の恩に報いようとした。
四方を敵に囲まれる中、最後の突撃を試みた。
六文銭の旗。誇り高くたなびく。
狙うは、敵の総大将・徳川家康の首ひとつ。
赤備えの武士集団。
大軍の只中に少数で飛び込み、そして、命を散らしていった。

(『新選組!!土方歳三最期の一日』より)
この時の土方は、真田の突撃の再来であるかのようでした。
「誠」の旗を掲げ、新選組の生き残り50騎を従え、黒田のいる箱館山に向かって突撃します。
前方に見える敵。
歩哨の姿。
「名を名乗れ!」
叫ぶのが聞こえる。
「新選組副長、土方歳三」
大軍が押し寄せたかのような狼狽ぶり。
敵襲の鐘。
次々と現れる敵兵。そして、銃声。
「新選組、見参」
心のなかで叫ぶ。
銃声の嵐の中を、構わずに土方は突撃します。
狙うは、黒田の首ひとつ。
そして…打ち込まれてゆく銃弾。
土方は、体が宙に浮いてゆくのを感じていました。
誰かが支えてくれた。
近藤か、沖田か、他の誰かか。
懐かしい匂い。
視界が、狭まってゆく…
________________________________________________________
土方の死は、榎本に激しい動揺を与えます。
夢が、崩れてゆく。
開陽を失い、甲鉄奪取に失敗し、外国に対する箱館政権の承認も失った。
矢不来を破られ、二股口から撤退し、軍艦を次々と失った。
市街戦となり、多くの一般人をも巻き添えにした。
その光景は、まるで彼の心の中で夢が崩れてゆく有様を現世に現したようでもありました。
夢を失ったが故に、戦に負けたのか。
戦に負けたが故に、夢を失ったのか。
海軍を失い、陸軍の中核である土方を失った榎本軍に、もはや勝ち目はなくなったも同然でした。
為す術もなく、榎本は呆然と立ち尽くすのみ。
―その頃。
黒田清隆は、密かに和議の道を模索していました。
時流を射抜く目を持つ彼は、いつまでも不毛な内乱に時を費やしているべきではないと感じていたのです。
そして情に厚い彼は、一般人を巻き込む戦の惨状に疑問を持ち、同時に、捕虜を丁重に扱った榎本という男を殺すべきではないとも考えていました。
同じ頃、榎本軍の中にも降伏を模索する動きがありました。
榎本の水面下で彼らは接触し、和議の可能性を探ってゆきます。
…そして、榎本の元へ正式に降伏の使者が来ることになるのです。
(主な参考資料)
箱館戦争―北の大地に散ったサムライたち
幕末史(半藤一利著)
図説・幕末戊辰西南戦争―決定版 (歴史群像シリーズ)
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続・龍馬伝 (35)二股口攻防戦

榎本の夢。
それは常に、開陽と共にあった。
開陽に乗って祖国に帰還した時が彼の夢のはじまりであるとすれば、開陽を失ったときに、彼の夢もすでに失われていたのかも知れない。
しかし、榎本の夢は、もはや彼だけのものではなかった。
彼を信じ、慕い、ついてきた何千人もの徳川幕府の遺児たち。
漂流民となった彼らが、榎本の夢に命を賭ける以上、榎本もまた、彼らのために夢を追い求めることを辞めるわけにはいかなかったのです。
榎本の夢を具現化させたものが、蝦夷共和国のはずでした。
しかし、新生国家にはあまりにも厳しすぎる試練の数々を立て続けに体験し、すでにこの国は、疲弊していました。
喩えるならば、生まれたばかりの小鹿に急に全速力で走ることを強いられたようなもの。
まだ十分に発達していないその足を酷使した結果、もはや小鹿は、己の足で立つことすら不可能に近い状態になっていたのです。
蝦夷共和国の軍費は底を尽きかけていました。
陸軍は新たな武器・弾薬の補充も不足がちとなり、海軍はたった3隻の軍艦(回天、蟠龍、千代田形)の維持がやっとの状態でした。
疲弊した国家に、しかし明治新政府軍は、容赦ない牙を向けるのです。
衰弱し切った小鹿に、獰猛な狼が襲いかかろうとしていました。
【第35回】二股口攻防戦
4月9日。
アボルダージュ(接舷攻撃)に失敗した回天が、傷だらけの姿になって箱館に帰って、わずか2週間足らず。
敵影、オトベニ見ユ-
乙部(おとべ)の海岸に、おびただしい数の軍艦が姿を見せます。
新政府の蝦夷攻撃主力軍。
上陸と同時に強烈な艦砲射撃を浴びせかけます。

(『日本テレビ年末時代劇スペシャル「五稜郭」』より)
この作戦の背景には、黒田清隆の存在がありました。
作戦参謀である彼は、榎本武揚を相当に警戒していたのです。
あの短期間のうちに箱館を手中に収め、かつアボルダージュを敢行した蝦夷共和国の総帥。
ほとんど不可能に思えるようなことを、彼はやってのけている。
偶然、運に恵まれたため我が軍は事なきを得たが、彼の作戦が的中していたならば、我々は逆に奪われた甲鉄艦によって沈められていたかも知れない。
…そして、抜群の国際感覚と人身把握力。
国際法を巧みに用いて箱館の各領事館を味方につけたばかりか、松前藩攻略の際にも捕虜を本国に返し、我が軍の中でさえ、榎本の人望は伝わってきている。
並の男ではない。
この戦、慎重に行わねば、負ける。
黒田は、軍事的な圧倒的優位にも関わらず、箱館をひとひねりにする短気決戦でなく、周囲からじわじわと包囲してゆく1ヶ月単位での戦略を頭に描いていました。
1.まず、箱館勢力の及ばない場所から上陸を開始する。
2.次に、松前はじめ周囲の拠点を陥落させ、箱館を丸裸にする。
3.最後に、箱館を総攻撃する。

(クリックすると3倍に拡大します)
この戦略に沿って、乙部に上陸した軍勢は、上陸範囲を広げながら、3隊に分かれ、箱館への進軍を開始します。
彼の戦略は綿密であり、8日後には松前を占領、さらに3日後には木古内を占領します。
3方向から進軍した軍隊のうち、2部隊までは、ほぼ当初の目標を達成しつつありました。
残る1部隊、二股口攻略部隊が戦線を突破すれば、3隊は合流し、その時こそ、箱館の総攻撃が開始される狼煙となるはずでした。
…そこに、あの男が立ちはだかるのです。
二股口の防衛を任されたのは、蝦夷を自らの死に場所と考えていた、いわば最後の武士(もののふ)。
土方歳三
二股口が破られれば、箱館は風前の灯。
この重要拠点を、榎本はこの男に賭けた。
松前攻略戦での鬼神の如き戦ぶりは、もはや蝦夷で知らぬ者はないほど有名になっていたのです。
土方は、新選組の戦い方をすでに捨て切っていました。
刀はもはや集団戦の主力にはなり得ない。
火力の優劣こそ戦の勝敗を決定づけるものであると、考えを変えていたのです。
サムライの魂をもちながら、西洋軍学を実践により身に付けていった男の、本領が発揮されます。
彼は、二股口のふたつの丘に、鉄壁の陣地を構築していました。
さらに、300の兵士全員に銃をもたせ、あるだけの弾薬を箱館から運んでいた。
強力な火力による完璧な防衛陣地を築き、彼らが来るのを待ちかまえていたのです。

(『日本テレビ年末時代劇スペシャル「五稜郭」』より)
峠道を進む新政府軍に、土方隊は、上から銃弾の雨を降らせます。
相手の反撃は胸壁にさえぎられてほとんど効力を失い、土方隊の銃撃は丸裸の敵を容赦無くなぎ倒してゆく。
16時間の銃撃戦は、新政府軍に圧倒的な死傷者を出す結果となりました。
土方隊の死者はわずか1名であったと言われています。
初日は、土方が完全勝利を得ます。

(『日本テレビ年末時代劇スペシャル「五稜郭」』より)
翌日も、翌々日も、新政府軍は二股口に突入します。
ここを突破すれば、箱館は目の前。
…しかし、万全の準備で臨む土方の防衛陣地に死角はなく、すべて、多量の死者を一方的に出す結果となっていました。
土方の陣地は、文字通り「鉄の壁」となって、新政府軍の行く手を阻んでいたのです。
1日に消費する弾薬は、数万発に及んでいました。
銃身はたちまちに真っ赤に焼け、そのたびに谷川の水を汲んで冷やす。
兵士たちの顔は、火薬で皆真っ黒となり、人の区別もつかない状態でした。
それでも土方は、ありったけの弾薬を箱館から補給させつつ、兵士を鼓舞し、この二股の地にへばりついていました。
何日でも、何ヶ月でも、一歩たりとも敵に踏み入らせない覚悟でした。
…しかし、戦は局地戦だけで行うものではない。
3方向から進入した新政府軍は、二股口以外では勝利を重ね、ついに、二股口の背後にまで迫ろうとしていました。
そして、矢不来(やふらい)が陥落。
ここが落ちれば、海岸沿いの平地から新政府軍が箱館に侵入できるため、もはや二股口を防衛する意味は消えてしまいます。
それどころか、防衛陣地の背後から敵に襲われる可能性もある。
土方は無念さを噛み締めつつ、20日間の防衛を耐え抜いた二股口を放棄、徹底を決断します。
榎本が松前半島に敷いた防衛網は、こうして完全に突破されてしまったのです。
残るは、箱館のみ。
五稜郭と、弁天台場などの周囲の要塞を残し、榎本軍は完全に孤立。
じわりと、新政府の箱館包囲網が固まりつつありました。
(主な参考資料)
箱館戦争―北の大地に散ったサムライたち
幕末史(半藤一利著)
図説・幕末戊辰西南戦争―決定版 (歴史群像シリーズ)
一冊でわかるイラストでわかる図解幕末・維新―地図・写真を駆使 超ビジュアル100テーマ オールカラー (SEIBIDO MOOK)
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続・龍馬伝 (34)宮古湾海戦

箱館の春。
厳冬を過ぎれば、箱館にも命が芽生え始めます。
緑の大地が顔を出し、蝦夷は生き返るのです。
同時に、榎本の夢も、生き返る。
このまま暖かくなってゆき、蝦夷の大地が緑に包まれれば、待望の開拓が始まる。
今は小さな存在である蝦夷共和国が、大きくなってゆく。
それは、小さなアメリカが東へ東へと開拓を進め、やがて反対側の大洋に到達し、大きな国家へと成長していたのにも似ているように榎本には思えた。
Frontier Spirit(開拓者精神)
彼はこの言葉を何よりも大切にし、未来を切り開いてゆく理想に燃えていました。
そして、そのためには、薩長新政府との戦はもはや避けられない。
開陽を失った蝦夷共和国とは対照的に、薩長は本州北端までを完全に支配下に入れ、イギリス・フランス・アメリカなどの「日本を代表する政府」の承認を取り付けていました。
これにより、一時は明治政府と同等の独立政府であることを認められていた榎本らは、日本に対する反乱軍という位置づけに限りになく近づいてしまったのです。
最後の反乱分子を鎮圧すべく、蝦夷攻略に乗り出した明治新政府。
蝦夷の雪解けを待って、いよいよ軍艦を出航させます。
3月。
薩長新政府艦隊、品川を出航―
旗艦・甲鉄。

(『日本テレビ年末時代劇スペシャル「五稜郭」』より)
五稜郭に緊張が漂います。
榎本が、迫り来る艦隊に対してどう出るか、軍議を開いたのです。
最大の障壁が甲鉄であることは、誰の目にも明らかでした。
敵方、味方方、いずれの軍艦と比べても群を抜く、抜群の攻撃力と防御力を兼ね備え、ひとたびその砲門が火を噴けば、榎本艦隊なぞ数刻のうちに海の藻屑と消えてしまう。
海上艦隊戦についての実戦経験の少ない両軍にとっては、火力差こそが全てだったのです。
重苦しい雰囲気の中、ひとりの男が言葉を発します。
回天艦長・甲賀源吾(こうが・げんご)。
榎本海軍髄一の、大胆な精神力の持ち主です。
彼が立案した作戦は、誰も想像できなかった、奇策中の奇策というべきものでした。
Abordage(接舷攻撃)
かつて大砲というものがこの世にまだなかった頃、水軍同士の戦いは、船の舳先を相手船の横っ腹にぶつけ、相手の船に斬り込んで戦っていた。
飛び道具の発達、特に大砲の発明によって、そのような無謀な戦い方は息をひそめ、艦砲射撃の応酬へと戦いは変わってきました。
しかし、砲撃戦での分が悪い榎本艦隊は、あえてこの原始的な戦法を用いるべきだと甲賀は言うのです。
戦法としてはあるものの、西洋でもほとんど例がない体当たり攻撃。
甲賀の真の狙いは、甲鉄艦を無力化するだけでなく、この艦を奪い取ってしまうところにありました。
甲鉄をわが艦隊の一部とする。
敵の拠点を攻撃するためではない。
箱館の街を、港を。蝦夷共和国を守るために運用するのだ。
甲鉄を中心とし、周囲の艦隊がそれを援護するように軍艦を展開させれば、箱館は鉄の壁で覆われたも同様である。
榎本総裁の、蝦夷共和国みんなの志を護る。
甲鉄を、蝦夷の守護神とするのだ。
アボルダージュ。
その名称すら知られていない、未知の作戦。
しかし、甲賀のこの作戦がもし的中すれば、戦況は一変する。
大胆かつ奇抜、しかし行う価値のある作戦。
榎本は、その決行を決意します。
【第34回】宮古湾海戦
3月20日。
回天、蟠竜、高雄の3隻の特攻隊が、密かに箱館を出港します。
目指すは、宮古湾。
薩長新政府艦隊が、そして甲鉄が、そこに集結している筈でした。
海。
再度の出航。
…しかし、ここでも、海は榎本艦隊の行く手をさえぎります。
あたかも、天が蝦夷共和国の樹立を拒んでいるかのように…
宮古湾に向かって航行中、突然に怒涛逆巻く荒天となり、海が荒れ狂います。
3隻をつなぐ綱が切れ、蟠竜が行方不明になったのち、ようやく海が静まったと思えば、今度は高雄が動かなくなってしまうトラブルが発生したのです。
それでも、この作戦に蝦夷の運命を託された甲賀はじめ乗組員は、回天単独での作戦を決行せざるを得ませんでした。

(『日本テレビ年末時代劇スペシャル「五稜郭」』より)
アメリカ国旗を掲げ、勇敢に宮古湾に侵入した回天。
甲鉄を発見するや、その左舷に激しく体当たりを食らわせます。
体当たりが先か、旗が変わっていたのが先か。
とにかくこの時には、回天の国籍を偽装していたアメリカ国旗はいつの間にか日章旗に代わっており、回天の砲門は至近距離での砲撃を繰り返し、斬り込み隊が甲鉄に乗り込もうとしていたのです。

(『日本テレビ年末時代劇スペシャル「五稜郭」』より)
成功するはずでした。
いや、成功させなければならなかった。
…しかし、成功するはずはなかった。
本来は援護に回るはずであった回天を無理やり接舷させた弱点が無残にも露呈。
回天は外輪船であり、左右についた巨大ないぼのような外輪が邪魔をして、甲鉄の横に平行して接舷させることができなかったのです。
そのため船首のみが甲鉄の左舷に接舷した形となり、回天の船首が浮き、甲鉄との間に高低差が生まれてしまったのでした。
3メートル下に見える、甲鉄の甲板。
それでも斬り込み部隊は死ぬ気で3メートル下の甲鉄めがけて落下していったのですが、すべてが想定外の出来事に、斬り込み部隊は戸惑い、甲鉄を占拠できないばかりか、甲鉄のガトリング砲や周りの敵艦隊に狙い撃ちされ、次々と命を落としてゆきます。
作戦継続は、もはや不可能。
このままでは、甲鉄の補足どころか、この回天が逆に敵に補足されてしまう。
そう悟った甲賀は、撤退命令を出さざる得ませんでした。
そして、その甲賀も…
この戦いで榎本軍は、作戦の立案者でもあった甲賀源吾を失います。
優秀な指揮官がまたひとり死に、蝦夷共和国は、皮肉なことに、さらに追い詰められる結果となってしまったのです。
(主な参考資料)
箱館戦争―北の大地に散ったサムライたち
幕末史(半藤一利著)
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